(昨日の続き)
昨日の記事でご紹介しましたように中国のような共産党一党独裁国家でも、少子高齢化・人口減少を国家権力の強制によって解決することは困難なことが分かりました。実は国家権力の強制によって出生数を増やす試みには先例があります。今から90年も昔のナチスドイツで実行された「生命の泉協会(レーベンスボルン: Lebensborn)」という施策です。第一次世界大戦(1914年~1918年)で約250万人もの若い男性が戦死した戦後のドイツは、戦争による経済的疲弊もあり極端な出生数の減少に悩まされていました。1933年にアドルフ・ヒトラーが権力を掌握するとドイツ国内の出生数を増やすことに全力で取り組み始めました。またヒトラーは「東方生存圏(Lebensraum im Osten)」という構想に取りつかれていました。この構想は、近い将来ドイツがポーランド、バルト三国、旧ソ連(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、コーカサス)を軍事的に征服し、そこに住んでいるスラブ民族の半数を抹殺し、ドイツ人を植民者として移住させる。残った半数のスラブ民族は植民したドイツ人の奴隷にする(もしくはシベリアに追放する)という狂気の構想でした。ヒトラーは実際にこの狂気の構想を実現すべく1939年に第二次世界大戦を引き起こしています。しかしこの構想を実現するためにはドイツ人が1億2千万人くらい必要とされたのですが、当時のドイツの人口はその半分程度でした。そこでヒトラーは「純血ドイツ人」の出生数を増やすために上記の施策を実行に移しました。生命の泉協会は「純血ドイツ人」婚外子の女性の出産施設として1935年12月12日に設置されました。さらにヒトラーに忠誠を誓うナチ親衛隊員(SS)には4人の子供を作るよう命令されました。その後、第二次世界大戦開戦直後には親衛隊員には未婚であっても子供を作ることが強制されたそうです。このように出生数を増やす試みが続けられましたが、ヒトラーに狂信的な忠誠心を持つSS隊員ですら4人の子供を作ることはできなかったそうです(注)。
生命の泉協会の失敗が明らかになると、ヒトラーの手下としてありとあらゆる残虐行為を実行していたSS司令官ハインリッヒ・ヒムラーはさらに狂気の手段に訴えます。ドイツ軍が占領したフランス、オランダ、北欧諸国、東欧諸国、旧ソ連などの各地域から金髪で青い目をした一見ドイツ人に見える子供たちを誘拐してきて生命の泉協会でドイツ人として育てるというものでした。こうして誘拐された子供たちは数十万人に上るとされています。上の図は実際にポーランド人の家庭から誘拐されドイツ人として育てられたアロイズィ・トヴァルデツキ氏の手記『ぼくはナチにさらわれた 』(平凡社ライブラリー文庫 2014年)です。小さいうちは金髪で青い目の子供も、成長するとそうでなくなる場合がありますが、その場合は容赦なく殺害されたそうですからひどいものです。子供を誘拐された親たちは戦後、ドイツに捜索に出かけましたが、遂に行方が分からなった事例も多かったそうです。奇跡的に再会できても子供はドイツ語しか分からず親と直接本来の母国語で話せないといった悲劇的なケースもあったそうです。本当にひどい話ばかりなのですが、国家権力の強制による出生数拡大という方策は悲劇しか生まないという教訓を私たちに残していると思います。
(注)『髑髏の結社SSの歴史』(ハインツ・ヘーネ フジ出版社 1981年)