試合に勝った相手がどこだったのか、うろ覚えでは熊谷工業だったような気がしますが、違うかもしれません。
ただ、私は自分が試合に出ることは考えていなかったので、先輩たちには叱られそうですが、勝っても負けてもどっちでも良かったのです。だから、相手が強いのか弱いのかも知りませんでした。
中学時代の私は、キャプテンをしていました。
強いのは本庄西だけ、そこに勝てば県大会出場という構図ができていました。
他は相手になりません。大差をつけてそのあとは、サブメンバーでも戦える相手でした。
だから、相手のことがわかり、自分たちの力もどのくらいかがわかっていて、自分の責任もわかっていました。
しかし、高校になったら、気楽なものです。相手のことは全くわかりません。
先輩たちがやるんだからという感じでした。自分にプレッシャーもなにもなかったのです。
だからですね。ロングシュートを気楽に打ったのも、入って特に特別なことをしたつもりがなかったのもです。
もし、シュートを落としても、どうってことなかったからです。
ただ、雰囲気としては、先輩たちは勝つなどということは考えてなかったようです。
相手チームも、まさか負けるとは思わなかったのでしょう。だから、先輩たちは私の想像以上に喜んでいました。
ーーーーーーーーーーーーーー
私はこの日、熊谷の友達の家に泊まります。
だから、この試合は熊谷で行われたのだなと思います。
そのとき、一つだけ記憶に残っているのは、友達が見せてくれた手紙でした。
彼女からの手紙だそうです。引出しに20通くらいありました。
へええ、と思いました。私は手紙のやりとりは、小学生の時に、文通をやったことがありますが、すぐに飽きてしまい
何通も書かないで終わりました。だから、一人の人とそんなに何通も手紙の交換をするということは意外なことでした。
ラブレターということは知っていましたが、そういうものは、1~2通のことかと思っていたので、なんで?と思いました。
なかなか会えないから、手紙で話しているんだということだったのでしょう。
でも、私には、一つのカルチャーショックみたいなものでした。
泊めてもらって、一晩お世話になったのだから、お母さんやその他の家族の方にお会いして、ご飯をご馳走になったりしただろうと
思うのに、全く記憶にありません。今思うと失礼な話ですね。お礼なんて何もしてないんじゃないかなと思います。
しかし、なぜか、今になっても忘れないのは、その手紙のことでした。
私は、この印象があったからかもしれませんが、後に一人の女性に200通もの手紙を書くことになります。
それは、高校を卒業してからのことですから、ここでは関係ありません。
泊めてくれた友達というのは、荒川中学出身のMくんです。中学時代、夏の県大会で優勝したチームのメンバーです。
県北大会で、コチャンに負かされたあの荒川中です。だから私は彼と試合で出会っているのです。そう考えると面白いですね。
あのとき、いたんだねという話ができました。
ーーーーーーーーーーーーーーー
次の試合は、相手が更に強いチームでした。これもうろ覚えですが、大宮工業だったような気がします。
この試合は、私は試合の途中から出されます。
先生が、昨日の試合で私のシュートを見て、使えると思ったのでしょう。
先輩が5ファールで退場をする前に、前半の途中から出してくれました。
私は例によって、きらくなシュートを放ちます。
そのロングシュートがことごとく入りました。立て続けに4本くらい決めた気がします。
初めのうちは、前チームと同じように私にディフェンスが付きませんでした。あまりに遠いので、シュートを打つとは思われないところでした。しかし、3本連続で決めたとき、これは打たせてはいけないと判断したようです。タイムアウトがかかり、その後からは、私をピッタリマークする選手が設定されました。
あのボックスワンです。
中学時代、私は本庄西が編み出したボックスワンをやられたことがあります。
それは、私がどこにいても、その選手は私の腰にぴったり食いついて離れないというディフェンスでした。
要するに、私さえ抑えれば勝てると思うからやった戦術でした。
私のチームは、得点の大部分を私が取るチームだったのです。
ワンマンチームという言葉があると思います。まさにそれでした。
