本庄高校のバスケット部は、あまり強くありませんでした。
しかし、一つ上の学年は、本庄西中学のメンバーが4人入っています。県大会で優勝したメンバーです。
だから、しっかり練習していれば、かなり強くなれるはずでした。
しかし、それがあまり強くならなかったのは、やはり顧問が素人だったからでしょう。
練習に先生が出て来たことはほとんどありません。試合の時だけ来てくれる先生でした。
実は、この先生も面白いことに、後に麓原会のメンバーになるのです。
本庄高校は、古川先生がいて、教員の仲間にも絵を教えていました。
バスケット部の顧問の先生は、物理の先生なのに、趣味は絵でした。
教員の仲間で絵の会を作って、柏美会という名前で活動し、文化祭などではその会で展示をするくらいでした。
古川先生のようなすごい先生がいると、そういうこともあるのですね。
尤も、高校1年の私にとっては、そのことは全く関係ありません。
まだ、私は絵のことがなにも始まっていないのですから。
私が1年で、バスケット部に入ったとき、先輩たちは「どれどれ君はどんなシュートを打つのかな?」と言って、私にシュートをさせようとしました。私が0度から、きれいなジャンプシュートを放つと、「ホー、なかなかやるじゃん」という反応でした。しかし、ややなめた反応です。この時点では、それが脅威に感じる日がくることを、先輩たちはまだ知りません。
ちょっと変わった人がいました。その人はびっこを引きながらプレーをしていました。
先輩たちの中では、れっきとしたレギュラーですが、生まれつきなのか、片足が長さが違うのです。
だから、走り方もとても大変そうなのですが、プレーはできるのです。私はあまりそのことに触れてはならないのかなと思って、避けましたが、あのような人でも極普通にバスケットをしていることに感動しました。
バスケットの練習については、特にお話することはありません。
大した練習もしないで試合に行ったような気がします。
一番覚えているのは、私が初めて試合に出たときのことです。
我々1年は、レギュラーなどとは程遠く、先輩たちの試合を見ているだけのような存在でしたが、
あるとき、先輩たちが5ファールで退場してしまい、1年生が出なければならない状況になりました。
その時、なぜか私が指名されました。
だから、練習を見ていて、1年で一番うまいのは菅野だと先輩たちが見ていてくれたのでしょうか。
試合に出ろと命じたのは先生ですから、先生は先輩たちに聞いていたのだと思います。
相手のチームは、強いチームで、先輩たちは今まで勝ったことがなく、負けるのが当たり前の感覚で臨んでいたようです。
私はそんなことは、全く知りません。出てすぐ、45度でパスをもらいました。すると、相手チームは私に付いていません。リングからかなり離れていたので、まさかシュートを打たないだろうと油断していたのだと思います。そこで、私はパスをもらった瞬間にすかさず打ってしまいました。
みんなアッと言ったと思います。
おいおい、試合に出たことがないやつが、いきなりシュートを打つなよというのが、味方の反応です。
相手チームは、そんな遠いところからシュートを打つのかよと思ったでしょう。今で言えば3ポイントシュートかもしれません。
それが、見事に入ってしまいました。
これは、敵も味方も驚きました。
入った途端に、みんながびっくりしている様子がわかりました。
しかし、打った私は何が起こったのか、別にいつものシュートを打っただけなのに、どうして?と思いました。実は、シュートというのは、入らなければ相手のボールになる可能性が高いのです。だから、ここぞという大事な場面では、なるべく確実なシュートになるように、工夫してパスを回して、相手をくずしてからうつように持っていくべきなのです。ロングシュートは入る確率は低くなります。それだけリスクのあるシュートなのです。それを平然と打つものだから、打った瞬間は、あのやろうばかやるんじゃねえという感じだったのでしょう。
それが、入ってしまい、しかもさも当然のような顔をしている私を見て、みんながあっけにとられていました。その後、私のシュートで勢いに乗ったのか、先輩たちも勢い付き、いつもなら入らないようなシュートが入ってしまったりしました。そして、全く勝てなかった相手を負かしてしまったのです。
その日の帰りは、先輩たちは大喜びで、私のシュートが語り草になりました。
ある先輩は、「菅野のやろう、あんなところで、平気でシュート打つんだもんな、俺は驚いちゃったよ」と笑いながら言いました。「しかも、当たり前の顔してんだかんな」と。
「もう、今日でおしまいのはずが、明日も来ることになっちゃったよ」「俺なんか、明日の予定をキャンセルしなきゃならねえや」と。嬉しそうに言っていました。
