紙ふうせん・・冬が来る前に
学生時代労音というのがあった、
あの当時1000円だったか2000円?を出して毎月のように歌を聴きに行った、
田舎なのでコンサートというものは名古屋まで出かけないといけなかった、
明日試験という日でもお気に入りの歌手が来れば出かけて行っていた、
紙風船は大好きなお二人だった、
古い古い市民ホール、
丁度卒業したころだったかなぁ~新しい市民ホールが出来たのは、
最初に来てくださった方は中島みゆきだった、
無論私も見に行った、オープニングは労音で味わえない素晴らしいものだった、
あの時私は何をしていたのだろうか?
朝8時に自宅をでて学校に、終われば即バイト、帰宅して勉強をしていた、
赤点(60点以下)をとれば追試、
追試の時間が勿体ないので赤点は取らないように頑張った、
高校の時、物理が苦手何を勉強してもよいか分からなかった、
この時は流石に私なりに考えた、教科書、小テスト、ノートは全て暗記した、
返ってきたテスト用紙は100点だった、でも残念なことに10分後は全て
頭の中から消えていた、暗記でもらった100点の試験用紙だったけど、
長い間嬉しくって大切に保管していた、
生活費はバイトで、市と県との奨学金は貯金をしていた、
卒後5年間、同じ県で仕事をすれば奨学金は返納しなくって良かった、
今その様な制度は多分ないだろうが、随分助かった、
私の睡眠時間が4時間でいいのは、其のころのなごりだと思う、
昨夜BSで久しぶりに紙ふうせんの歌を聴いた、
昔と変わらないお二人の姿をみて色々と思い出してしまった。