(前日からの続き)
我々の住んでる場所だとか、選んだところは
狭くるしくって、いろんな制約があります
けれども、我々の本体そのものは神様と
直結しておりまして、その神様の愛という
ものは無限であるということになって
きますと、我々が器として要求されて、
あるいは動かしていただくその場所も
無限である。
ね、霊界神界とつながっていて、天の私と
地の私がそれこそつらなっていて、一体と
なっていて、そこで働いている。
そういう生命なんだ。
そういう働きを我々はこれからしてゆくんで
あるし、また今しているんだということ。
そしてそういうところに、少なくとも想いを
はせて祈りをしてゆくときに、いろいろな
人の想いが思いやりというものがこちらへ
伝わってきて、そうして自分の中のいろんな
想念の想いの掃除というものができる。
(つづく)
我々の住んでる場所だとか、選んだところは
狭くるしくって、いろんな制約があります
けれども、我々の本体そのものは神様と
直結しておりまして、その神様の愛という
ものは無限であるということになって
きますと、我々が器として要求されて、
あるいは動かしていただくその場所も
無限である。
ね、霊界神界とつながっていて、天の私と
地の私がそれこそつらなっていて、一体と
なっていて、そこで働いている。
そういう生命なんだ。
そういう働きを我々はこれからしてゆくんで
あるし、また今しているんだということ。
そしてそういうところに、少なくとも想いを
はせて祈りをしてゆくときに、いろいろな
人の想いが思いやりというものがこちらへ
伝わってきて、そうして自分の中のいろんな
想念の想いの掃除というものができる。
(つづく)