最後に記事をしてから、随分時間が経ってしまいました
いえ、この間ちょっと色々ありまして……まず、引っ越しをしたんですけども、引っ越し先の建物がネットの配線に問題があって、色々手続きのやりとりをするのに時間がかかるということで(このことが判明するまでにも結構時間がかかった)、色々すごく揉めたんですよ(^^;)
そんなこんなで結局、今までずっと使ってきたところ(十年とかそのくらい・笑)は解約して、ちょっと割高になるけど仕方ない……といった感じで、別のところと契約し直したりと、そんなこんなでネットを繋げない状況が約1か月くらい続いたというかww
で、そこから今度はこの小説書きはじめたもので、その間更新が途絶えてしまったという。。。
あ、それで新しい小説が書き上がったので、連載を開始することにしました
内容のほうは、ゲイの男性カップルふたりと、その間に挟まれた女性ひとり――といった感じの三角関係ラブストーリーです
今回は第1話目なので、そのあたりのことはまったく出てこないものの、あらすじを書くとしたら、大体次のような感じかな~なんて
>>尾崎麻貴は、<ベルサイユのはなや>という小さな花屋で事務員をしています。また、彼女は週末だけナイトクラブでピアノを弾くというアルバイトもしており、そこで阿藤君貴という男と出会い、彼と一夜をともにすることに……君貴に心惹かれるマキでしたが、彼は実はゲイであることを隠しており、しかも君貴の恋人は女のマキが恥かしくなるくらいの美貌の持ち主であるだけでなく――楽壇の寵児と称されることさえある、ピアニストのレオン・ウォンだったのでした……!!
といったところですかね(笑)。
「あ~、だからタイトル『ピアノと薔薇の日々』なのね」と思われそうなのですが、まあ自分的にはそんなに深い意味もなくなんとなくつけた……みたいな感じかもしれません(^^;)
まあ、具体的なエロ描写がほとんどないといった意味ではつまらないかな~なんて思ったりするのですが、もしご趣味の合う方がいらっしゃいましたらとても嬉しいです
それではまた~!!
ピアノと薔薇の日々。-【1】-
尾崎麻貴が、(今後、自分の一生は良くないことだけがあって終わるのではないだろうか)……そう予感したのは、小学二年生、八歳の頃のことだった。
その日、その時にしても、何故自分はそんなことをしてしまったのか、マキは不思議でならない。陽の傾きかけたいわゆる逢魔ヶ時――マキは近所の<あじさい公園>というところでブランコに揺られていた。
そして誰もいない公園でひとりブランコをこぐうち、ふと公園の片隅にあるトイレのことが気になったのだ。古ぼけたコンクリートに安っぽい空色のペンキが剥がれかかったようなトイレ。マキはおしっこしたいとも思ってなかったし、もし仮にそうであったとしても、家のトイレのほうで用を足すことのほうを絶対に選んだだろう。
それなのに――マキはまるで何か目に見えない力に惹かれでもしたように、その日、公園の片隅にあるトイレを覗き込んだのだ。最初、マキは自分のしていることがまるで意味のないことのようにしか思えなかった。けれど、意味はあった。それも、マキにとってではなく、公共のトイレを最後の死に場所に選んだ女性にとって……。
「キャーーーーーーーッ!!」
最初、マキはそれを女性の首吊り死体であるといったようには認識できなかった。けれど、女性がぴくりとも動こうともしないのを見て――悲鳴と同時にその場から逃げ出していた。
マキは走れば三分とかからないアパートまで帰りつくと、母親の腰に抱きつきながら泣きじゃくった。「一体どうしたの、マキ……」と、当惑するばかりの母は冷やしラーメンの錦糸卵を作っているところだった。ゆえに、何故娘が身も世もなく泣きじゃくっているのか、聞きだすまでに少し時間がかかった。
「トイレで、人が……女の人が死んでるのォっ!!」
エプロンで娘の顔をぬぐってやると、マキは息せき切ってそう叫んだ。この娘の思ってもみない告白に、母の真知子は仰天した。とはいえ、すぐ警察に電話しようとはしなかった。とにかく、自分でもその事実を確認してからと考え、エプロンのポケットに携帯電話を忍ばせて、<あじさい公園>まで走っていった。
だが、その時すでにトイレには人だかりが出来ており、マキの悲鳴を聞きつけた公園の向かいに住む人が事態を知り、110番したあとだった。それでもマキが第一発見者ということで、一応事情については聞かれた。ブランコに乗って遊んでいたら、おしっこがしたくなってトイレへ行こうとした(マキはこの時、この部分については咄嗟に嘘をついた)、そしたら女の人が床に足がついていない状態で天井からぶら下がっており――悲鳴を上げて逃げだしたということを……。
交番に勤める若い巡査は、この小さな女の子が受けたであろう精神的ショックのことを非常に心配していた。「もしかしたら、心療内科とか、そういうところで一度、相談に乗ってもらったほうがいいかもしれませんね」と、彼は母の真知子に最後に言い残していた。
結局この日、マキは大好きな冷やしラーメンもまったく喉を通らず、ずっと自分の部屋のベッドで力なく横になっていた。今となっては顔も覚えていないし、彼女が着ていたスカートの色さえ、マキははっきり思いだすことが出来ない。黒っぽい紺色をしていた気がするものの、それだって、死人=喪服といったイメージにより、子供の記憶の中で書き換えられてしまった可能性がないとは言えない。
こののち、マキは自殺事件のショックから数日学校を休み――病気と聞かされていた友達が見舞いに来てくれたのをきっかけに、四日後には小学校のほうへ登校した。母はマキの精神状態についていたく心配していたが、父親の智英は夜、眠る前にマキのベッドの傍らまでやって来て、こう慰めた。
