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1日で3箇所の図書館を視察し、大勢の市民が熱心に読書にいそしむ様子を拝見しました。そして考えたことは実に多くの本を読む人々の存在です。我が国における本離れとか読書離れは以前から言われておりますが、図書館の現場を見る限りそういう現状が非現実的に見えます。
ふとあるエピソードを思い出しました。ある日本人の作家がアフリカのサヘル諸国(サハラ砂漠の南縁に位置する国々)を旅していました。これらの諸国は内戦や環境破壊による砂漠化の進展で貧困にあえぐ国が多いことで有名です。その作家はそうした国の一国の国境を越えるとき、入国審査官に職業を尋ねられて、「小説家(novelist)」と答えます。すると審査官は「何だその職業は?」と尋ねてくるわけです。小説家という言葉を知らないのか・・・困ってしまった。作家は懸命に説明します。すると審査官は「ようするにartistだね」と言って、パスポートに判を押します。
この国には貧困が蔓延し、識字率は低く、町にも本はありません。政情不安で教育機関は多くが閉鎖されています。本屋もありません。図書館もありません。本を読む人はいないし、いたとしても生活に追われて本を読む時間は無いのです。自然に小説家という言葉も忘れられてしまったのです。ここでは自分の存在意義が無いんだ・・・作家は絶望します。
やがて作家は次の国に移動します。サヘルから南に下った大西洋に面したコートジボワールという国です。この国は70年代から80年代にかけて政情が安定し、産業も活性化し、かなり高い経済成長を実現したアフリカの日本とも言われる国です(それでも日本とは比較にならない位小さな国ですが)。
この国の国境で同じように、入国審査官に職業を尋ねられて同じように「小説家(novelist)」と答えると、審査官はそれは素敵な御仕事ですね。どんなジャンルの作品を書かれるのか?とか今まで何冊位の作品を出版されたのか?とか尋ねられます。この国では作家は尊敬され、誰もが読書に親しんでいる。何と言う違いでしょうか。
そしてこのコートジボワールと比較しても日本は途轍もなく巨大な読書大国です。同じ地球上でこんなに大きな格差があってもいいものなのでしょうか。エアコンの効いた明るく快適そのものの空間で読書にいそしむ人々を眺めながらこんなことを考えた次第です。
写真は滋賀県内で3件目の湖東図書館にある、初代南極越冬体長故西堀栄三郎記念コーナーです(この土地に実家があったとか)。
ふとあるエピソードを思い出しました。ある日本人の作家がアフリカのサヘル諸国(サハラ砂漠の南縁に位置する国々)を旅していました。これらの諸国は内戦や環境破壊による砂漠化の進展で貧困にあえぐ国が多いことで有名です。その作家はそうした国の一国の国境を越えるとき、入国審査官に職業を尋ねられて、「小説家(novelist)」と答えます。すると審査官は「何だその職業は?」と尋ねてくるわけです。小説家という言葉を知らないのか・・・困ってしまった。作家は懸命に説明します。すると審査官は「ようするにartistだね」と言って、パスポートに判を押します。
この国には貧困が蔓延し、識字率は低く、町にも本はありません。政情不安で教育機関は多くが閉鎖されています。本屋もありません。図書館もありません。本を読む人はいないし、いたとしても生活に追われて本を読む時間は無いのです。自然に小説家という言葉も忘れられてしまったのです。ここでは自分の存在意義が無いんだ・・・作家は絶望します。
やがて作家は次の国に移動します。サヘルから南に下った大西洋に面したコートジボワールという国です。この国は70年代から80年代にかけて政情が安定し、産業も活性化し、かなり高い経済成長を実現したアフリカの日本とも言われる国です(それでも日本とは比較にならない位小さな国ですが)。
この国の国境で同じように、入国審査官に職業を尋ねられて同じように「小説家(novelist)」と答えると、審査官はそれは素敵な御仕事ですね。どんなジャンルの作品を書かれるのか?とか今まで何冊位の作品を出版されたのか?とか尋ねられます。この国では作家は尊敬され、誰もが読書に親しんでいる。何と言う違いでしょうか。
そしてこのコートジボワールと比較しても日本は途轍もなく巨大な読書大国です。同じ地球上でこんなに大きな格差があってもいいものなのでしょうか。エアコンの効いた明るく快適そのものの空間で読書にいそしむ人々を眺めながらこんなことを考えた次第です。
写真は滋賀県内で3件目の湖東図書館にある、初代南極越冬体長故西堀栄三郎記念コーナーです(この土地に実家があったとか)。
ある本で読んだんだけど、アフリカのある国では普通に生活している人が、収入の半分以上が賄賂で占めてるって書いてあった。
これもやっぱり、その国が貧しいからなんだろうけど、
私が半分ニート出来るのも、その身分で、海外旅行へ行けるのも、他の家族で失業してる人がいないのも、全ては日本の経済のおかげだし。
南米の国際交流員の友達は、小学校の子供を見て、
「日本はとても恵まれてるのにもったいない。だって南米の国では、一般的に学校にいける子供は少ないし、行ける子供は本当に嬉しいし、喜んで勉強する」って
・・・私なんていやいや行ってて。行く所がないから、ただ椅子に座ってただけなのに・・・
こんな事言って良いか分からないけど、小さい時にみんな1度は1週間ほどアフリカでボランティアすると言うのが学校の事業であればいいのに。
そしたら、自分がいる世界はどれだけ恵まれていて、幸せであるかと言う幸福観を感じれると思うし、今よりは目的を持って生きていけるんじゃないかな。
でも、知らないほうが幸せだったのではないかと思うことまで知ってしまいます。余計なことまで考えてしまいます。