運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

ソーシャル・ネットワークとシュレック

2011年01月21日 00時46分53秒 | Weblog
いつも家族で観てきていた「シュレック」の最終版「シュレック・フォエバー」を観た。
平日の夕方なので子供連れもいるわけではないからほとんど館内貸切状態。

シュレックは、やっぱりシュレックだった。
だけど、今回はシュレックは、手にした幸せに不満が募り、一人だったときの自由を毎日夢恋しく渇望して夢見る。
人は(あ、ちがった、シュレックは怪物だ)なんと、
ないものねだりばかりの贅沢を繰り替えすのだろう。

日々のルーティン、家族や子供の存在、自由に使えない時間、時としてそういう縛りが苦痛になってしまう。
それは誰だってどの立場だってあることだろう。
爆発したいことだってみんな我慢しているかもしれない。
シュレックも窮屈な日々はフィオナと家庭をもったから始まったと、鬱憤を爆発させる。

そして、そんなときに、巧みに誘惑やら試しやらも忍び寄る

思わず、ひきかえに自分の一日を差し出して
もとの自由な怪物になった我らがシュレックが何を見て何を思うのか。。。

奇しくも、先日兼ねてから、当時のハーバードの学友だったという或る知人から聞かされていた話だったので
「ソーシャルネットワーク」を観て来た。
そして、映画の中でも「フェイスブック」が大きくなっていくにつれ、設立前からの友情を失っていく若者の姿を観た・・・

ただ、ふと、二つの映画に思った。
それによって得るもの、満足、達成、のかげに、何かや誰かを著しく傷つけたとき失うものは、やはりある。

自分を見つけたときに、向けてくれる無垢な特別な信頼の笑顔
ほんとうに心をゆるし合った家族同士だけに見せる親しみ
そういう笑顔より、もっと大事なものなんて、この世に本当にあるんだろうか。

それとひきかえにするほど価値のあるものって実は無いのかもしれない。
神様は、それこそが実は最重要課題だから、私たちに縁ありて家族を与えたまうのかも。
1000人の支持者より身近な一人との真の関係を得るほうがむずかしいのは、フェイスブック以降の世の中では
みえなくなりがちかもしれないけれど。

・・・・でも、そこからあとは
シュレックは、どこまでもさすがのシュレックだった、カッコわるいけど最高にカッコイイ!!素敵なシュレック!
弥栄!!

映画館から出たら、空には、新年最初の満月。
周囲に彩雲が輪になっていた。
美しさのレベルがもう去年とは全然違う。

世界も次元もみえないところでちゃんと変わりつつあるって、予感は実感となっている。
いつも、どんなときも、ただ、よろこんでいよう。