睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

吉田拓郎:'79 篠島アイランドコンサートはオレンジ色のなか

2021-11-19 17:33:28 | 唄は世につれ風まかせ
 

そういえば、
拓郎詩集記事のYouTubeが機能してないことを思い出した。
リンクを入れ替え、ついでに1曲追加してその記事は終了。

アフロにヘアバンドや白いハチマキをした若かりし日の
拓郎が目に浮かんだ、たしか拓郎はぼくより5つ上のはず、
もう75歳になったのか....爺いだなww

古いビデオなのに珍しく、音がいい、映像がきれい。

祭りのあと~落陽 吉田拓郎 1979



1979年7月26日19:00開演、7月27日4:00終演予定の
オールナイト「1979篠島アイランドコンサート」は
当日の朝早く家を出て東名を飛ばし師崎に車を置き、
昼前には連絡船の乗り場に到着。

待合室はロン毛にリュック姿の若者たちであふれ、
ギターコードを練習している人、壁に寄りかかって
居眠りしている若者たち、島民から見れば異様な
光景だったと思う。

集合時間より1時間早く着いたもので気もそぞろに
仲間たちと合流できるのか不安だった。
あの時代に携帯があればなぁ。

30分前に運よくトイレに行く仲間をキャッチした。
ブロックごとに仕切られた最前列はすでに一杯だが
かろうじてその後ろに2畳分くらいのスペースが確保
されていた。体育会系3人が活躍してくれたもよう。
頼りになるのはガタイがよくてコワモテの友なり。

3ステージのオーラスが午前4時の「人間なんて」、
声が枯れ、倒れんばかりに燃えつきた拓郎と一緒に
2万の観衆が、踊り、唄い、泣いた。

オレンジ色のステージが終演の頃はもう朝陽が輝いていた。
長い長い長いエンディングが終わり、涙でぐしゃぐしゃの
みんなの顔を見たとき、これでもうぼくの拓郎追っかけは
終わったと悟った。

これからは拓郎の絶頂期のライブを見た感動を抱えて
仕事人間になろう。そんな大袈裟な気持ちで帰りの
ポンポン船に乗り込み篠島を後にした。

さきほど篠島コンサートのDVDを最後まで見たけど、
全62曲から14曲の選曲ではあの日の興奮が甦らない。
DVDからYouTubeにUPできればいいのだけど、
ぼくはやり方を知らないので何曲か拾ってみた。

篠島の「落陽」はいくつもUPされているが、
その中で抜群に音がいいのを選んだら
なんとChina製w、日本はITも遅れをとってるね。

「落陽」

「洛陽」は2ステージの20曲目、篠島の「洛陽」が拓郎最高の
デキと云われているのは、青山のムーンサルトギターのおかげ。
途中でストラップが外れるアクシデントがあったけど、
青山は動じず最後までソロパートを弾き終えた。

カッコよかった。
それはもう割れるような大歓声で、
観客は踊り狂ってる、瀬尾一三はステージで踊り
ぼくらは輪になって踊ったよ。


「外は白い雪の夜」

このとき拓郎は泣いていたと思う。
本人は全力で否定するだろうが、ぼくも含めて周りが
みんな泣いていた。拓郎の哀しみが伝染したと思うよ。


「僕の唄はサヨナラだけ」
 


'79篠島アイランドコンサート Original Full Version 1時間16分

落陽とオーラスの「人間なんて」と開始前の観客が
入っているから、どれほど熱いコンサートだったか
雰囲気だけでも分かるかも。


サポートメンバー




吉田拓郎コンサートといえば青山徹というほどフアンに
馴染みのギタリスト青山氏はこのあとヒゲを伸ばしはじめた。
小室等と長渕剛がゲストで来たことを書き忘れた。
ナガブチ帰れコールとか。

はあ、42年前のことを思い出すのにくたびれた。
アタマをたたいても出てこないのに、
ふとしたきっかけで鮮明なスライド映像が出てくる。


今夜の部分日食はどうだろう
品川の海沿いはうっすらモヤがかかっている
雲ならあきらめがつくのにモヤではもやもや
するばかり。

早くUPして
一応はスタンバイしよ。


また明日
Have a nice day!





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