博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

創基200年

2017年03月31日 | 山口の風物

 昨日は福岡隣県の山口大学(山口市吉田・吉田キャンパス)に出かけていました。上の写真にありますように、大学の建物の壁に「山口大学は創基200周年を迎えました」という看板が設置されています。「創基」という言葉は聞き慣れない言葉です。「開基」というと、お寺を作ることになるかと思っていましたが、辞書を引いてみますと、物事のもとを開くこと。基礎を築くこと。 仏寺または一宗派を創立すること。また、その僧。開山。 仏寺創建の際、財政的支持を行う世俗の人。特に禅宗で開山と区別していう(デジタル大辞泉)と記されていました。別にお寺に限らないようです。

 200年というと江戸時代後期になります。山口大学の解説を引用しますと、

江戸後期1815(文化12)年、長州藩士・上田鳳陽により、山口の地での学問発展を目的に設立された私塾「山口講堂」が創立の基となります。以来、様々な学制改革を経ながらも、山口の地で高等教育の中心として脈々と歴史を刻み、地域の人材育成に貢献し、世界で活躍する多くの人材を送り出してきました。山口大学は、1949年の学制改革により、5学部で構成される国立の総合大学として創設されました。その後、1964年に山口県立医科大学が山口大学医学部として国立移管され、1978年に文理学部が人文学部と理学部に分離改組、2012年に共同獣医学部が新設されました。更には、2015年4月に9番目の学部「国際総合科学部」が誕生し、今日では9学部9研究科からなる総合大学となりました。 2015年、「山口講堂」が設立されてから200周年を迎えました。山口大学では、先人達の「志」をこれからの200年に向かって繋ぎ、そして、山口大学が更に発展するために、様々な記念事業を行って参りました。とのことでした。

 江戸期の藩校が地域の高等教育機関(たとえば加賀藩の明倫堂⇒金沢大学、薩摩藩の造士館⇒鹿児島大学とか)の基盤になっている例はありますが、山口大学の場合は藩校(藩が正規に設置した学校)ではなく、一藩士の私塾が国立大学になったということになります。似た事例では、大坂商人らが造った懐徳堂(の一部)が大阪大学の起源になったという事例くらいしか思い浮かびませんこれは結構ユニークな事例ではないでしょうか。


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