睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

嘘も方便・みんな手放せ・求心力を持つ何かが欲しい

2020-10-06 13:30:00 | 散文うたかたの記
北風が雲を吹き飛ばしてくれた月の夜空



昨日の夜に早々と、
来年の年賀状の宛名書きはできないと電話をした。

「えっほんと、うそだろ?」
「いやほんとだよ、手が震えて小筆が持てない・・・」

地元の商店主の彼とは長年のお付き合いだが、
これは仕事ではないからね。
頼まれるとイヤと云えないぼくの弱点をついた呪縛ゲーム
みたいなもの、かれこれ10年は彼の右手に成りすました。
これでやっとThe End、Continueはなし。
仏典由来(法華経譬喩品)の"嘘も方便"でゲーム終了。

去年と今年で仕事以外のあれこれを手放した。
書道師範と講師は卒して作品の制作や出品も辞退した。
山の家のイーゼルはホコリにまみれ絵の具がコチコチに
固まってもさほど胸が痛まなくなった。

地元のこと奉仕活動は品川にいるあいだはお休みを頂き、
本堂座禅と朝粥会は小休止、長老のお供は後輩に任せた。
同人活動はネットのみ、旬報はゲラのみ引き受ける。
麻雀はウデが鈍らない程度の付き合いに。

期間限定で品川にきたのは意味があるのかも、
いいかげん休め、みんな手放せ、
ピンころりんを望まないぼくへの援護策かも。

positiveとnegativeは陰陽の計らい、
月の満ち欠けと同じで
何かが減っても何かが満たしてくれる。

山田風太郎著の「人間臨終図鑑Ⅰ~Ⅲ」を読みながら
文人・アーチスト・アスリートたちの末期を垣間見ると、
病に苦しんでも息を引き取る瞬間まで何かを求めている。

ゲーテの最後の言葉「もっと光りを」、六代目尾上菊五郎の
辞世「まだ足りぬ、踊りおどりてあの世まで」に共通するのは、
臨終の無常さえ凌駕する何かに生かされてきたということ。
そんな求心力を持つ何かがぼくも欲しい。

江戸時代の臨済宗の仙厓和尚は禅味に富む絵画や狂歌に長けていた。
絵を所望する者が後を絶たず訪れ辟易した師が詠んだ狂歌。
「うらめしや わがかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいてゆく 」
強欲な商人には「おごるなよ 月の丸さも ただ一夜 」と詠む。
師の末期は「死にとうない」と云って臨終を迎えた。


ネットに門戸は開いても
人みしりのぼくは
自分から動かない
空をながめている
今日も明日も。

この地に友人はいない
つくろうともしない
自転する太陽と月と地球が
織りなすパノラマがある
今日も明日も。


遅いブランチは生ラーメンの「支那そばや」で。
いつものひとり昼メシはトッピングなしのが多いけど
今日は写真を撮ることを意識して5点のせてみた。
あと海苔と鳴門があれば完璧か、
次回はインスタ並みにミーハーしてみよう。





「支那」の字が一発変換できないのは解せないし不愉快、
Microsoft IME&ATOKは出荷時からこの語句が入ってない。
 戦時中の中国=支那なれど極度の気遣いはヘタレと同じ、
戦争を想起する「支那」とて日本の歴史なのだ。


ラーメンと青汁とヨーグルトの昼メシを終えて、
腹がくちくなったし、つぎは昼寝かなー

後生楽に、
good afternoon!





散文:Artはコロンブスの卵、海には海の迷いあり、もっとランダムに、もっとフリーに。
 俳画の描写感はむずかしい南画の賛はそれほどでもない絵が先、句が先、コロンブスの卵に倣うあと1点に足踏み。十草の器はいいとおもうけど何が気に入らないんだろ陶芸の人は完璧を求......





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