僕が毎日てきとうに書き連ねているはてなダイアリーの昔の日記から引用します。
昔はこんなことをよく考えていて、いつも機嫌が悪かった。昔はなんでもかんでもはてなダイアリーに書き付けていた。
会社シリーズ
3ヶ月のロングリリーフでした。
なぜ問題がなかったか、というと、リーダがリーダらしく、ふるまっていたから、という一点に尽きます。
管理業務、リーダシップを丸投げしなかったから。
「仕事しない」と部下のグチを言うリーダ、マネージャに限って、「部下の成長を願って」を隠れ蓑に、自分が本来やらねばならない「長」としての仕事を、単に「やりたくないから」という理由で放棄するヒトが多いですね。
まあ、現在企業社会は慢性的な人材不足で、ヒトの上に立つ器でないヒトが上に立たざるを得ないので、仕方がないといえば仕方がないのですが。。
企業社会においては現在、多くのヒトたちが、組織がフラットになってゆくことを願っています。
でもそれはネガティブな意味において、でしょうね。上司は、昨今著しく「仕事人間」としての品質が下がってきた部下(若手)の面倒を見切れないから、という意味で。部下は、「つかえねー上司」の言うことなんか聞いてられない、という意味で。
でも、組織がフラットになっていったらますます自己責任が重くのしかかってきます。それは「責任」を、強制的に一手に引き受けされられていた存在(「中間管理職」的な)がいなくなるということなのですが、その覚悟は果たしてあるのでしょうか?
「自己管理」すらアヤしいヒトたちに、フラットな組織で華麗に立ち振る舞いなさい、と要求するのは、あまりに酷ですね。
まァこれは杞憂なので、大丈夫です。日本の会社組織の根幹が、フラットな組織になってゆくことは、ゼッタイにありません。ですが、スピンアウトして、フラットな組織を志向する会社は少しずつ増えてゆくでしょうね。ですが、それがメインストリームにはなりえません。
なぜならば、就職をする、という行動そのものが自己責任の一部放棄だからです。(すべてではありません)企業というのはそういう人間の集まりなのですから。。
そしてそういう人間の「労働力」を吸い上げて搾取する構造になっているのが、企業体なのですから、そういう人間には自己責任の意識を持ってもらいたくはないはずなのです、上層部は。
※注)こっから下はあんまり関係ない
ミチクサ(散歩、都市論etc)
「独自ドメインぐらいとれ」って
何年か前には、独自ドメインでないホームページを馬鹿にする風潮がありました。
今はブログが主流で、ブログは独自ドメインである必要がないので、そういう風潮も収束しましたが。。
ホント、馬鹿にするほうが馬鹿ですよねえ。。
その風潮に対して、ホームページというものすら持っていない自分が、ものすごくハラが立っていたことを思い出したのです。
なぜなら、独自ドメインでない、というのが、「持ち家でない」とイコールのような気がして。。
間借りで何が悪いのか? と。
URLというものは、ブックマークする、あるいはハイパーリンクさせるものなのですから、別にドメイン云々を意識する必要は全くないのです。
そして、ドメインは「住所ブランド」という意味合いもありましたね、かつては。。
独自ドメインであっても「.comじゃなきゃダメ」「co.jpはダサい」みたいな。。
。。もっと馬鹿らしい差別意識でしたね。
そして「.net」はニュートラルというか。。ダサくもなく、可も不可もなく。
ヒトは、どんな要素からも差別意識を生成することができるんだな、というのが、少しオトナになった最近の感想です。
そういう「これがいい」「あれはダメ」という決め付けに対してはホント、要注意です。
昔はこんなことをよく考えていて、いつも機嫌が悪かった。昔はなんでもかんでもはてなダイアリーに書き付けていた。
会社シリーズ
3ヶ月のロングリリーフでした。
なぜ問題がなかったか、というと、リーダがリーダらしく、ふるまっていたから、という一点に尽きます。
管理業務、リーダシップを丸投げしなかったから。
「仕事しない」と部下のグチを言うリーダ、マネージャに限って、「部下の成長を願って」を隠れ蓑に、自分が本来やらねばならない「長」としての仕事を、単に「やりたくないから」という理由で放棄するヒトが多いですね。
まあ、現在企業社会は慢性的な人材不足で、ヒトの上に立つ器でないヒトが上に立たざるを得ないので、仕方がないといえば仕方がないのですが。。
企業社会においては現在、多くのヒトたちが、組織がフラットになってゆくことを願っています。
でもそれはネガティブな意味において、でしょうね。上司は、昨今著しく「仕事人間」としての品質が下がってきた部下(若手)の面倒を見切れないから、という意味で。部下は、「つかえねー上司」の言うことなんか聞いてられない、という意味で。
でも、組織がフラットになっていったらますます自己責任が重くのしかかってきます。それは「責任」を、強制的に一手に引き受けされられていた存在(「中間管理職」的な)がいなくなるということなのですが、その覚悟は果たしてあるのでしょうか?
「自己管理」すらアヤしいヒトたちに、フラットな組織で華麗に立ち振る舞いなさい、と要求するのは、あまりに酷ですね。
まァこれは杞憂なので、大丈夫です。日本の会社組織の根幹が、フラットな組織になってゆくことは、ゼッタイにありません。ですが、スピンアウトして、フラットな組織を志向する会社は少しずつ増えてゆくでしょうね。ですが、それがメインストリームにはなりえません。
なぜならば、就職をする、という行動そのものが自己責任の一部放棄だからです。(すべてではありません)企業というのはそういう人間の集まりなのですから。。
そしてそういう人間の「労働力」を吸い上げて搾取する構造になっているのが、企業体なのですから、そういう人間には自己責任の意識を持ってもらいたくはないはずなのです、上層部は。
※注)こっから下はあんまり関係ない
ミチクサ(散歩、都市論etc)
「独自ドメインぐらいとれ」って
何年か前には、独自ドメインでないホームページを馬鹿にする風潮がありました。
今はブログが主流で、ブログは独自ドメインである必要がないので、そういう風潮も収束しましたが。。
ホント、馬鹿にするほうが馬鹿ですよねえ。。
その風潮に対して、ホームページというものすら持っていない自分が、ものすごくハラが立っていたことを思い出したのです。
なぜなら、独自ドメインでない、というのが、「持ち家でない」とイコールのような気がして。。
間借りで何が悪いのか? と。
URLというものは、ブックマークする、あるいはハイパーリンクさせるものなのですから、別にドメイン云々を意識する必要は全くないのです。
そして、ドメインは「住所ブランド」という意味合いもありましたね、かつては。。
独自ドメインであっても「.comじゃなきゃダメ」「co.jpはダサい」みたいな。。
。。もっと馬鹿らしい差別意識でしたね。
そして「.net」はニュートラルというか。。ダサくもなく、可も不可もなく。
ヒトは、どんな要素からも差別意識を生成することができるんだな、というのが、少しオトナになった最近の感想です。
そういう「これがいい」「あれはダメ」という決め付けに対してはホント、要注意です。