真っ赤に色づいた楓
2010/11/28 裏山にて
今は東向きの和室に布団を敷いて寝ている。
去年まで北向きの洋間だったけど、エアコンがないから夏は暑い
窓をあければ国道を通る車の音が深夜までうるさい。
今年の暑さに耐えかねてエアコン付きの和室に寝たらまあ快適、
それ以降ここに住み着いた。
枕元にペットハウスとPC、その横に本を積み上げスタンドを置く。
最初のノーパソは3日でボツ、寝ながらTVを見たい欲求に負け、
書斎から一切合財の家庭内引越しで、ここに永住の構え。
万年床にしたいんだけど...おこられるよな。
さっきまで正岡子規の「病床六尺」を読んでいた。
子規といえば「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」で知られた俳人だが
「くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる」
など多くの短歌を残した歌人でもある。
正岡子規は云う
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。」
「病床六尺」とは子規が絶命する2日前まで日本新聞社に連載していた随筆のこと、
重篤な肺結核を患いながらも書くことへの飽くなき執念を燃やし続けた氏の生き様。
「病床六尺」の最初の書き出し
病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。
僅に手を延ばして畳に触れることはあるが、布団の外へ足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。
甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。
苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅に一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、
其でも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、
其さへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、
たまには何となく嬉しくて病苦を忘るる様な事がないでもない。
年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寝て居た病人の感じは先ずこんなものですと
前置きして。
生きながら地獄のような病床に於いて、子規はどこか明るい。
病苦の辛さをつまびらかにすることで精神の平安と安心(あんじん)を受けているのかもしれない。
子規にとって書くことは生きること、その意味で34歳の若き生をまっとうしたことになる。
絶叫。号泣。益々絶叫する。益々号泣する。その苦その痛何とも形容することは出来ない。
寧ろ真の狂人になってしまへば楽であらうと思ふけれどもそれも出来ぬ。
若し死ぬることが出来ればそれは何よりも望むところである。
併し死ぬることも出来ねば殺して呉れるものもない。
一日の苦しみは夜に入ってやうやう減じ僅に眠気さした時には其日の苦痛が終わるとともに
はや翌朝寝起の苦痛が思ひやられる。寝起程苦しい時はないのである。
誰かこの苦を助けて呉れるものはあるまいか、
誰かこの苦を助けて呉れるものはあるまいか。
布団に寝転がって両手両足を伸ばせるしあわせ
朝にカーテン越しから朝陽が見えるよろこび
ウツなるときは布団にくるまって本を読む
起きて半畳、寝て一畳、禅宗の修行僧並みの生活をすれば
あれもほしい、これもほしいの物欲がなくなるかもしれない。
増やそうとおもえば、
いくらでも増やせる空間の中に
ごく限られた狭いスペースがある
丸い井戸の底から空をみる
陽は昇り、月が沈む
月が昇り 陽は沈む
なんの不思議あらざるや
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