NHKの報道で知ったのですが、反米右翼団体「一水会」の設立者・元代表で作家の鈴木邦男氏が、1月11日、誤えん性肺炎のため東京都内の病院で亡くなったそうです(享年79歳)。鈴木氏は早稲田大学在学中に右翼活動に参加し、1972年(昭和47年)に「一水会」を設立「対米自立」などを主張して「新右翼」と呼ばれる潮流を作った人ですが、元赤軍派議長故塩見孝也氏との交流など「左右」の枠を超えた方でした。2013年には、在日韓国人の作家辛淑玉氏らと「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク(のりこえねっと)」の共同代表に就任し反差別運動の旗頭となるなど一言では説明できない方でした。
私は1999年か1998年頃に鈴木氏の著書『がんばれ! 新左翼 「わが敵わが友」過激派再起へのエール』(エスエル出版会 1989年 上の写真です)を読み大いに感銘を受けたことがあります。当時の私は天皇制廃止論者だったのですが、この本を読んで思考が深まったように思ったのです。なにぶん四半世紀近い昔のことで同書が手元にないこともあり記憶も定かではないのですが、鈴木氏は同書の中でおおよそこんなことを語っていました。
―天皇は昔から時の実権を握った実力者に祀り上げられてきた存在でありつつ、日本国民の安寧を祈る司祭の役割を負わされてきた。このような重責を生身の個人に負わせ続けることには無理がありすぎる。日本国憲法の下で主権者である日本国民はその総意として天皇をこのような重責から解放する責任があるのではないか―といったことでした。太平洋戦争の戦争責任が強く語られてきた昭和天皇の崩御は、私たち日本国民がこのようなことを考えるべき良き機会ではないか(この部分はブログ主の考察です)。そして天皇制を廃止するにあたっても「愛」が必要だということが鈴木氏の主張の核心であると読み取れました。鈴木氏はイギリスの清教徒革命がチャールズ一世の処刑、フランス革命がルイ16世の処刑、ロシア革命がニコライ二世一家の処刑という具合に革命による近代化が君主の処刑とセットになるという歴史の呪縛からの解放のためにも日本国民に向けて「愛」が大事だということを訴求されていたと思います。「なるほど!天皇制を廃止するにしても『愛』が大事なのか」という発見に私は目から鱗の思いを抱いたのでした。実は同書が手元にないので、本当に上のようなことが同書に書かれていたか自信がない(別の著書かもしれません、すみません・・・)のですが、今までとは違う自分になったような思いを抱いたことは事実です。
ちなみに今現在のブログ主は天皇制についてどのように考えているかと申しますと、天皇制は廃止して日本が共和国になることが理想だと思ってはいます。しかし私は愛子内親王のファンなので、愛子様が天皇に即位するのであれば天皇制が続いても良いなと思っています(日和っています、すみません・・・)。