睡蓮の葉に
名も知らぬ虫
本宅というか、別宅...は神奈川のチベットとよばれる辺鄙な山の中にあり、
父亡きあとひとりで家を守っていた母が4年前に亡くなり、誰もいない空き家となった。
私に残されたのは本宅と畑と睡蓮鉢のメダカたち。
勤務先から近いところに中古マンションを買い、親元から離れているのを
幸いに自由気ままなDINKS暮らしに仕事ホリック的多忙な生活になじんでいた。
親はいつまでも元気で生きていると、なんの根拠もなくそう思い込んでいた。
母が病に倒れたとき生活は一変した。
ツレと交代で仕事が終わったその足で田舎街の病院に通う毎日が3ヶ月続いた。
「終末医療」を認めずタンの吸入さえ頑なに拒否する母の潔さに敬意を払いつつ
見守るだけの自分はもどかしさと自責の念にとりつかれた。
両親ともに黄泉へ送りだし
ひとり娘も嫁にやった。
もう後顧の憂いはない。
ここが人生のターニングポイントかも知れない。
長年夢中で仕事をしてきたせいか、ひとまず食うには困らない。
んで、定年延長をふり切ってリーマンをやめた。
草の庵で小さな生き物の命を見つめ晴耕雨読の日々を過ごしたい。
売れない絵を描く貧乏絵描き、Originalityあふれる書家でもいい、
みそひともじに自然の息吹を吹き込みながら、
ひまなときに雑文を書いて食い扶持の足しになればさらによし。
ところが、
当初のもくろみは露と消え、リーマン時代より時間に追われ辟易してる。
隣の芝生は青く、何処も同じ秋の夕暮れ...だった。
まだ夜が明けぬ朝ぼらけに
座ってくるか。
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