1999年7月21日江藤淳氏は「形骸を断ず」として自死した。
今、江藤氏の著書を読み返しても遺産として後世に残すに過ぎない虚しさを
感じるが、私の青春時代に夏目漱石や勝海舟を教えてくれた作家として生きている。
命の形骸を断じて作家の魂を生かすがごとく。
江藤氏の自殺にショックを受けながら、
その死因である自殺方法にいくばくかの疑問を感じている。
(手首を切って浴槽内で溺死)
きょうび、リストカットは「自殺ごっこ」の遊びアイテムの一つにもなり、
強度のアダルトチルドレンやボーダーライン症候群の人にとっての脅迫道具に
なるほど致死率の低い方法であるという。
その裏には「生きることへの強い欲求」が見え隠れし、
リストカットは自殺手段というより、自傷行為の一環として捉えるべきだと思っている。
突発的な厭世衝動の模擬行動なら解る気もするが、時事評論に長ける江藤氏が遺書を
認めての自殺手段にリストカットを選んだのは、なぜか釈然としない部分がある。
江藤氏の絶筆となった「妻と私」を読み終えてから、
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を気分のおもむくままに聴いた。
文藝春秋「哀悼・江藤淳」の特集に掲載されている石原慎太郎氏の「さらば友よ、江藤よ!」
の文章に「トリスタンとイゾルデ」の最終章・イゾルデの「愛と死」を江藤氏の殉死の
比喩に用いている個所がある。
彼を失った今になって思えば、彼の残した遺書が言葉少なにいかに毅然たるものであろうと、
その自殺はトリスタンとイゾルデの順を違えた、典型的な妻恋いの末の後追い心中でしかない。
それを他にどう脚色も説明も出来はしまいし、それはその限りで痛ましくも、美しい。
彼から、「諸君よ、これを諒とせられよ」と請われて、彼を愛した者たちとして、
何を拒むことが出来るだろうか。
石原慎太郎氏は、最後にこう書いて筆を置いた。
私は深いため息を吐いてから、もう一回イゾルデの「愛と死」を聴いた。
愛するものを失った悲しみが乗り移り、遠い昔の、諒とできない痛手が
今に甦ってくるようだった。
---
「玩具(おもちゃ)のない子が」 金子みすゞ
玩具(おもちゃ)のない子が
さみしけりゃ、
玩具(おもちゃ)をやったらなおるでしょう。
母さんのない子が
かなしけりゃ、
母さんをあげたら嬉しいでしょう。
母さんはやさしく
髪を撫で
玩具(おもちゃ)は箱からこぼれてて、
それで私の
さみしいは、
何を貰うたらなおるでしょう。
何不自由のない生活の中に「玩具のない子が/みすゞ」が具象する
自分が「何」を欲しているんだか、漠として、洋として、わからない
この根源的な「さみしい」は何をもってしても、埋まるものではないかも知れない
だから、あえぎもがく、ほんにしょうもない
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