ただ、もう中学ではありません。まさか高校でそれをやられるとは思いませんでした。
ということは、相手チームは、とにかくあいつにシュートを打たせてはいけないと判断したこと、また、私さえ抑えれば勝てると考えたのです。おいおい、と思いました。不思議なことに、私は自分のチームの監督や先輩たちよりも、相手チームから力を認められてしまったのでした。
その試合では、私はかなりのシュートを決めたと思います。私が打つたびにシュートが決まるものだから、ある先輩は「どんどん打っていいよ」と試合中に言いました。その先輩というのは、中学時代県大会で優勝したメンバーです。しかし、練習中などでは、一年生がシュートを打って落としたりすると、結構激しく怒る人でした。「下手なくせに勝手にシュートを打つんじゃねえよ」という言葉を仲間が言われている場面を見ています。その先輩が私におべっかを使うような感じで言ったものだから、私は笑ってしまいました。それと、そうは言っても、打てるタイミングがつかめたら打つのだから、なんでもかんでも打てるわけじゃないのにと思いました。
その試合は、負けてしまいました。得点差がどのくらいだったのかも全く覚えていません。
しかし、結構いい勝負をしたような気がします。
なぜなら、先輩たちは中学時代に県大会の優勝経験があるのです。
しかも、まさか優勝するとは思われないチームが優勝したのですから、戦いながら強くなっていったという経験です。
調子に乗れば、奇跡もありうるという経験者なのです。
前日の試合も勝てないはずが、勝ってしまった。だから「俺たち優勝するんじゃあねん」などということも冗談のような感じで言っていました。
ーーーーーーーーーーーーーー
この試合を通じて、私のチーム内での存在力がアップしました。
それと、クラスでの私の存在力もアップしました。
なぜかというと、私は1年9組でしたが、同じクラスにバスケット部の仲間がいて、その仲間が私の活躍を語ったからです。
そして、彼らの私を見る目が変わったからです。
つづく
ただ、私は自分が試合に出ることは考えていなかったので、先輩たちには叱られそうですが、勝っても負けてもどっちでも良かったのです。だから、相手が強いのか弱いのかも知りませんでした。
中学時代の私は、キャプテンをしていました。
強いのは本庄西だけ、そこに勝てば県大会出場という構図ができていました。
他は相手になりません。大差をつけてそのあとは、サブメンバーでも戦える相手でした。
だから、相手のことがわかり、自分たちの力もどのくらいかがわかっていて、自分の責任もわかっていました。
しかし、高校になったら、気楽なものです。相手のことは全くわかりません。
先輩たちがやるんだからという感じでした。自分にプレッシャーもなにもなかったのです。
だからですね。ロングシュートを気楽に打ったのも、入って特に特別なことをしたつもりがなかったのもです。
もし、シュートを落としても、どうってことなかったからです。
ただ、雰囲気としては、先輩たちは勝つなどということは考えてなかったようです。
相手チームも、まさか負けるとは思わなかったのでしょう。だから、先輩たちは私の想像以上に喜んでいました。
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私はこの日、熊谷の友達の家に泊まります。
だから、この試合は熊谷で行われたのだなと思います。
そのとき、一つだけ記憶に残っているのは、友達が見せてくれた手紙でした。
彼女からの手紙だそうです。引出しに20通くらいありました。
へええ、と思いました。私は手紙のやりとりは、小学生の時に、文通をやったことがありますが、すぐに飽きてしまい
何通も書かないで終わりました。だから、一人の人とそんなに何通も手紙の交換をするということは意外なことでした。
ラブレターということは知っていましたが、そういうものは、1~2通のことかと思っていたので、なんで?と思いました。
なかなか会えないから、手紙で話しているんだということだったのでしょう。
でも、私には、一つのカルチャーショックみたいなものでした。
泊めてもらって、一晩お世話になったのだから、お母さんやその他の家族の方にお会いして、ご飯をご馳走になったりしただろうと
