運命と出会う瞬間

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2011年の

2011年01月07日 20時48分19秒 | Weblog


あけましておめでとうございます。

お正月、子供のころよく「ことわざかるた」というので遊んだ。
覚えさせようと、母が買っておいたのにまんまとのせられて大好きだった。
せーんぶ、そらんじているけれど
意味は、あの頃、勝手に解釈していたりした。

「無理が通れば道理引っ込む。」

これは、太っちょで偉そうなお侍が通ると、やせっぽちの町人風の人は突き飛ばされて情けない顔でオットット・・・とよろけている絵だった。

無理さんが通ると通りさんがひっこむのかと思っていた幼稚園時代だった。

このことわざの怖さと深さと実在を本当に知ったのはまだ最近だが

今度はさらに、国レベルでもとんでもないことが進行中みたいだ。


中国は、2012年中には台湾やチベットと同じように
「もともとは自分たちの国である日本」を「取り返す」と言っているんだよー。
どんどん、土地を買い占めているんだよー。
どんどん、人を送り込んでいるんだよー。
どんなあとづけの理由でも成り立たせてしまう。
自分たちの都合に合わせて事実を変えて本気であの人たちは信じてしまうことができるんだよー・

中国が、日本は元は自分たちの国だといっている根拠が
世界はもともとひとつ、というならいい。
だから、互いの違いを認め合いながら仲良く共存していこうというなら
大きなひとつになろうというならいいよ。
でも、取り返す、自分たちのものにするっていう論理はあまりにも物騒です。

日本がもともと中国のものだという論拠が
漢字文化にもあるのだとしたら
私は、断固いそぐ。
漢字などより以前、ずっとずっと以前に、この国は尊い文字も文化も神も哲学もあったことをひろめていく。
日本の本来の文化は般若心経にあるのではないこと。
イザナギ、イザナミが降ろすそのずっと前から
気が遠くなるほどのにほんじんの言葉も精神性もあるのだということを。

ほんとうにほんとうの真 ホツマ があること。

そして、人々はあめなるみちを忘れず、天なるみちと大地と己を繋いで、和して暮らしていたことを。


争わない、自己を律し、人を思いやるという私たち民族の特質をよいことに
そこまでの勝手はもはやゆるされない天の時もきつつある。

無理さんが通れない世がそこまでやってきている。。。
でも、天だけに任せず
わたしたちも大切なことを思い出して
三次元的にもちゃんと力を尽くさなければ。

2011年

素晴らしい年であるように

素晴らしい世界でありますように。