つづく
しかし、一つ上の学年は、本庄西中学のメンバーが4人入っています。県大会で優勝したメンバーです。
だから、しっかり練習していれば、かなり強くなれるはずでした。
しかし、それがあまり強くならなかったのは、やはり顧問が素人だったからでしょう。
練習に先生が出て来たことはほとんどありません。試合の時だけ来てくれる先生でした。
実は、この先生も面白いことに、後に麓原会のメンバーになるのです。
本庄高校は、古川先生がいて、教員の仲間にも絵を教えていました。
バスケット部の顧問の先生は、物理の先生なのに、趣味は絵でした。
教員の仲間で絵の会を作って、柏美会という名前で活動し、文化祭などではその会で展示をするくらいでした。
古川先生のようなすごい先生がいると、そういうこともあるのですね。
尤も、高校1年の私にとっては、そのことは全く関係ありません。
まだ、私は絵のことがなにも始まっていないのですから。
私が1年で、バスケット部に入ったとき、先輩たちは「どれどれ君はどんなシュートを打つのかな?」と言って、私にシュートをさせようとしました。私が0度から、きれいなジャンプシュートを放つと、「ホー、なかなかやるじゃん」という反応でした。しかし、ややなめた反応です。この時点では、それが脅威に感じる日がくることを、先輩たちはまだ知りません。
ちょっと変わった人がいました。その人はびっこを引きながらプレーをしていました。
先輩たちの中では、れっきとしたレギュラーですが、生まれつきなのか、片足が長さが違うのです。
だから、走り方もとても大変そうなのですが、プレーはできるのです。私はあまりそのことに触れてはならないのかなと思って、避けましたが、あのような人でも極普通にバスケットをしていることに感動しました。
バスケットの練習については、特にお話することはありません。
大した練習もしないで試合に行ったような気がします。
一番覚えているのは、私が初めて試合に出たときのことです。
我々1年は、レギュラーなどとは程遠く、先輩たちの試合を見ているだけのような存在でしたが、
あるとき、先輩たちが5ファールで退場してしまい、1年生が出なければならない状況になりました。
その時、なぜか私が指名されました。
だから、練習を見ていて、1年で一番うまいのは菅野だと先輩たちが見ていてくれたのでしょうか。
試合に出ろと命じたのは先生ですから、先生は先輩たちに聞いていたのだと思います。
相手のチームは、強いチームで、先輩たちは今まで勝ったことがなく、負けるのが当たり前の感覚で臨んでいたようです。
私はそんなことは、全く知りません。出てすぐ、45度でパスをもらいました。すると、相手チームは私に付いていません。リングからかなり離れていたので、まさかシュートを打たないだろうと油断していたのだと思います。そこで、私はパスをもらった瞬間にすかさず打ってしまいました。
みんなアッと言ったと思います。
おいおい、試合に出たことがないやつが、いきなりシュートを打つなよというのが、味方の反応です。
相手チームは、そんな遠いところからシュートを打つのかよと思ったでしょう。今で言えば3ポイントシュートかもしれません。
それが、見事に入ってしまいました。
これは、敵も味方も驚きました。
入った途端に、みんながびっくりしている様子がわかりました。
しかし、打った私は何が起こったのか、別にいつものシュートを打っただけなのに、どうして?と思いました。実は、シュートというのは、入らなければ相手のボールになる可能性が高いのです。だから、ここぞという大事な場面では、なるべく確実なシュートになるように、工夫してパスを回して、相手をくずしてからうつように持っていくべきなのです。ロングシュートは入る確率は低くなります。それだけリスクのあるシュートなのです。それを平然と打つものだから、打った瞬間は、あのやろうばかやるんじゃねえという感じだったのでしょう。
それが、入ってしまい、しかもさも当然のような顔をしている私を見て、みんながあっけにとられていました。その後、私のシュートで勢いに乗ったのか、先輩たちも勢い付き、いつもなら入らないようなシュートが入ってしまったりしました。そして、全く勝てなかった相手を負かしてしまったのです。
その日の帰りは、先輩たちは大喜びで、私のシュートが語り草になりました。
ある先輩は、「菅野のやろう、あんなところで、平気でシュート打つんだもんな、俺は驚いちゃったよ」と笑いながら言いました。「しかも、当たり前の顔してんだかんな」と。
「もう、今日でおしまいのはずが、明日も来ることになっちゃったよ」「俺なんか、明日の予定をキャンセルしなきゃならねえや」と。嬉しそうに言っていました。
つづく