ただ個人的な釣行日誌

すみずみまで読んでください

ストレリチア、モンステラ、ポリシャス etc.

2014年01月13日 00時57分01秒 | Weblog
 1月12日(日)。鉛色の空の下、いろいろと用事があって出かけなければならない。仕事が込んでいるので今日だけ休みなのだが、ゆっくりとはしていられないのである。
 去年家内がぶつけたステップワゴン(怒)の修理が終わって納車になったのが暮れであった。約一ヶ月経ったらボルトの増し締めなどをしたいので来てくださいと、ホンダカーズ三畳中央の橋本氏に言われていたので、行った。
 この橋本氏、つくずく佐藤浩市に似ている。つい三國連太郎が亡くなったことを思い出してしまう。スーさんもとうとう釣りに行けなくなってしまった。
 そのステップワゴンの点検とは無関係だが、サービスマニュアルを引っ張り出してもらい(ワガママな!)読ませてもらう。ついでに店のコンピュータから関連するページを印刷までしてもらった。欲しかったのは、バンパーの「上手な」はずし方と、フロアカーペットの剥ぎ方、等々である。
 つまりヒッチを付けようというわけなのである。とうとうその日が来たのである。ステップワゴンでトレーラーを引くときが。
 後は陸事に行ったり、etcの書き換えをしたり、jciにて航行区域の変更をしたり、水、食料、ベッド等のセットをしたり、ヒットラーがベルサイユ条約破棄し軍備を増強していったように、着々と、粛々と、黙々と、淡々と事態は進んでいくわけである。
 皆さんも、こういったナチスの手口を、学んだらどうでしょうか。
 
 また園芸コーナーに立ち寄ってしまう

 どうしても大きなホームセンターが近くにあるところに用事に行くと、つい立ち寄り、衝動買いをするわけである。今回も例にもれず、買った。
 今回はちょっと、越冬温度の高めのものに手をだした。しかし私の書斎は15度以下には下がらないようにしてあるので、まず大丈夫だと思う。


 ミリオンバンブーである。


 ストレチア、ポリシャス、ドラセナ・アイボリー、モンステラである。

 モンステラは、ダイソーで買ったものである。大丈夫なのだろうか。原価はいくらぐらいなのだろうか。まあ雑草みたいなものだろうからね。暖かい地方に行けば。
 早く春になり、消費税が上がり、景気が後退して暇になったら思う存分趣味を満喫したい。

おわり
 
 

謹賀新年

2014年01月01日 02時30分47秒 | Weblog
あけまして、おめでたいのかおめでたくないのか、一休和尚のような人生観で迎える正月である。

本来ならば昨年父が神様の元に旅立ち(地獄に旅立った可能性も否定できませんが)、喪中につき新年の挨拶を失礼致すところである。

しかし、昨年暮れごろ急に仕事が忙しくなり、まるで20年前みたいなバックオーダーを抱えたまま、テレビニュースも株価が上がりきって納会を迎え、大変不気味な年末を迎えたわけであるから、これはまあめでたいと言っておかねばならないわけである。

安倍総理がアベノミクスを唱え出してしばらく経ってもなかなか景気の良さが燕にまで回って来ないので、ああやっぱり大法螺だったんだ、選挙のためのかけ声だったんだと皆、嘆いていたわけである。秋口なんかすごーく暇で、暇つぶしにネットを見ていると、多くの学者先生方がアベノミクスで景気は良くならないとユーチューブなどで力説していた(いる)。手鏡で捕まった植草教授などに至っては、「大阪のあべのにある料理学校の、お好み焼きのミックスが美味しそうだというので焼いて食べたら、中からエビやタコがでてくるかと思いきや、サソリやゲジゲジが出てきた」などと揶揄する始末である。もともと権力嫌いだったのが手が後ろにまわり、骨の髄(骨髄か)まで恨みが浸透したと見ればその限りだが、いやあなかなか、ことほどさように旨い話には毒が混じっているのかもしれませんな。

