高校1年の思い出で、一つだけ自分でも訳のわからないキャンプの経験があります。
これは人から尋ねられたら、どうして行ったの?と聞かれても、相手を納得させるだけの答えができないことです。
あるとき、教室で友達同士数人で、キャンプの計画を話していました。
その友達は、熊谷から通っている人たちでした。
それを聞いていた私は「おい、いい事話しているじゃないか、そういうことは俺を外すなよな」というようなことを言った気がします。
そしたら、「お前も行くか?」と問われたのです。私は「もちろん」と答えました。
それで、一緒に行くことになったのです。
それは、男だけのものではありません。男女数名で話していることでした。
高校1年生の男女が、数名で自分たちだけでキャンプに行こうというのです。
先生の引率があるわけではありません。そういう経験は初めてのことです。
高校になると、こういうこともあるのかという感じで、楽しみになりました。
よくよく聞いてみると、それはこのクラスの友達だけではなく、他の学校の友達も一緒でした。
熊谷出身のR君を中心に、中学時代の友達も誘ってのものでした。
だから、一緒に行くメンバーの顔合わせが熊谷であり、熊谷女子高校の子もいたり、本庄高校の他のクラスの友達もいたりという具合でした。
場所は、秩父の裏山のキャンプ場でした。川の中州にテントが張ってあり、そこで寝るのです。
まず、どこで待ち合わせて、おそらく秩父線で行ったと思いますが、駅からキャンプ場までどうやって行ったのか、何をどうしたか?食べ物をどうしたか、全く覚えていません。
覚えているのは、夜、寝たような寝なかったようなということだけです。
というのは、テントはきちんと男女別々に、設定したのですが、夜中に一晩中川の石の上にすわりこんで話している一組のペアーがあり、
それが気になって、時々起きてはそこへ行って、話に加わったりして、なかなか眠れなかったことです。
その時、薄々気づきましたが、それはR君が一人の女の子が好きで、そういう時間を作りたくて、誘ったということでした。
そして、R君の狙いはそのことだったのですが、それと似たようなことが起こればいいなという期待を持って臨んだ男子もいたようで、
誰は誰と話したいというような感じになっていたようです。そんなことは、全く知らなかった私は、ただ単純にキャンプを楽しむということで行ったので、自分だけ川の中のテントに入って、すのこのような板の上で、寝ていました。ただ、そのテントの出入りが結構頻繁なので、私は眠れませんでした。
帰りに、R君から「お前は何のために参加したの?」と言われました。
その意味は、何だったのか?
せっかく、いろいろな女の子がいたのに、どうして夜中に外で話をしなかったのかと問われたような気がしました。
そういう意味からすると、今で言えば、合コンだったのでしょうか?
全く、熊谷という都会の人種は我々田舎者とは違うんだなと思いました。
そのR君というのは、学力も高く、通知表では私が勝ちましたが、旺文社の模擬テストではクラスで1位の人でした。
私は、中間期末などのテストは強いですし、美術と体育は誰にも負けない自信がありましたから、それを加えると私が勝つのですが、
旺文社のような模擬テストになると、1年生の時は、1位が取れませんでした。
このキャンプは、帰りもどこからどのように帰ったのか、記憶がありません。
ただ、参加したために、できた友達はいました。
応援団のK君とは、その後いい友達になりました。また、熊谷女子高校の子は、三年生の時に再会しますが、そのときはお互いに美術部に入って、絵を描いていたので、奇遇だねと語り合いました。
つづく
これは人から尋ねられたら、どうして行ったの?と聞かれても、相手を納得させるだけの答えができないことです。
あるとき、教室で友達同士数人で、キャンプの計画を話していました。
その友達は、熊谷から通っている人たちでした。
それを聞いていた私は「おい、いい事話しているじゃないか、そういうことは俺を外すなよな」というようなことを言った気がします。
そしたら、「お前も行くか?」と問われたのです。私は「もちろん」と答えました。
それで、一緒に行くことになったのです。
それは、男だけのものではありません。男女数名で話していることでした。
高校1年生の男女が、数名で自分たちだけでキャンプに行こうというのです。
先生の引率があるわけではありません。そういう経験は初めてのことです。
高校になると、こういうこともあるのかという感じで、楽しみになりました。
よくよく聞いてみると、それはこのクラスの友達だけではなく、他の学校の友達も一緒でした。
熊谷出身のR君を中心に、中学時代の友達も誘ってのものでした。
だから、一緒に行くメンバーの顔合わせが熊谷であり、熊谷女子高校の子もいたり、本庄高校の他のクラスの友達もいたりという具合でした。
場所は、秩父の裏山のキャンプ場でした。川の中州にテントが張ってあり、そこで寝るのです。
まず、どこで待ち合わせて、おそらく秩父線で行ったと思いますが、駅からキャンプ場までどうやって行ったのか、何をどうしたか?食べ物をどうしたか、全く覚えていません。
覚えているのは、夜、寝たような寝なかったようなということだけです。
というのは、テントはきちんと男女別々に、設定したのですが、夜中に一晩中川の石の上にすわりこんで話している一組のペアーがあり、
それが気になって、時々起きてはそこへ行って、話に加わったりして、なかなか眠れなかったことです。
その時、薄々気づきましたが、それはR君が一人の女の子が好きで、そういう時間を作りたくて、誘ったということでした。
そして、R君の狙いはそのことだったのですが、それと似たようなことが起こればいいなという期待を持って臨んだ男子もいたようで、
誰は誰と話したいというような感じになっていたようです。そんなことは、全く知らなかった私は、ただ単純にキャンプを楽しむということで行ったので、自分だけ川の中のテントに入って、すのこのような板の上で、寝ていました。ただ、そのテントの出入りが結構頻繁なので、私は眠れませんでした。
帰りに、R君から「お前は何のために参加したの?」と言われました。
その意味は、何だったのか?
せっかく、いろいろな女の子がいたのに、どうして夜中に外で話をしなかったのかと問われたような気がしました。
そういう意味からすると、今で言えば、合コンだったのでしょうか?
全く、熊谷という都会の人種は我々田舎者とは違うんだなと思いました。
そのR君というのは、学力も高く、通知表では私が勝ちましたが、旺文社の模擬テストではクラスで1位の人でした。
私は、中間期末などのテストは強いですし、美術と体育は誰にも負けない自信がありましたから、それを加えると私が勝つのですが、
旺文社のような模擬テストになると、1年生の時は、1位が取れませんでした。
このキャンプは、帰りもどこからどのように帰ったのか、記憶がありません。
ただ、参加したために、できた友達はいました。
応援団のK君とは、その後いい友達になりました。また、熊谷女子高校の子は、三年生の時に再会しますが、そのときはお互いに美術部に入って、絵を描いていたので、奇遇だねと語り合いました。
つづく