ただ個人的な釣行日誌

すみずみまで読んでください

6月18日釣行

2011年06月18日 23時16分20秒 | 釣り
6月18日(土)曇り一時雨。

相棒のT氏が船外機修理中(ドック入り)のため、一人で港に向かった。

港に着くと、O氏が来ていた。この時点で、沖に行けることが確実となった。

単独は不安ですからね。まあ結局行っちゃうんだけど。

支度をして漁礁に向かった。

O氏は良いポイントを知っていて、早速良型のソイを上げる。

私は、ちょうど傍にいるのでポケナビにポイント登録をする。

その後、私の竿にもあたりがあり、同じようなソイが乗ってきた。



しかし、今日はこの一匹でお仕舞いになってしまう。O氏は納得がいかない様子だった。

次に期待である。

初釣行惨敗

2011年06月12日 21時51分43秒 | 釣り
6月12日(日)曇り。

やっと今季初の釣りに行く事ができた。

フィリピンでは何故か釣る気が起きず(おそらく新潟が釣りシーズンに入っているから帰ってたくさん釣りに行けると思うと時間がもったいなくなったのだろう)、とうとう初釣行が6月になるという、自分でも一体何をやっているのか疑問が湧いてくる展開である。

しかし何処へ行ってもあまり魚が上がっていない日だった。仲間はホウボウの良型やチャリコのでかいのなどを釣っていたが、本命のアジ・サバは上がらず、忍耐のみの一日(半日)となった。

魚が釣れない日だからだろうか、いざという時には来て欲しいが、それ以外のときにはあまり来て欲しくないビッグな船が、我がボートに向かって進んで来た。甲板の上の人の手に握られたメガホンは、こっちを向いていた。

「お楽しみのところ申し訳ありませんが、伺いたいことがございます(だったかな?)」

と言いながら、磯釣りようの長いタモを伸ばしてきた。登録書類と免許証を入れろということである。

さらに、救命浮環と救命胴衣、信号紅煙を見せろという。

書類のチェックが終り、無事に終了した。

その後、片っ端から全部のボートを検査していた。

もちろん一緒に漁礁に来ていたO氏、H号も受けた。



画像はO氏である。

ところで、皆釣果に恵まれず、不完全燃焼の半日であった。




またフィリピンに行く

2011年06月07日 23時06分29秒 | フィリピン
もう当分行かねえぞ、と固く心に決めていたフィリピン旅行に、あっさりとまた行ってしまった。

なんだかんだ言いながら毎年行っているここ数年である。知り合いのフィリピン関係者で、こんなことをやっている家庭は無い。

大震災で大変なこの状況で、こういう贅沢をして良いのだろうか。

まあ東電幹部の贅沢な暮らしに比ぶれば、われ等が遊蕩などささやかなものよ。

しかし、大真面目にこの辺でフィリピンに行くのは一区切りつけたい。


旅行日程

まず、家内を5月22日に成田へ送る。先に帰すのである。以前は私も仕事において責任が無かったし、子供も幼かったのでベロリ二週間同行出来た。

しかし今はもう子供も学校の勉強がだんだん難しくなってきたし、私も取引先に気をもませるのが心苦しいから、一週間が限度ですな。一日おまけして8日間とした。

私と子供は5月27日に出発した。

フィリピンに着いて

すぐ次の日、家内の兄さんの一周忌の法要に参列する。



僧侶は来ず、熱心なクリスチャンの方々が執り行う。チャーチグループの活動家だと思うが、この光景、ちょっと見だといわゆるハウスチャーチみたいなちょっと異端っぽい雰囲気だ。

しかし、祈る気持ちを否定するつもりは全く無い。とにかく成仏していることを願う。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

おじさんのいる田舎に行く

毎回行っている田舎「ナマタカン」であるが、今回フィリピン渡航に一区切り着け、当分行かない決意を固める意味でここに思い出の画像を残したい。

約10年前に購入したわれらの田んぼ20000平米は、以来あまりインベストメントがリターンしないようであるが、まあそんなつもりで取得した農地ではないし、値下がりさえしなければ良い。
(円高なのでじゅうぶん値下がりしてますな)



これはティラピアの養殖池だ。ほかに雷魚、鯰もいる。



農業機械をあまり使わないこの国では貴重な動力である。



水路で泳げるのである。日本では考えられない光景だ。めだかもいっぱいいる。







私の好きな風景をカメラに納めてきた。



まだ建設中のレジャー施設でバーベキューをやる。



MAX'S RESTAURANTにて。





エクストリームリー・エクスプレッソにて。