新潮45休刊の理由がはっきりせず、購読部数の低迷や原稿チェックや
企画のうんぬんを理由にしているが、「生産性」などつまらん言葉尻を
掲げてヒステリックに騒ぐ世間の潮流に怖れをなしたが本当のところか。
部外者には計り知れない内外の圧力や事情があるにしろ、
本当に申し訳ないと思うなら、筆禍の責任を取っての休刊と
潔ぎよく認めればいい。
この件に関しては東洋経済ONLINの記事がいちばんしっくりくる。
「新潮45」休刊決定でもモヤモヤ感が残る理由
これは将来に禍根を残す幕引きだ
「LGBT」「Gay」「Bisexual」
百合でも薔薇でもMIXでも、堂々としてればいいじゃないか。
後ろめたさを引きずっているから被害妄想が顕著になる。
はなから子供を望まない非生産的カップルや、
のっぴきならない事情で子供をつくれないカップルもいる。
子供を作らない、作れない、そのどちらも子供を産むことに
対して生産性がないのは確かなこと。
「生産性」は工業用の言葉とか、こじつけの言葉の綾を
引き合いに出しても、非生産性の事実に変わりはない。
プラカードを掲げて新潮に抗議することより、
付和雷同祭りに参加するバカ女の口車に乗らず、
やらなくてはいけないもっと大事なことがあるだろうに。
どうか聡明な女子連を目指してほしい。
ま、それよりも、
週刊新潮に掲載なら納得の記事を、なぜ新潮45は掲載したのか?
センセーショナルな論文の掲載で低迷する購買意欲にカツを
入れたいの目論見が見事に外れて裏目に出たならば、
それは編集長の責を問う事案で休刊に至るようなことじゃない。
たとえ女政治家の云いぶんが軽慮浅謀にしても、
掲載したからには最後までケツを持て、
こんなことで簡単に休刊とは情けない。
ネット記事が繁盛するこのご時世で、
活字になる悦びを知るライターには
新潮45の休刊は大いなる痛手とお察しする。
以上私見を書いたので、
めんどくさい人のめんどくさいコメントは受け付けないw
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