めぞん・ど・とぷ

とぷのくらし、とぷのすきなもの、とぷのきもち、その他あれこれ。のぞいてみてください。

VIVA! Forties

2008年08月30日 | culture


青山のスパイラルホールまで、ミュージカルを観に行きました。

私の大好きな浦嶋りんこさんが演じている“VIVA! Forties

ミュージカルといっても、歌手とピアノ一組に、ゲストのギターが加わるほどで
小ホール向けの、小ぶりの演目ではありますが。

といいながらも、りんこさんの迫力ある声と圧倒的ボリューム感によって
小演目の舞台はしびれるほどの“りんこワールド”満載の遊園地でした。

聴いていて、活力を注入される感じの舞台でしたね。

短期公演につき、明日の31日(日)が最終です。

今回が4回目だそう。来年やったら、また、観に行こっと。

とぷ

いきもの集合!

2008年08月28日 | culture
 おみやげうさちゃん

友人に誘われて、久しぶりに美術館に足を運びました。

山種美術館で開催されている、『いきもの集合!描かれた動物たち』です。

猫や、うさぎ。仔犬や、猿。そして、蝶に、蛙に、みみずくも。

愛らしい「いきもの」たちの、凛とした、たたずまい。

身の引き締まる思いです。

動物たちって、ホントにいやされる…

9月7日(日)まで開催中

とぷ


ヘンリー・ダーガーの謎

2008年04月15日 | culture
映画『非現実の王国で ―ヘンリー・ダーガーの謎―』を観てきました。

1973年の4月13日、シカゴでひっそりと息をひきとった81歳の元清掃夫。
身よりも無く、40年間を孤独に暮らしたアパートの部屋から、死後発見されたのは、『非現実の王国で』と題した15,000ページを超える小説の原稿と、数百枚の挿絵。

発見した大家さん夫婦や、隣人たちが映画の中で語る故人のプロフィールと、残された膨大な作品群とのギャップが衝撃的でした。

ドキュメンタリー・フィルムでありながら、残された絵をもとにしたアニメーションの出来が素晴らしく、ミステリアスで、ファンタジックな作品世界を忠実に再現しています。

何よりも死後35年の歳月を経ていながら、“ポップな”と形容してもいいような少女たちを描いたイラストの数々が新鮮で、まったく古めかしさを感じさせないのは、驚くばかり

むしろ、大家さん夫婦の尽力により、死後初めて公開されたダーガーの作品群に影響を受けたポップ・アートがその後誕生していることから、21世紀の先駆けアーチストとして今後ますます評価を高めていくかもしれません。

渋谷のシネマライズでの公開は18日で終了しますが、一見の価値あり

今後、全国で公開される予定のようです。

 パンフレット

とぷ


ヘアスプレー

2007年11月04日 | culture
ヘアスプレー』を観ました。

ちょっと懐かしさを覚える50~60年代ポップスとダンス
良くも悪しくもアメリカが最も輝いていた時代の、華やいだ気分が満載。

その黄金時代の始まりを『サタデー・ナイト・フィーバー』で70年代を席巻した
あの、ジョン・トラボルダが太目のお母さん役で歌って踊るおかしさ。
新しさの幕開け『60年代にようこそ』で迎えられるパレードは最高

一方で、肌の色の違うことによる差別が色濃く残る時代の世相も十分反映して、
深みのある、感動的なストーリーに仕上がっています。

それもそのはず、ブロードウェーの舞台で磨きに磨かれた脚本の映画化ですから、
当然といえば、当然なのですが…

『よくできてるなぁ』と感心するのは映画を観てしばらくたってからの話で、
観賞しているさなかは、劇中にのめりこんで、客観的にはなれませんでした。

とにかく、楽しさと、懐かしさと、ある種の哀愁とで、彩り満載の映画です。

考えてみたら、不思議
私にとって、60年代の記憶は浅いし、50年代なんて遠い昔の話のはずなのに、
胸のうちにしみとおる、映画を観ての“懐かしさ”、この気分はどこからくるの?

