運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

宇宙で一番のカップケーキ

2010年03月17日 23時20分55秒 | Weblog
長かった一日の宵に、ひとり紅茶を淹れてカップケーキをいただいている。
昼間、自分の分として配られたその一個だけのケーキを、ようやくゆっくり味わおうと食べ始めた。
膨らみ方は少し斜めだけれど、実はこのケーキ、もしかしたら世界一、いえ、宇宙一、贅沢な豪華なケーキなのだ。
ウコッケイの卵が41個も入っているだけでも凄いけれど、作るのに六年間かかる。
手をとり足をとり寝ずに見守る夜もあったり泣かれたりふてられたりしながら、大事に大事に種を練ったものだ。
そして、さらにそこに6年間分のスパイスも、レーズンと一緒に入っている。
日々の願い、笑い、涙、手間、そして・・何より祈り。
誰も知らない、わたしだけが知っているフレーバー。
これだけふんだんに入っているのだもの、とびきり、コクがあっておいしいはず!・・そう気がついて食べていたら、涙が出てきた、あとからあとから出てきた、今日はとにかくにこにこ笑っていようとおもってがんばったせいか、止まらない。。。
本当においしいカップケーキ、奇跡のよう。
卒業オメデトウ。
この学校の校長はただひとり、主であるキリストだけです、という学校を卒業した日の素敵なデザート。
ありがとうございました。

カラフルママ

2010年03月15日 14時00分11秒 | Weblog
カラフルママ・・当時から気に入っていたネーミングだけれどやっぱり懐かしい。
まだ息子たちが小学生だった頃、近所の音楽好きのママたちとバンドを作ってコンサートによばれたり開いたりしていた。
もっぱら、アニメソング中心。子供たちを喜ばせたくて、そして自分たちもその大義名分のもとに音楽を楽しんでいた。全員子供をもつママで構成、私はキーボードだったが、ドラムもベース、ギター、サックスも自前でちゃんとそろっていて、渋谷のエピキュラスに出演したりもして、若いギャルたちから「カッコいい!!」なんておほめをいただいたりもした。そのカラフルママが先日20周年!と共にいったん解散・・続いていたこと自体が驚異だ。
私はもうずいぶん前に抜けてしまったのだけれど、残ったメンバーはまさかの10周年、15周年、そして、20周年だ、脱帽。
写真は昔のものでなくて、この20周年の日のもの。どうしてどうして、みんなもう○○才だけど現役だ。
当時、音楽性を高めたくてレッスンに通ったときの先生まで解散のときには駆けつけてくれていた。
明るい性格のボーカルはガールスカウトの団長も兼ね、「唄う団長」としてもみんなのムードつくりに貢献、地域でも幸せを振りまいてきたから、市長なんかからも花束が贈られた。継続は力だなあ。

お祝いに行った翌日、ふとつけたテレビのBSで、「わたしのあしながおじさん」を再放送していた。
このアニメからも当時二曲レパートリーだった。すごいタイミング。
懐かしい・・「きれいごとは苦手なの、夢を形にする力を持ったキミをだれもが認める・・すべては、これから、いつでも、これから・・」わあ、当時からこんなすごい歌詞だったのだ。
どんなに時がたっても、進化しながらも、本質は変わらないから、子供のときに聴く歌、見るもの、は大切だ。

春の発酵ぬか床

2010年03月09日 01時08分42秒 | Weblog
糠漬けが大好き。子供のころから、きゅうりの糠漬けが大好きだった。

いまの部屋に来て、ようやく台所周りも落ち着いて、冷蔵庫も来て、あきらめていた食品をちょっとずつ、丁寧に品選びして、本当に必要なものだけを慎重に買っている、、春になると出回り始める糠どこや糠付けのもとなどが、日々の誘惑、待て待て、あの小さな冷蔵庫の一段をほとんどを占めちゃうぞ、と横目で見ながら買わずに帰る日が続いたが、頭のなかにはもう、きゅうりや大根やにんじんの糠漬けのイメージでいっぱいだ。
とうとう。。。メールした、ひと言。「ぬか床ある?」
翌々日、来た返事、発酵糠どこを送ります。。きゃーー、やった。
いそいそときゅうりの、新鮮なのを選び、漬け始めた糠漬けは、昔の糠床とちがって、さすが発酵糠床、もう、味もちゃんとして漬かっている。

春から、夏の、格別の喜び、糠漬け。。。蕪もキャベツもたまらない。
先日はじめて食べておどろいたかぼちゃやメロンの糠漬けや、筍も挑戦してみたい。
葱の糠漬けもおいしいのだ。
流しにある、ふきのとうを、これは。。どうだろう、と眺めている。
あんがいほろ苦いおいしい糠漬けになるのかしら。