釣り師の悩み「冬の趣味」を探る

毎年冬になると超暇になり、精神力が低下し、途方にくれるわけである。

多くの釣り師が冬期間、暇をつぶす手段を模索していることと思う。

若い頃はスキーが好きだったが、今は一緒に行く友人も皆卒業し、私も専らウイスキーになってしまった。

このような駄洒落を聞いてもらうため、近所の店に飲みに行くようになって久しい。家内は金がかかると文句をいうが、一体どれ程使うというのだろうか。せいぜい三万といったところだろう。

釣り具の自作というのも昔やっていた。この冬も久々にやるつもりだが、出来た物をテストしに行けないのが苦しい。たくさんのプロトタイプを作って終わりそうだ。

ボートの修理・艤装等も、寒さのためはかどらない。春になってからの作業である。

読書、研究なども本来すきだったが、年のせいか目標が無く、駄目。

しかし、最近とっても素敵な趣味を発見した。

観葉植物である

一昨年何気なく、殺風景な部屋にアクセントを求め、ヤフオクでゲットしたドラセナジェレを、なんとか無事に越冬させ、自信をつけたのを皮切りに、徐々に難易度の高い品種を購入していくことにした。最近少し南国情緒が出てきたような、まだまだのような・・・


約倍に育てたドラセナジェレ。


これは母の年金受け取り口座のある銀行が送って来たドラセナマッサンゲアナ。


テーブル椰子とフィカスロブスター(これを大きくするのである)。


ティアックのスピーカーなどの上に置くのも乙なものである。

まだまだ始まったばかり。この冬はこれで行こう。








5月14日釣行

2012年05月17日 21時17分27秒 | Weblog
5月14日(月)晴れ。

O氏と私で同時に臨時検査を受検するため、それぞれ仕事を休み、ついでに釣りをしようということで、来た。

早朝アジを狙うが全くだめで、疲れと眠気が覆いかぶさった。

沖に行くと凄まじい藻が表層から低層まで漂い、テンヤにも反応が無く、浅場に来れば巨大なトラフグが釣れたり、なんか海の中の様子が変であった。

臨時検査に臨むため帰港直前にO氏が約70センチの鯛を釣った。とてもうれしそうだった。

検査が済んでまた出たが、波が出てきて終了となった。

次はがんばろうと思う。

野田首相が18からずっとタバコを吸っている件について

2012年03月10日 22時16分52秒 | Weblog
昼ごろスポーツクラブに行き、軽く激しいマシントレーニングをしてサウナに入り、ふらふらになったところで、三時頃、遅い昼食兼朝食をカレー屋でとった。

読売新聞を広げて、お冷をがぶ飲みしながら、偏向した言わばマスゴミの報道である点を念頭に置きながら読んでいたら、野田首相が未成年からタバコを吸っていたことが露呈された発言が出ていた。

どうやら大将、18から吸っていたと口を滑らしたらしいですな。

え?そんなに遅いんですか!と、一瞬思った。

こういう人を奥手という。

と、咄嗟に思ったが、政治家が真実を言うとは限らない、否、真実なんか言うわけが無い、という当然のことに、はたと気がついた。

普通はもっと早く吸い始めるものである。多分中学生の終わりごろ、興味本位でふかす筈だ。

一日三本などと、軌道にのってくるのが大体高校に入ってから。付き合いもあるし、人が集えば吸わないわけにもいかないではないか。

人付き合いが上手で出世してきた、君子の交わりは水の如しの野田首相が、「僕はそういうのは吸わないから」などと孤高でいたとは考えられない。

自分のことを振り返れば、中学のころからウィスキーをちびちびとすすっていた。タバコは高校に入ってからだった。何れも節度をもってたしなむという、いわば今に通ずる摂取態度である。