これは、キャスティングとか、演出とかのテクニカルな効果ではないはず。
この時代の“気分”というものが持つ“共通感覚”が作用しているのでは。
たぶん、ブロードウェイでロングランを続ける秘密が、そこにあるのでしょう。

DVDが発売されたら買いたいけど、やはり、大きなスクリーンで何度も観たい。
そんな気にさせてくれる映画です。

まだ、しばらくは上映するはず

とぷ




不毛の地にも…

2007年10月06日 | culture
銀座から有楽町一帯を巡り、最後に無印良品でお買い物。

お決まりのように「ATELIER MUJI」をのぞいてみました。

今回のテーマは『不毛の地にも…』

豊かな思想、多くの信仰は、むしろモノの無い土地で生まれている。
     不毛の地は、自分と向かい合う最良の場所。

というようなテーマで、ブースにはいつものように
オブジェやパネルが、シンプルに、さりげなく展示されています。

パンフレット


おや? と思いました。いつもと何かが違う…
今回といつもの展示との違い、それは、こういうことです。
いつもなら、展示物の内容は、パンフレットやホームページに掲載されていて、
現場で目にするものは、自由に持ち帰りできるパンフレットからも、
帰宅後にパソコンの画面からも、再確認できるものでしたが、
今回の展示物にある、ことばや、イラストの多くは、
その場に行かなければ、お目にかかれないものばかりのようです。

たとえば、ルソーのことばであったり、サン=テグジュペリのことばであったり、
バオバブの古木は中が空洞になっていて、貯水槽の役目を果たしたこととか、
モロッコの土は建築には適さないけど、陶器の原料には最適であることとか。

一見、不毛であるようで、実はそれ故に、奥深く、滋味深く、
その土地に代々暮らす人々の日常に、深く、静かに根を下ろしている、
さまざまな、自然からの恩恵。

ちょっと、こころにとまったことの印象を綴っただけで、
私の記憶違いもあるかもしれませんが…

会期末まで、まだ日があるから、もう一度行ってみよっと。

とぷ

見かたを変えると

2007年07月24日 | culture
見慣れた窓からの風景も…



戸外から眺めると、干された洗濯物は建築の一部をなし、
風景の一要素となって目に映ります。

そんなメッセージの付いたカタログを見ているだけでも楽しい。
ATELIER MUJI』はお気に入りの空間です。

前回は帽子を買ったときに『葉っぱ』というテーマで、自然と生命のつながりを。
そして、今回のテーマは『見方を変えると』。
意識の外のひろがりに目を向けると、そこに予想外の現実が…

内容はWebに載ってますが、できれば有楽町まで足を延ばして

幼児の目線でテーブルの下のアリさんを眺めてみることをおすすめします。

 カタログをひろげてみたところ

7月31日まで展示しています。

とぷ

きちんと暮らす

2007年06月09日 | culture
先日、れんげを割ってしまった時
三年ほど前に購入した本を思い出しました。
パトリス・ジュリアンさんの『きちんと暮らす』です。

『お皿を洗っていたら、手をすべらせて割ってしまった。
 その理由は何だと思いますか?』という、本の帯に惹かれて買いました。
CDの『ジャケ買い』みたいなもんです。

文中の『お皿は、なぜ割れたのか?』をそっくり引用します。

 そのとき、あなたの意識はどこにありましたか?
 お皿を洗うことだけに、100%注がれていましたか?
 目の前のことから意識をそらした瞬間、あなたの世界はふたつになってしまう。
 今、行われている現実と、頭の中に現れた、何か別の空間
 大切なお皿を失わないためにできること。それは、理由も何も考えずに、
 目の前にあることを、ただ行うこと。あなたの人生は常に目の前にある、
 それひとつだけ。心がそこからふわりと離れて世界がふたつになった瞬間、
 お皿はするりと、手から滑り落ちる。


たしかに、主人と二人での食事の時、
私の頭の中では知人とのやり取りが80%ぐらい占めていたのでしょう。
あの時私に欠けていたこと――意識を100%集中させる。

主人との食事を楽しむことに気持ちを切り替えていたら、
きっとれんげを落として割ることはなかったかも…

一日、一日を大切にキチンと暮らしていくのって、簡単そうでいて、
でも、とても精神力の要ること。

自分にとって大切なことを心に留めておけば
いつもの生活がもっと豊かで楽しいものになるよね。
きっと…

 今でもときおり読み返しています。

とぷ

星の王子さま展

2007年05月07日 | culture
今日は、美容院に予約の日。
朝から銀座までおでかけです。

じつのところ、銀座まで足を運んだ目的はほかにもあり、
星の王子さま展』を観に行ったのです。

展覧会のみどころ
『星の王子さま』といえば、少し前に日本で原画が発見され、話題になりました。
展示では発見された「実業家」の原画をはじめ、
サン=テグジュペリ本人がホテルやレストランの便箋などに書きとめた
デッサンや手紙なども目にすることが出来、何よりでした

