羽花山人日記

徒然なるままに

パラグアイの少年野球

2022-08-24 15:26:20 | 日記

パラグアイの少年野球

一昨日7チャンネルで放映された,『世界!ニッポン行きたい人応援団』で,元ヤクルトスワローズ投手,岡林洋一さんが取り上げられていた。岡林さんは,1968年パラグアイの日本人移住地のイグアス居住区で生まれ,14歳で日本にわたり,高知商業,専修大学を経て, 1990年のドラフト会議で,ヤクルトスワローズから1位の指名を受けて,プロ野球入りした。

当時,パラグアイ出身のプロ野球選手として,マスコミをにぎわした。また,1992年の日本シリーズでは,延長戦を含む3試合完投というレジェンドを残している。

番組は,2012年の再放送であるが,現時点での映像も補足されている。岡林さんが35年ぶりに生まれ故郷を訪れて,かつての少年野球の仲間と再会し,交流する模様が感動的に描かれている。

パラグアイには、現在約1万人の日系人が暮らしているという。その大部分は恐らく二世ないし三世で、四世も少なからずいるはずである。パラグアイへの日本からの移民は1936年と1960年前後の2波あり、現在残っている家族は、当初の四分の一に満たないのではないだろうか。

移住された方々は,多くの辛酸をなめ,移住地で,あるいは都会に出てそれぞれに地歩を築かれている。わたしは,2回にわたるパラグアイ滞在に際して,日系の方々に大変なお世話になった。お付き合いいただいた方々に共通しているのは,自分たちのアイデンティティーの拠り所を日本に求めていることである。一世の方々の家には,ほぼもれなく昭和天皇と皇后の写真が飾られていた。そして,その気持ちは世代を超えて伝えられている。その一つの表れが,少年野球であろう。

パラグアイでポピュラーなのはサッカーとバレーボールであり,野球をやるのは日本人に限られている。居住区あるいは都市ごとに少年野球チームがあり,「全国」大会で覇を競い合っている。岡林さんもイグアス地区のチームの一員として野球を覚え,エースとして全国大会で3回の優勝を飾っている。

テレビでは,岡林さんが少年たちにコーチをする模様が映されたが,三世あるいは四世に属する子供たちが,達者な日本語を話していた。彼らの夢みるのは,第二,第三の岡林として,日本で活躍することであろう。現にこの時コーチを受けた少年の一人が,今高知の独立リーグで,プロを目指して頑張っている。

岡林さんは「パラグアイ日本人」の誇りであり,少年野球全国大会の優勝杯には岡林洋一の名が冠せられている。

パラグアイのピラポ移住地にある開拓者の鎮魂碑

2001年に行われた入植者の合同慰霊祭には,近隣のパラグアイ人生徒も参加していた。

合同慰霊祭

同上運動会。運動会は日系人の行事として大切にされている。

(写真はいずれも2001年8月,パラグアイピラポ地区で撮影)

 

STOP WAR!

コメント (3)
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