(前日からの続き)
ある時に我に把(とら)われる。
自分で我に把われることもあるけれども、
把われさせられることだってある。
それによって自分の魂が何を欲しているか、
自分がどう生きなければならない人間なのか、
自分の持ち場は何なのか、真実に生きるという
ことはどういうことなのか、そういうことを
やっぱり知らされるということもある訳
なんですね。
だからその辺のことをやはり弁えて祈っていく。
とに角、祈りの中へ自分を放り込んでいく。
ということが一番大事なんだということを、
我々は心の中に静かに想い返して、そうして、
世界平和の祈りをしてまいりましょう。
昭和63年5月5日
五井 昌久
ある時に我に把(とら)われる。
自分で我に把われることもあるけれども、
把われさせられることだってある。
それによって自分の魂が何を欲しているか、
自分がどう生きなければならない人間なのか、
自分の持ち場は何なのか、真実に生きるという
ことはどういうことなのか、そういうことを
やっぱり知らされるということもある訳
なんですね。
だからその辺のことをやはり弁えて祈っていく。
とに角、祈りの中へ自分を放り込んでいく。
ということが一番大事なんだということを、
我々は心の中に静かに想い返して、そうして、
世界平和の祈りをしてまいりましょう。
昭和63年5月5日
五井 昌久