そして、翻訳者の内藤濯(あろう)さんのコーナー
最近でこそ翻訳の新作競作が数多でておりますが、
なんといっても、この作品を『星の王子さま』という表題で訳出した第一人者。
展示ではこ人の翻訳に対する心意気のようなものがうかがえました。

作品に登場する「薔薇の花」「羊」「バオバブの樹」「井戸」などに秘められた
『謎』について、謎解きをしながら作者の意図を紹介するような場面も楽しい


色々みどころマンサイでおもしろい企画でした。
今日はGW終了後の平日にもかかわらず満員。
無理もありません。東京での展示は本日が最終日。

5月16日からは京都で開かれます。
関西の方にとっては、朗報ですね

私も京都に足を運ぼっかな

とぷ

家庭の医学

2007年04月15日 | culture
今日は読書の一日。
図書館から借りている本を読んで過ごしました。

一冊はロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』
そしてもう一冊は、レベッカ・ブラウンの『家庭の医学』



『チョコレート工場の秘密』は、昨年ジョニー・デップが主演した
映画の原作童話…
図書館で見つけたとき、たまには童話もいいかなって思い読んでみました。

2冊目の『家庭の医学』。不覚にも大泣きしてしまいました。

貧血、薄暮睡眠、転移、無能力、震顫、化学療法、耐性…etc
硬質の医学用語が並ぶ各章立てに沿って、母親の症状が日増しに悪化し、
看護から介護、そして、死を看取り、見送るまでの日常が淡々と描かれています。

作中の『私』は作者その人であり、読者はまるで、ドキュメンタリー・フィルムを
観ているような気分で、悪化するばかりの母親の病状の変化に付き合わされる。
でも、これはエッセーではなく、まぎれもない一篇の小説だと思いました。

表題からして小説っぽくないし、叙述の仕方も淡々とし過ぎて
フィクションやノンフィクションを問わず、私たちがこれまで接したきた
この種の『闘病もの』とは明らかに違う『何か』がこの小説にはあります。

この小説には、病気を知ってとりみだす患者の姿も、闘病を支えるために結束する家族の団結シーンも、死を迎えて厳かに感謝の言葉を述べ合う場面も、悲しみの淵で激しく嘆く遺族の姿も、とにかくこの種の物語に付随する過剰な感情の発露の一切が描かれていないか、描かれても控えめに、本当に控えめに淡々と綴られているばかりなのです。

そして、それだけに気付かされること。
ああ、そういえば、私たちの場合もそうだったなぁ、と…
20年以上も前になる主人の父親が亡くなるときのこと、
15年前の私の父のとき、10年前の母のとき…
すべての悲しい別れはドラマのようでいて、決してドラマチックではなく、
看病という日常生活の延長にあって、突然にふりかかる出来事であったと。

当事者は、病魔と闘う当人に寄り添い、必死の思いで看病に明け暮れ、
実際に逝くときは、いつも突然。日常の延長上にふらっとやってくるの…
ある程度までは、予想の範囲内であり、お医者さんから予告されているのに、
それでも、あちらに逝かれるその時までは、予想外の事態であったような。

だから、『家庭の医学』を読むと、かえってその時の実感が甦るようです。
ドラマチックな描写が何一つないだけに、逆に喪失感が切々と甦ってきて…

気がつくと、これって癒されているような
不思議な読後感…。
死者と向き合う私たち人間の典型が描かれてる。だからこれは『小説』なんだと思う。

翻訳もいいですね。この訳者(柴田元幸さん)のものは結構スキです
蛇足ですが『チョコレート工場の秘密』の翻訳も良かったです。詩人の田村隆一さんが手がけています。


とぷ