「心配しなくても大丈夫だよ。絶対に忘れられるから……」
(絶対そんなはずなんかない)と、マキはそう信じて疑わなかった。それで、マキは父にこう言った。
「なんでそんなこと、お父さんにわかるの?」
「父さんも昔、交通事故の現場に行きあったことがあるんだ。不幸な事故でね……道路を渡ろうとした大学生くらいの子が、物凄い勢いで走ってきた車にはね飛ばされたんだ。本当に、あっという間の出来ごとだった。まるで人間というより、飛ばされた瞬間は人形か何かみたいに見えた。それでこう……ぽーんとゴム毬みたいに飛ばされてきて、父さんの足元あたりにその青年の体がやって来た。途端、グシャッという、人間の臓器が潰されるような、物凄く不快な音がした。その青年はカッと両眼を見開いたまま死んでたよ。父さんは思わず腰を抜かしちゃったけど、他の通行人がすぐに「ヤベェ!」とか言って、救急車を呼んだみたいだった。本当にもう、それは恐ろしい形相をその二十歳くらいの青年はしていてね……」
「その人、そのあと一体どうしたの!?」
マキは体に力が入らなくなっていたが、この時ばかりは勢いよくガバリと起き上がった。あの自殺した女性とは違い、せめてその不運な青年には助かっていて欲しかった。
だが、マキの父親は無情にも首を振った。
「助からなかったよ。救急車で運ばれていったけど、すでにもう心肺停止状態で……簡単にいえば、息をしてなかったし、心臓ももう動いてないっていうことだった。いわゆる即死というやつだね。父さんはそのあと、その場に吐いてた。その青年の真っ二つに割れた頭、そこから地面に流れる血や、恨みがましい顔の表情のまま、カッと見開かれた瞳……それを見た瞬間、おえっとなった。そのあと、二週間くらい、その青年の顔が何度も何度も繰り返し思い浮かんできた。夜は眠られないし、ごはんも喉を通らなかったよ。けど、今はもうすっかりこの通りだろ?だから、きっとマキも忘れられるよ」
「…………………」
――確かに、父親の言うとおりだった。マキは公園のトイレで自殺していた、あの若い女性のことを、もちろん完全に忘れたというわけではない。だがやはり、その後少しずつごはんも喉を通るようになり、学校生活へも戻り、夜もぐっすり眠れるようになった。
そして今でも、六月、紫陽花の咲く季節がやって来ると、ブルーの紫陽花がたくさん植わっていた、あの公園のことを思いだす。結局のところ、あの女性はどこの誰で、どんな深い人生上の悩みがあって、よりにもよってトイレのような場所で自分の世界を終わらせなくてはならなかったのだろうという、そのことを……。
* * * * * * *
小学二年生の梅雨の季節に、公園のトイレで女性の首吊り死体を発見してしまったことで――マキの心の奥底にはいつでも、ある言い知れぬ不安が渦巻いていた。
最初、それはうまく言語化されない、意識のパンドラの箱に閉じ込められた思いだったが、その後成長するにつれ、この不安がどういった種類のものなのか、マキは少しずつ説明できるようになってきた。
つまり、簡単にいえば、仮にもし自分なりに一生懸命努力して己の人生を全うしようとしたにしても――結局のところ、自分の力ではどうにも出来ぬもののために人は苦しみ、悩みの果てにトイレのような場所で自分の命を絶つことになるかもわからない……ということだった。
ちなみに、マキ自身の人生にはその後、悲劇とか不幸と自分で名づけねばならぬほどのことは起きなかった。強いていえば、中学二年生の時に父と母が離婚したこと、それからマキが高校卒業後、就職して一年もしないうちに母の真知子が癌で亡くなったことだったに違いない。
両親の離婚に関していえば、娘として心を引き裂かれるほど悲しい……というほどのことはなかったといってよい。なんとなくそうなるような予感は前からしていたし、父に若い愛人がいて、その相手の女性と母が電話で言い争っているのを偶然聞いてしまい――電話を切ったあと、母が大号泣するのを見、母のことをこんなに悲しませる父に対し、心底腹が立ったというそれだけである。
だが、この母が癌と宣告されてからは、マキにとってもつらい日々が続いた。手術後は、抗がん剤による通院治療をしつつ、デパートのサービスカウンターで働き続けた母。父と離婚する前までは、パートで週に三度、三~四時間働くといったくらいだったのだが、離婚後は正社員としてフルタイムで働くようになっていた。マキは進学高に通っていたものの、家計を支えるために高校卒業後は小さな花屋で事務員として就職することになった。
(これからは、きっとわたしがお母さんのことを幸せにしてみせる)
そう思っていた矢先、母の真知子は子宮癌を医者から宣告され――手術とつらい抗がん剤治療のあと、再発を言い渡されたことは、母にとってもマキにとってもこの上なくつらく、残酷なことだった。
『わたしのためにこれからも頑張って治療を続けてよ!生きるために頑張ってよ!』とは、マキにはもう言えなかった。そのくらい衰弱しきった状態で、マキの母親はガンとの闘病の果てに亡くなった。そして彼女の最後の死に際の言葉は、『長生きできなくて、ごめんね……』というものだった。
母の死を通し、ますますマキは人生というものがわからなくなった。公園のトイレで首を吊って亡くなった女性、ある日突然車に跳ねられた男性、そして病気に苦しめに苦しめられてから死んだ母――マキは自分だけがこうした冷酷にして残酷な死の手から逃れられるとは思えなかった。だから、怖かった。結局のところ自分も、出来る限りの努力をしてどんなに日々がんばって生きたところで、最終的にはろくな死に方をせずに終わるのではないか、ということが……。
>>続く。