
♪ 春の小川はさらさら流る
えびやめだかや小鮒のむれに
今日も一日ひなたにいでて
遊べ遊べとささやくごとく ♪
足が痺れ
ぼーっとした脳みそに
朝粥はよく沁みた
プライベートな朝粥会によばれる喜びに
等しく打ちのめされて帰ってくるのだけど
そのたびに純度があがっていくような
錯覚かもしれない
わが身可愛さの身びいきかもしれない
それでもいい!
そうおもわせる透明感に
手の中の土が砂にかわってゆく瞬間、
あるがままを受け入れる。
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Twitterがハヤるのがよく分かる気がする。
WWW(world wide web)として全世界に向けて発信するもよし、
情報端末のbot代わりでもいい、備忘録やボード(掲示板)代わりに
使うのもアリだし、その用途も裾野も広い。
さまざまな使い方をchoiceできる無料ユーティリティとして、
他に類をみない画期的なミニブログだと思う。
その根幹を成すのがフォローと呼ばれる相互システムだ。
だが正直に云えば、
「フォローを生めよ増やせよ」の風潮が気に入らぬ。
TLに怒涛の如く押し寄せる赤の他人のつぶやきを聞いて、
本当に楽しいのか?
ウザく思わないのか?
そのためにリストを作って管理するシステムはあっても、
何百ものフォローを何十ものリストに仕分けして実際に活用ができるのか?
仕分けしたまま日の目をみないリストなら、作らないほうがましじゃないか?
自分的にはTwitterを開いて、見て、つぶやいて、閉じる。
それだけの単純簡単なシステムで充分こと足りる。
リストを何十個作ろうが、結果的に見るのがひとつふたつのTLなら、
ホームひとつで充分だ。
マスメディアはTwitterを情報の宝庫とほめそやすが、それはTwitterを
情報収集の場にできるスキルとハードを持つからであり、一般人にとっては
カテゴリー区分がないTwitterは情報を得るにも「検索」に頼るしかない。
同じ検索ならグーグルでいいじゃないか、Twitterも出ることだし。
フォローやリストに胡散臭さを感じる。
その背景に「今のトレンド」を包括的に得ようとする商業的意図が
見え隠れするからなんだろう。
風潮に踊らされフォローを集めるための不本意なフォローをする、
それは「人と繋がる」Twitterの本意を外れ本末転倒もいいところ、
純粋に「この人のつぶやきを聴きたい」だけならフォロワーに徹する。
そこにはgive&takeのいやらしさがない。むしろすがすがしい。
だが現実は違う。
フォローをすればフォローを返すのが当たり前と誰もが思い込んでいる。
そしてフォローの数は誇示できるが、怒涛のようなホームに疲れ果てて、
自分のTLを守るために仕分けをする。
これまで2000を越える人とつぶやきを見てきた。
ウケ狙いの誠意なき言葉、自分コマーシャル、ウイットのない毒舌・悪口...etc.
有名人・著名人・公人・芸能人ならいざ知らず、一般人までTV画面の向こう側を
意識しながらつぶやく気持ちわるさ、背中がぞくっとする。
それって「つぶやき」じゃないだろうと突っ込みたくなる。
言葉がわるくても、意味不明でも、本心から出るつぶやきを聴きたい。
喜怒哀楽を「素」のままに載せた心のつぶやきを聴きたいのだよ。
その場に居合わせ、一緒に喜怒哀楽を共有できれば満足だ。
2010/08/18にTwitterを始めて2ヶ月と2週間、
今の一桁のフォローで充分満足している。
自然に仲間が増えることを望んでも、フォローの為のフォローはしない。
つぶやきを、
聴き、聴かせる、そのことを、
give&takeにするのはまっぴらだ。
それはブログも同じこと
よきモノは残り、あしきモノはきえてゆく
なにもかも自然のままに
さらさらと流れよう。
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自分はそうするが、
みんなは好きなようにやればいい
ヒトの云うことを鵜呑みにして流されるな
誰もがみんな自分のサオを持てというこっちゃ。
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1時間の熟睡でハッキリ目覚めた。
まだまだいけるな。
もういっちょ!
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