本庄高校は、昼休みになると、外へ食べに出かける生徒がたくさんいました。
だるま食堂というのがあって、私も何度か行ったことがあります。
面白いのは、その食堂は本庄高校の生徒が来ることを想定しているお店でした。
メニューの中に、本高ラーメンというものがありました。
少し量が少なめだったかなとも思いますが、安いのです。
詳しく聞かなかったから定かではありませんが、本庄高校の生徒でないと注文できないものだったような気がします。
我々は、それだけではちょっと物足りないので、一緒にカレーも食べました。半カレーというメニューで、カレーの半分盛りです。
合わせて、180円くらいだったような気がします。
また、ちょっと距離がありましたが、本高通りを北に歩いて、高崎線の線路を渡るとすぐに石井のたい焼き屋というのがありました。
そこは、たい焼き屋ですが、焼きそばがおいしいので、たい焼きを一つ頼んで、食べながら焼きそばができるのを待つのです。
また、時にはところてんを頼んで食べました。
どちらのお店も、お昼時は本高生で一杯でした。
この外へ食べに行くということは良くないということで、学校から昼休み外出禁止令が出されたことがありました。
生徒たちは、一週間くらいはそれを守りました。しかし、その後は、徐々にまた出ていく生徒がチラホラ現れ、先生たちの様子を見ると
何も言わないことがわかり、大丈夫だという判断がくだされると、またみんな外へ食べに行くようになりました。
あの外出禁止令は何だったのかなと思いました。
何をやるにも、やるからには徹底しないとダメだなと思います。
教師の取り組みとして、だめな部分を学ばせてもらった一コマです。
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本庄高校は、ある意味とても自由な学校でした。
この教師集団の甘さも、その一つなのでしょう。
なぜなら、取り締まれなかった理由の一つが、学校が終わりの時間にならなくても帰ってしまう生徒がたくさんいたからです。
例えば一つ自習があると、6時間目の先生が空いていないか聞きに行きます。もし空いていたらその自習時間に授業をやってもらうのです。
そうすると、5時間目が終わったところで帰れます。もし、そのパターンが二つあれば、4時間が終わったところで帰れます。だから、昼休みに出かけるどころか、昼休みで帰ってしまうのです。外へ食べに出かけるのを禁止するどころではありません。
また、サボって帰る生徒もいました。一番面白かったのは、自分の出席回数をメモしている生徒がいたことです。
出席は三分の二出ればいい。それ以上だと、評価不能になる。だから、この授業はもう休めないとか何とか言っていました。
一つ上の学年でしたが、私はそんなものか、まるで大学みたいだなと思いました。
あの頃、終礼というものは、どうだったのでしょう。やった記憶もありますが、やらなかったから帰れたのかなという気もします。
ただ、最後に一言付け加えたいのは、今述べたことが本高生全員にあてはまることではありません。
ほとんどの生徒は真面目な生徒で、昼休みに外へ出ることもなく、6時間目が終わるまでは学校にいて、教室に残って放課後勉強している生徒もいてという状況でした。
もちろん、私は部活がありましたから、帰るはずがありません。
つづく