大人になり、子供が産まれたとき(今年中学3年だ)、きっぱりとタバコをやめた。以来一本も吸っていないし吸いたいとも思わない。多分体質が合っていないのだろうと思う。

酒は、ときどき飲みすぎるが、今ではウィスキーの瓶にマジックでその日の飲み始めの目盛りをつけ、飲み終わりの目安にして次の日に残らないようにしている。

そのせいか、痛風も起きなくなった。

これはもう、もって産まれた性格なのではないかと思うくらいなのである。がめつくないんだよね、要は。

大体こんなこと、国がきまりを設けるんじゃなくて、家族や周りがたしなめることだろうと思うのである。

だから官僚が西洋(アメリカ?)の法律を真似て制定したこのようなきまりなんか(西洋と付き合う関係で必要だったのだろうが)、守れなくても、いささかの罪悪感も起きてこないのである。

酒なんか、ヨーロッパじゃ高校くらいから飲んでもいいらしいよ。

日本でもホントは年齢制限なんかないのである。なんたって首相自らがその法定年齢を覚えていないくらいなんだからさ。





ここまで言って委員会の志方氏の発言に異議あり

2012年02月12日 22時10分27秒 | Weblog
連日の大雪と寒波で外仕事をする気になれないので、FRPの小工作を暖かい自室内で行うことにした。

道具一式とお茶を用意し、久しぶりにテレビを見ながら作業を始めたら、たかじんのそこまで言って委員会をやっており、相変わらず初心者の投げ釣り仕掛けのように右へ右へと行ってしまい、ヒヤヒヤさせられる番組に変わりはなかった。

田中直紀防衛大臣が、公務員の立場を利用して選挙運動を行ったとして問題になった沖縄防衛局長を不必要に更迭しようとしているとして右側の論客がこの局長を擁護するような雰囲気になったが、要は誰それに投票しろと呼びかけたのではなく、きちんと投票に行けという講話を行っただけとしたいようであった。

「この防衛局長に違法性は無い」ということが言いたいらしいのだが、私もその講話を聴いたわけでもないからどうなのか分からない。たぶんわざわざ講話を開くのだから誰かに投票してほしいと伝えたのだろうと思う。が、詳細をしらべる人も出てこないだろうし、うやむやで終わるだろう。

そのためか、志方俊之氏が「自衛隊内でも上司が部下に誰に投票しろなどということは無い」ということを言っていたが、確かに「誰」とか「何党」とかははっきり言わないまでも(ポロッと言う)、誰にでも分かるように投票を強く呼びかけるのは選挙になると毎回行われていることであった。志方氏はこのことを本当に知らないのだろうか。

私が勤務していた部隊では、営内に住民票のある隊員の有権者は、みな同じ投票所に投票に行くが、この投票所の集計結果に予想されているほど自民党得票数が無いと言われていて、必ず選挙の日(日曜)には外泊していた者も、実家に帰っていた者も朝決められた時間までに帰隊し、陸曹の引率の下集団で投票所にてくてくと向かい、投票し、部隊に帰り、まためいめいの自由行動に戻るという、ほとんど強制連行が行われていたのである。

