不平不満は山ほど海ほどある
Happyな毎日などありえない
腹がたったり、沈んだり
gooブログはなんだかなーだけど
あいつはいいヤツだと思ったり。
ぼくは躁鬱が激しいが、
一定の周期というかサイクルがあるので
未然にごまかすのは得意なほうかも、
昨夜はそんなことを思いながら眠りについた。
叔母の夢をみた。
ぼくの幼少期に多大な影響を与えてくれた叔母のことを
赤毛のアンの恩師に倣い、こっそりmissステイシーの
あだ名で呼んでいた。
二人の叔母はそれぞれ国語と美術の教職に就いた。
国語を専攻した上の叔母は赴任先の横浜に下宿ずまい、
下の叔母がぼくたちと一緒に生家で暮らしていた。
中学校で美術の教師をするかたわら商いに忙しい母の
代わりにぼくの世話と家庭教師をしてくれた。
生意気で勘の強いぼくを唯一子ども扱いしない人だった。
◯◯さんと呼ばれるとぼくは素直な生徒になる。
叔母に褒められるのが嬉しくて無我夢中で勉強し、
昼間は二階の叔母の部屋で画集や文学本を読み漁った。
アーチストのmissステイシーは油彩・水彩のほかに
国文・仏文と俳句・短歌にも長けていた。
12歳のぼくはこの頃に太宰の全集を完読していた( ;∀;)
知らない漢字はノートに書き写し、画数をたよりに
辞書を引きまくり、執念のように漢字と格闘する。
中学校に入学するときに叔母が万年筆をくれた。
「あなたはいつか文学を目指すかもしれない、
いまから万年筆に慣れておきなさい」
たぶんそんなことを言いながら手渡してくれた。
あれから幾星霜、父の法事のときに叔母に聞かれた。
「あの万年筆まだ使っているの?」
ぼくは「はい」と応えた、叔母は深く頷いた。
実は、
もらった万年筆は1年後に落下でペン先が割れ
モンブランの意味を知らずに捨てた。
どうしてもそれが云えずにぼくは嘘をついた。
いまだに胸が痛い。
すでに鬼籍に入って10年が経つ叔母だが、
夢の中ではポニーテールにスカートをひるがえし、
自転車で学校に向かう在りし日のmissステイシーだった。
一週間前に見た韓流ドラマで契約書にサインするのに
万年筆を使っていた。それを見て、年に一度は定期的に
している万年筆のメンテをしなくちゃと思っていた。
雨が降る日にしよう
叔母の告別式は雨
母のときはみぞれ
Sick of the Rain
いろいろな雨
晴れても明日しよ
いいことあるかも
Have a nice day!
今日のお昼はすき焼き、午後から厚木にお宝探しすき焼きの具材は特価品の牛ロース500g、生椎茸、水菜、長ネギ、しらたき、三之助の豆腐と油揚げ、タレは市販のモランボン、すき焼き鍋はないから26㎝のフライパンで。タレは砂糖・みりん......
Singin' in the Rain (雨に唄えば)
万年筆関連リンク(備忘録)
修理したら使えるのに。
と考えるのは年齢ですね。
わたくしも、万年筆のパーカーに憧れて
ペン先をプラチナで持っています。
時々出しては、眺めたりでれっとなって
書いてみたりです。
モンブラン社のは物凄く高かった。
銀座でモンブラン社の看板を見るたびにちくりと痛い。
正直なところ、
叔母に嘘をついたことよりも、捨ててしまったほうが
ダメージが大きい、クラシック好きなのにさ。
モノの価値が分からない年代ってあるよな...。
自分を慰める。