思うのに、全く記憶にありません。今思うと失礼な話ですね。お礼なんて何もしてないんじゃないかなと思います。
しかし、なぜか、今になっても忘れないのは、その手紙のことでした。
私は、この印象があったからかもしれませんが、後に一人の女性に200通もの手紙を書くことになります。
それは、高校を卒業してからのことですから、ここでは関係ありません。
泊めてくれた友達というのは、荒川中学出身のMくんです。中学時代、夏の県大会で優勝したチームのメンバーです。
県北大会で、コチャンに負かされたあの荒川中です。だから私は彼と試合で出会っているのです。そう考えると面白いですね。
あのとき、いたんだねという話ができました。
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次の試合は、相手が更に強いチームでした。これもうろ覚えですが、大宮工業だったような気がします。
この試合は、私は試合の途中から出されます。
先生が、昨日の試合で私のシュートを見て、使えると思ったのでしょう。
先輩が5ファールで退場をする前に、前半の途中から出してくれました。
私は例によって、きらくなシュートを放ちます。
そのロングシュートがことごとく入りました。立て続けに4本くらい決めた気がします。
初めのうちは、前チームと同じように私にディフェンスが付きませんでした。あまりに遠いので、シュートを打つとは思われないところでした。しかし、3本連続で決めたとき、これは打たせてはいけないと判断したようです。タイムアウトがかかり、その後からは、私をピッタリマークする選手が設定されました。
あのボックスワンです。
中学時代、私は本庄西が編み出したボックスワンをやられたことがあります。
それは、私がどこにいても、その選手は私の腰にぴったり食いついて離れないというディフェンスでした。
要するに、私さえ抑えれば勝てると思うからやった戦術でした。
私のチームは、得点の大部分を私が取るチームだったのです。
ワンマンチームという言葉があると思います。まさにそれでした。
ただ、もう中学ではありません。まさか高校でそれをやられるとは思いませんでした。
ということは、相手チームは、とにかくあいつにシュートを打たせてはいけないと判断したこと、また、私さえ抑えれば勝てると考えたのです。おいおい、と思いました。不思議なことに、私は自分のチームの監督や先輩たちよりも、相手チームから力を認められてしまったのでした。
その試合では、私はかなりのシュートを決めたと思います。私が打つたびにシュートが決まるものだから、ある先輩は「どんどん打っていいよ」と試合中に言いました。その先輩というのは、中学時代県大会で優勝したメンバーです。しかし、練習中などでは、一年生がシュートを打って落としたりすると、結構激しく怒る人でした。「下手なくせに勝手にシュートを打つんじゃねえよ」という言葉を仲間が言われている場面を見ています。その先輩が私におべっかを使うような感じで言ったものだから、私は笑ってしまいました。それと、そうは言っても、打てるタイミングがつかめたら打つのだから、なんでもかんでも打てるわけじゃないのにと思いました。
その試合は、負けてしまいました。得点差がどのくらいだったのかも全く覚えていません。
しかし、結構いい勝負をしたような気がします。
なぜなら、先輩たちは中学時代に県大会の優勝経験があるのです。
しかも、まさか優勝するとは思われないチームが優勝したのですから、戦いながら強くなっていったという経験です。
調子に乗れば、奇跡もありうるという経験者なのです。
前日の試合も勝てないはずが、勝ってしまった。だから「俺たち優勝するんじゃあねん」などということも冗談のような感じで言っていました。
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この試合を通じて、私のチーム内での存在力がアップしました。
それと、クラスでの私の存在力もアップしました。
なぜかというと、私は1年9組でしたが、同じクラスにバスケット部の仲間がいて、その仲間が私の活躍を語ったからです。
そして、彼らの私を見る目が変わったからです。
つづく