あるときなど、引率の陸曹が、「自民党だぞ、社会党に入れるなんてとんでも無いことだ」とくだくだと語りながら連れて行かれたが、

確かその日は社会党に投票したような記憶があります。

もちろん日本社会党なんか支持していないし、東西冷戦の真っ只中であった当時、自民党を支持するのは当然のことと、認識していた。

しかし、なぜかそのとき、そうすることが、言われたとおり自民党に投票することより数段レベルの高い、高尚な行動と思えたのである。

あと他に、某三等陸佐の訓示も、やはり立場を利用した選挙活動と言わざるを得ない。

この某三等陸佐、なんと「我々は誰から給料を貰っているか良く考えれば、どの党に投票しなければならないか分かるはずだ」と言ってのけたのである。

これ、よく考えると凄く面白い発言だな。

ようく考えると、なんかヒットラーとSSみたいではないか。

今で言うところの、人民解放軍という感じだね。あれは完璧に中国共産党の軍隊だからさ。

いやあ~しかし泉田先生、自分が自民党の私兵に応募していたとは気付きませんでしたわ~(爆)。


しかし冬は釣りに行けず暇ですな。ついくっだらないことを考えてしまいます。




祝合格Ⅱ

2012年01月16日 22時59分51秒 | Weblog
次男が長男の通う学校を受験し、無事合格した。

ご指導いただいた方々には感謝を申し上げる次第である。

この勢いに乗って、大サワラ大漁、春の真鯛大漁、初夏のワラサ大漁、夏のいろいろな雑魚類ほどほどに豊漁、イカ大漁、落ち鯛大漁、イナダ・ブリ大漁、と行く予定である。

関係者の方々にはよろしくご指導ご鞭撻をお願いいたします。

あっ!遅れましたが、あけましておめでとうございます。


○岡花火を見に行く

2010年08月04日 22時28分58秒 | Weblog
8月3日(火)晴れ。

某有名花火大会に行った。

三時に仕事をやめ、準備をし、出発する。途中のスーパーでつまみとおにぎり関係を調達し、下道を走る。

五時ごろ川を渡り、駐車場を探すが、近代美術館など無料駐車場は全部満車だ。有料駐車場を使う。二千円なり。高いか安いかは、微妙なところだ。

すぐ前が日赤前の堤防であった。日陰なので大勢の人々が陣地を敷いていたが、トイレが近くにないので、さらに進み、ジャスコの近くまで行った。




向こうに日赤が見えるが、これだけ歩いてきたということである。たいした距離ではないが。








これが噂に聞く抱きつきナントカである。


















7月24日釣行

2010年07月29日 23時28分25秒 | Weblog
7月24日(土)。晴れ。

西や南の風が吹き、外側はミニボにはきつい波っ気があり、船内にこそ入ってこないが、走りにくい。

他の船は港内でアンカリングして釣っている。まねをする。

ほぼボーズであった。時間がもったいないのでT氏と申し合わせ、上がる。

あまりにつまらない釣行記だ。きっと新島崎川周辺の投げ師の方々のほうがいっぱい釣っていると思う。

さっさと帰り、家族とラーメン屋に行った。

吉田に飲みに行く

家内の仲間がやっているスナックがスタービルにあり、みんな(飲み仲間)で行こうと言い出す。

○ニラ、という店だ。

この店の場所は、店子がころころ変わるが、この○ニラは初めて行った。

家内が、あそこは凄く高いから行くな、と言っていて行かないのであるが、多分よその女に入れ込むといけないから行くな、と言っているんだろう。

家内がグループで頼むと特別価格である。まあこれはどの店も同じだ。





これは家内の親友だ。

他のオヤジの画像はナイ。

かなりのハイペースで酔い、いつもどおり帰りの記憶なし。こういう飲み方は、あと何年くらい出来るのかなあ。

越後丘陵公園に行った

2010年07月11日 22時05分45秒 | Weblog
7月10日(土)雨のち曇り。

ラベンダー祭りだとかというチラシが学校から配られて、他に行くところもないし、天気も不安定だし、旅行も、カネ使いたくないし、何となく、また越後丘陵公園に行った。

何故か、すごーく空いていた。




何故こんなに空いているのだろうか。

悩んだ。

暑くも無く(暑いと言えばまあ暑い)、風もあり、なかなかすがすがしい気分である。

変形自転車も待たずに乗られた。








掃海艇見学

2010年06月29日 22時04分06秒 | Weblog
6月26日(土)。曇りのち小雨。

日ごろお世話になっている某港に、自衛隊の艦船が寄港し、一般公開された。

釣友のT氏が出るのに私が出ないのも変だが、最近家族を連れて外に出ていないので、ちょうどいいやという感じで、この港にきた。







細かい事を言うようだが、指が伸びきっていない。指は伸ばして、くっつけるように!



