
上の写真の『方法への挑戦―科学的創造と知のアナーキズム』(パウル・カール・ファイヤーベント/新曜社1981年)を読みました。この本は1992年の年末か1993年の正月に購入したので、実に24年間積んどいたことになります。
ファイヤアーベント(1924年~1994年)は、オーストリアのウィーンに生まれた科学哲学者です。オーストリアがドイツに併合された後、高校卒業後、ドイツ軍に徴兵され対ソ戦で生涯残る戦傷(歩行困難)を負っています。戦後イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに入学し、有名な哲学者カール・ポパーの元で学んでいます。卒業後はブリストル大学で科学哲学の教授になりました。1958年にアメリカの市民権を得てカリフォルニア大学で教鞭を執っています。退職後はヨーロッパに戻り、1994年に脳腫瘍のためスイスで死去しました。私がこの本を買って1年後に亡くなったのでした。
この本のタイトル『方法への挑戦』とは科学の方法のことです。科学の方法とは何か?私たちは「科学」というと連綿と続く知の営みをイメージします。しっかりした方法と体系がある正統な知識を求める営みですね。ファイヤアーベントによると、科学研究の営みは、そういうイメージとは程遠い、およそ無規範・無軌道なアナーキーな営みで、一言で言うと「何でもあり」(原語では"Anythig Goes")の世界なのだそうです。ファイヤアーベントはそれをコペルニクスやガリレオなどの近代科学革命の担い手の知の営みをもとに論証しています。そういう意味では「科学」は「宗教」と同じようなものだとファイヤアーベントは強調します。さらには「売春」とも一緒だとすごいことを言っています。
確かにキリスト教も、イスラム教も、仏教も、破天荒な開祖(イエス、マホメット、仏陀)が先ず人々に教えを説くことから始まっていますが、その過程では、水の上を歩いたり、病人を癒したり、生れ落ちてすぐに「天上天下唯我独尊」と言ったり、月を真っ二つにしたり、指の間から清水を湧き出させたりと、正に「何でもあり」の世界でした。しかし時代が下るにつれて宗教として体系化され政治権力と結合して正統化されていきます。ファイヤアーベントは科学も同じだというのです。確かに科学が最初から正統な体系をいつでも保持するような存在であれば、21世紀の現代でも私たちは太陽が地球の周りを回っていると信じていたかもしれません。(続く)