知らないタイを歩いてみたい!

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マハサラカムでの「出会い」1

2022-07-28 14:56:17 | マハサラカム
 夏休みも明けて、秋が近づく頃、 私は悩んでいた。 学生生活について、 人間関係につい て、そして、人生について。 私は今まで生きてきて、何かやり遂げ、満足したことがあっ ただろうか。 自分の好きなことはやってきた。大学も、アルバイトやサークルなど、充実 していたと思う。 しかし、何をしても、大きな達成感というものが感じられなかった。 私は考えた。 無限に広い世界の中で、私という存在は小さな点にも及ばない。それでも、どこかで、誰かのためにできることがあるのではないかと。

 子供が好きな私は、貧困に苦しんでいる小さな子を抱える地域へ行って、少しでも彼ら の心を癒したいと思った。 始めはボスニアやカンボジアなどを考えていて、ボランティア 派遣を募集する団体に連絡をとってみた。だが、どこも自己負担金が高く、 あきらめかけ ていた。

 本をめくっていると、タイの孤児院でのボランティア募集が目に付いた。 タイという国 は、その時の私にとっては全く未知で、 貧しい地域があることなど毛頭知らなかった。 そ こで木村先生を思い出した。 先生ならタイに詳しいので、話を聞いてみることにした。 先生は一言、 「何とかしてやる」 とだけ言って、着々と現地の人と話をつけてくださった。 私は分けのわからないまま、 友人と共にタイへ行くことを決めていた。 最も素晴らしい出会いが待っていることを知らずに。

 詳細はほとんど知らされていなかった。 ただ、現地でボランティア活動がしたいという ことは伝わっているようだった。 多少の不安もあったが、 先生の紹介だから安心だろう、 と大きく構えていた。

 現地へ到着してすぐに、観光地から遠く離れた農村の家にホームステイをすることにな っていた。 イサーン地方、マハサラカムとコーンケンの間に位置する、 コースムビサイと いうところだ。

 覚悟はしていたが、ここまでとは。 虫だらけの床水しか出ない風呂、風呂の水を便器 に使う。 何もかもが急に起こり、私たちは混乱した。 やっと夜、床に入ると、 蚊の音と奇 妙な動物の鳴き声に悩まされ、眠れない。 早く朝が来ることだけを願って、友人と私は一 言も口を聞かずに、第一日目を終えた。

 次の日ホストファーザーの小学校に訪問すると、それまでの不安は子供達の笑顔によっ て吹き飛ばされた。1人一枚折り紙を渡すのだが、まだ文字も書けないような小さな子が、 受け取る前に手を合わせていた。 誰一人そのようにしない子はなかった。全員に折鶴を作 ってやると、羽を広げる瞬間、 同時に子供の顔もぱっと明るく開けるのだった。 

 驚いたのは、この学校の生徒たちは貧しい農村の子ばかりで、昼には配給を受けていた。子供達を見ていても、そんなことは全く感じさせない元気があった。 私が写 真を撮ろうとすると、レンズの前にわんさか集まってくる。彼らの笑顔は、幸せそのもの だった。学問を詰め込むことだけが学校ではない、子供が生き生きと育つための場でもあ るのだと思った。

 「こんな場所では暮らせない」そう感じていた自分を恥じた。 他でもない。そこで暮ら す人々がいるのだ。 彼らには彼らの生活があり、必要なものがあれば幸せに暮らせる。「モ ノ」の溢れる日本で生活していると、そんなことも簡単に忘れてしまうのだ。

 学校を一歩でると、そこはもう農村だ。暑さ対策のため、高床式の家々が立ち並ぶ。 考 えごとをしながらじっと座っている老人、ハンモックに揺られてうとうとしている赤ん坊。 誰と目が合ってもにっこり笑い、「サワディー」と応えてくれる。

 いくつかの家を訪問し、 タイシルクを作っているところを見せてもらった。 中でもとて も美しい模様のシルクを、私は譲ってもらえないか頼んだ。おばあさんは快く承知してく れたが、からその1枚を仕上げるのに、なんと半年間もかかっているということだった。 その代金で、いったい何日暮らせるのだろうか。

 マハサラカムでは、木村先生紹介のDr.スチンや学生たちが、私たちのために手を焼いて くれた。自分の誕生日に食事を共にさせてくださったスチンさんには、ホテルの手続きそ の他本当によく面倒をみてもらった。学生たちも、「邪魔じゃない?」 と気を使いながら、 買い物やナイトマーケットなど、いろいろな場所に案内してくれた。

 屋台で食べないとタイに行った意味が無い、というくらい屋台の食べ物はおいしい。 私 このお気に入りは、もち米をバナナの皮で包んだものと、ココナッツミルクのデザートだ。 しかも値段が格安なので、いくらでも買ってしまう。 タイの学生には、私たちはさぞお金 持ちに見えたことだろう。

 「タイの友人」と日本やタイのことについて話した。 やはり日本の方が技術も産業も 発達しているので、タイの人にとって日本は 「憧れ」だと言っていた。 しかし私は、「日本 にいてもいいことないよ」と言った。日本人はいつも時間に追われているし、便利になり すぎて、自分の目標を見失っている人があまりにも多いからだ。 私もその1人であった。 そして、タイの生活に触れ、そのことに気づかされた。

 タイで過ごした時間は、とてものんびりしていた。 誰もが自分の時間を大切にしている。 余談になるが、学校で遅刻をしても叱られないらしい。 一日が長く、その日その日が充実 していて、生きていることを肌で感じられるような生活だった。

 1週間後バンコクに行って、正直失望した。 あまりにも生活が違っていたからだ。 街並 みは日本と変わらないし、観光地は日本人や欧米人でごったがえし、物価も東北地方と差。 同じ国でここまでの違いを目の当たりにし、豊かさとは何だと考えさせられた。 

 しかし、私はバイクをノーヘルで2人乗りしたり、トゥクトゥクで道を爆走したりする、 タイの気さくな雰囲気が大好きだ。危険だといわれる大都市パンコクでも、親切で気のい いたくさんの人に出会った。 赤いタイ料理も、私に新しい食の醍醐味を教えてくれ、帰り のカバンは調味料でいっぱいだった。

 タイに限らず、世界中の人が今もどこかで、素敵な出会いをしているに違いない。 いろいろな場所で、様々な人の生き方を垣間見ることができて、本当に良かったと思う。 私というちっぽけな人間が、たくさんの人に出会うことによって、その人の「人生という 本」の隅っこにいられるだけで、生きていてよかったと感じる。 そしていま、この感 を私以外の多くの人に感じてもらいたいという願いが、私に夢を与えてくれた。 夢に向 かって必死に突き進んでいる私は、タイを知る以前よりずっと自分に満足しているはずだ。 私は、私を大きく成長させるための階段を上り始めたばかりである。 そしてこの階段には、 決して終わりはない。

おわりに
 最後に、 このような素晴らしい旅をする機会を与えてくださった木村先生とスチンさん この友情に感謝いたします。 現地でお世話になった友人達や、私が出会ったすべての人々に お礼をいいたいと思います。 本当に、ありがとうございました。 みなさんが、それぞれの 人生で幸せでありますよう、心から願っています。

 2000年2月 立命館大学文学部文学科英米文学専攻 河田惠美







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