バルカン砲と妻子+家内の友人の娘。







非常に場違いな感じがする画像だな。お前と掃海艇は合わん。


いや~しかし、眺めの良いブリッジである。長岡のH号が帰ってくるのがすぐにわかった。

急遽、艦を降り、スロープに行き、すでに上がっていたT氏、H号と三者で釣り情報交換会となった。

どうもキスはだめのようである。

今週末出たいのだが、何を狙えば良いのだろうか。悩む。

オオアジ、イナダは、もう駄目だろうか。

悲しい。

このあと、ラーメンを食べ、柏崎のプールに行った。

久しぶりに家族と過ごした。

祝合格

2010年01月17日 17時03分44秒 | Weblog
1月17日(日)曇り。

息子が受験した某学校の合格発表の日である。

結果は、見事合格!であった。

受験対策などのご指導、ご心配等いただいた皆様、ありがとうございました。

これで六年間、家の近くに通学できる。余ったエネルギーは全部勉強に向けてもらおう。

高校受験も無い。よって電車賃もかからない。

しかし、この学校、非常~にいっぱい勉強をしなければならないのである。

そりゃそうだろう。受験勉強しないで高校卒になったらたまんないよな。

とにかくいっぱい詰め込んで立派になっていただきたい。期待してまっせ~。

このように長男ががんばってくれると、正直ホッとしますな。

肩の荷が少し降りました。少々波があっても安心して沖に出られます。

1月16日成田空港

2010年01月17日 00時33分38秒 | Weblog
家族でまた帰省することになり、とりあえず家内と子供だけ先に帰すため成田へ行った。

15日(金)の夜出発、ひたすら関越道を上る。とにかくすごい雪で無事着けるか心配になった。

関越トンネルまで、スターウォーズのハイパードライブ状態で、目が変になりそうであった。

ワイパーは氷がくっつき、役目を果たさないし、ウォッシャー液は普通の水を入れておいたのを忘れ、凍って出ず、路面は圧雪のでこぼこが至る所にあり、バイブレーションを車に与える。県内だけで倍くらい時間がかかった。

国境の長いトンネルを抜けると、一面の、雪の少ない世界だった。さらに行くとからっと乾いた世界になった。やたらと鼻が乾く。

なんとか通行止めもなく、三時過ぎに成田手前のパーキングに着く。

帰りは割と路面も良い状態であった。

来週は私も行く予定だ。http://ezsch.ezweb.ne.jp/search/?query=%82%D9%82%A4%82%B6%92%83+%92%C9%95%97&start-index=7&adpage=3&ct=2097152&sr=0101&t=20100518113733

新年会をやる

2010年01月10日 11時43分05秒 | Weblog
強烈な二日酔いから醒め、すごーく気分が良い。

昨日一日ダウンしっぱなしだった。

金曜の夜、いつもの店でT氏(これからT先生と呼ぶと紛らわしいのでこう呼ぶ)と新年会を開いた。T氏は人に勧められるまま買った馬券が全部当たり、500円が5500円に化け、上機嫌だった。なお、私は常に上機嫌だ。負け惜しみに聞こえるかもしれないが。

他の客がすべて帰ったところで、念のため名前は伏せるが、ある学校の、かなり位の高い先生がぶらりと入ってきた。

この先生とはこの店で前にも会っている。今日は新年会の帰りだと言うことである。

少し飲んだ後、盛り上がりのついでにカラオケに行こうということになり、急遽閉店、タクシーを呼び、マスターを含む四人で市内のスナック○れな草に行った。

とにかくこの先生の歌の上手さにたまげてしまった。私のように下手の洋楽好きなどとはレベルが違うのである。

大量に、ほかの客などからも注がれるまま飲み、いつも通り帰り道の記憶もなく、帰宅した。

ところでこの次の日(ダウンしていた日)は息子の受験日なのだが、この先生はそのことを知っていて、いきなり「飲んでていいんですか」と言われ、返す言葉を探すものの見つからず、証人喚問に引っぱり出された政治家のようになってしまった。

グーの音も出なかった。「酒は飲むべし」「果報は寝て待て」、いや、へたなことはいわない方がいいな、と言う感じだった。

今年は良い酒が思いっきり飲めそうな気がしてくる新年会であった。

新年会出席

2010年01月07日 21時55分49秒 | Weblog
一月五日(火)。

恒例である取引先の新年会に出た。

基調講演は○川正恭という弁士だった。正直、私はテレビをあまり見ないため、この人を知らなかった。

講演内容は、実に簡単で、日本を真の民主主義国家にしよう、政治主導に切り替えよう、と、ただそれだけと言って過言ではなかった。

実にわかりやすい、二元論ではないか。
(はっきりと善悪二元論ではないが)