教えていただいた話だけれど、お寺の住職に長寿で健康な方が多いのは糠漬けを毎日食べるからだそうだ。腸内にこの発酵乳酸菌が善玉をたくさんつくるのだって。

ささやかなおいしい幸せだ。

赤椀の世直しと民さんの個展

2010年03月09日 00時21分24秒 | Weblog
赤椀の世直し・・・最近初めて知った言葉だ。
縄文から弥生時代になって200年くらい、世が乱れ、戦いがあちこちで行われているのを憂いて、平和な国にもどそうとなんと当時の女性たちが動いたのだそうだ。
沖縄、奄美あたりを拠点に「赤椀)赤銅の世直し」のための勉強と活動をするために各地から集まった女性たちはアマミコと呼ばれてノロのような要素もあったらしい。
アマミ舞の思いと通ずるところ、おおいにあって、人品ともに、きっと当時の長だったのではと思われるT先生と盛り上がって、そのまま、尊敬する画家の民さんのところでその話をした。
ちょっと待ってて・・民さんが奥から何かを手にして戻ってきた。
なんと、立派な、由緒ありそうなどっしりした大きな赤椀だ。
これは???昔、民さんが東京でひとりでの暮らしを開拓するときに、なぜか、赤椀をもって行こうと思って特注してもらい、「私はこの赤椀に自分で稼いで銀シャリを入れてもりもり食べてやる」と決意してはじめたそうなのだ。
さらりとおっしゃるが、これがこの民さんの不思議で面白いところだ。
「普通、そんなこと考えません」「あら?そう?みんなそう思わない?」
「だって、お椀はお汁を入れるものでご飯ってあんまり思わないでしょう」
「そうかしらね、あたくしはなぜか、このお椀に、こう、山盛りに銀シャリを盛ってとおもったのよ」
。。その民恵美子さんの個展が始まる。
新宿京王プラザホテルのロビーギャラリーにて11日から19日まで。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~emiko-tami/topjpn.html

それは・・素晴らしいのだ。。すべてを白と黒の点の集合であらわす宇宙や原初の光や命を思わせる大作たちと、或る日、だっこの画を描きなさいとのイメージが来て以来、コツコツと毎日せかいじゅうの子供達の施設のために描き続けている、まったく作風のことなるやさしい「だっこ」のシリーズと。
その、いちからがすべてほんとうにオリジナル、民さんを通して出てきたエネルギーだ。
真贋という言葉があるが、世の中は結構、真に見えて雁なもの、とても器用な加工によるものにあふれ、まかり通っている。この民さんのような、粒子の一粒一粒がオリジナルな作品と傑出した「独り」己への責任を100パーセント淡々と、敢然と腹にすえている人柄とが本当にありがたく嬉しく学びになる。
真偽、というが、これまでいくつかの偽を応援して痛い思いをしたお陰で真がわかるようになった。
そして、どんなジャンルのひとでもホンモノはどんなささいな真心も見逃さない、恩も忘れない、ということも思い知った。

倭人

2010年03月05日 12時09分35秒 | Weblog
日に日に膨らもうと陽光を蓄えている桜の蕾を見ている。
我が窓は、桜の大木の前の特等席なのだ。

花が待たれるけれど、蕾も、花のあとの葉っぱも大好き。秋の、オレンジの葉もいい.

その窓の横には、「アワのうた」の掛け軸。
もう、そろいすぎ、である。感謝しかない。

この掛け軸をくださった方は,軸以外にも私にとっての素晴らしいギフトとなる話をくださった。天は、本当に思いがけないときに、驚くような采配をふるわれるという体験談だ。もう、ただただ正直にまことを尽くして生きていれば、本当にそれだけでいいのだ、泣くことも、報いることも、いらない。自ら動かずとも、ちゃんと天がいいようにされるのだって、そのお話を通して神様が教えてくださった。

正直者はバカを見ない世になる。。そう思ってはいても、それでもときに、人が人にそのようなことをできるだろうかというような振る舞いや言葉に遭遇すれば心は多少揺れる。でも、そんな揺れさえもやっぱりいらないのだとあらためて教えていただいた。
私たち、倭の民は、ちゃんと守られてきた、おひとよしであろうと、すぐには目にはみえなかろうと、まことで生きていさえいれば、いつもお天道様はみていてくれる。この国には必ずそういうものがある。
理屈でなく、それを感じそれを信じられる。
ただただ、安らかに日々に心をこめて生きていよう。

それが「あめなるみち」ほんとうにまことのすばらしき「ホツマ」。、