さらに、人類は未開の社会から輝かしい未来へ段階を経て進歩するという、進化論のようでもある。
(制度はいくらでも変わっていくが、人間という生物は進化しないというのが私の説である。むしろ退化するのではないだろうか)

政権は変わったが、用心していないと、支配階級が、善人面が上手で巧妙に権力を集めるグループにすげ変わってしまうだけかも知れない。

もちろん、そうならないように国民の意識を高めろ、というのが北川先生の講演内容なのであろう。

宴会

二日前にもお呼ばれで酒を浴び、きびしい体調で臨んだ。今ブローリーというノンアルコールビールを飲みながら書いているが、これら宴席の後遺症からであることはいうまでもない。

とにかく酒がすすむ宴席だ。ただひたすら良い話をし、うまいごっつぉを食べ、まともな列席者(と、まともを装う列席者もいるだろうが)と、ひたすら会話をする宴である。

年がら年中こんな宴会があったら最高だ。

もっとも我が釣友と飲む反省会・定例会類も、もちろん最高である。おっと、最高が二つも出てきた。

とにかく野暮天や乱暴者が混じる宴会をどうにかしてほしいものである。

絡み酒、愚痴、因縁の付け合い(喧嘩になったら、みんなが止めてくれるから気軽いに罵詈雑言を浴びせる)など、おそらく知識や教養、情報がないため必然的に生じる、例えるならば猿のマウンティングみたいなものかとも思うが、およそ目的合理性のない、脳内の興奮に任せるがままの、一連の行動が、そこかしこに散見されるのである。

話を戻すが、この席には民主党の必殺仕分け人、菊田まきこも来賓として呼ばれており、名刺を配りまくっていた。

私も自作の名刺を交換しまくっていたが、途中、痛恨の名刺切れをおこし、名刺ケースはもらった名刺のみが収まり、名刺交換終了となった。

しかし、去年に続き今年も、この会社は前年比106パーセントの売り上げ達成ということである。去年は確か104パーだったと思う。

とにかくたっぷりと飲ませてもらいました。

明日は私らの新年会である。今年こそはまじめに釣ろう!という話になるだろうなあ。例年通り。

火事

2009年11月28日 18時27分35秒 | Weblog
今週も忙しい一週間だった。

追い打ちをかけるように、担当地域で火災が発生した。

26日(木)お昼前、消防車がサイレンを鳴らし、疾走していく。

20分位したら電話がかかってきた。出動である。

押っ取り刀で現場に着いて、いろんな作業を手伝う。



火災現場は、中央通り5の2にある(株)○湊製作所である。

野次馬がいたが、皆マナー良く(?)見物していた。

ただ困ったことに、団員の一人が、一般車両が入ってこないように迂回路へ誘導する交通整理をしていたら、チンピラのようなのにからまれた。

この男、誘導されて渋々曲がってしばらく行ったところで車を止め、降りてわざわざ団員のところに来て、「看板くらい立てておけ!警察呼ぶぞ!」などの暴言を吐いた。

この団員がもし私だったら激しい口論になっていたに違いない。

だいたい警察は、すでに来ている。今呼ぶから待ってろ!と私なら間違いなく言っていた。

まあ、当ブログをごらんの方々にはこのような、立場の弱い者(このケースでは、消防団の看板を背負っているのと、大事な任務をはなれて売られた喧嘩を買い、反撃する余裕がないという立場である)に高圧的な態度にでるような人はいないと思うが、もしそのような輩に遭遇した場合は、激しく軽蔑するように、是非お願いしたい。

本題の火事のほうであるが、約二時間後に鎮火、私らの後始末も三時半ごろ完了し、某大衆食堂○川に集まり、かなり遅い昼食となった。

皆けっこう疲れたようであった。私もたくさん飲む気になれなかったので、すぐに帰った。