運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

マフラーを恥ず

2010年03月02日 00時57分57秒 | Weblog
・・・先日までインドに行っていた方に、子供達の実情を尋ねた。
信じられるだろうか。
カーストのひどさは聞いてはいたが、千種類もの階級の差別に分かれているなどというばかげたことを。
最下層に分けられて子供たちは人として認められていないから、ひき逃げされても重病になっても、病院にかかることが、決まりとしてゆるされないのだ。。見捨てられていく。
人が人に、そんなことをなぜ平気なのだろうか、あり得ない、でも、あり得ないことをあり得させてしまうのがあらゆる偏見と差別とによる怖さ。。自分自身の目で本当のところを見ない、知らない、自分自身で考えないおそろしさだと思う。。

けれど、そのことに憤ったり語る資格など私にはない。
その子供達の病気はほとんどが耳からくるのだという。。
耳から。。今年の厳冬の寒さに耳がやられ手も冷気から守るためのマフラーもない。。。
ああ、ごめん、本当にごめんなさい。。恥ずかしい。。恥ずかしい
私は、安いからと、色がよいからと、いつのまにか何本ものマフラーやスカーフをためこみ、場所をふさいでかさばるなどと思ったりしたばかりだった。。
いくらそう思おうが恥じようが、実際に現実に向こうに役にたたなければ何もはじまらない。次回のインド行きにはせめてそれも含み全部託す、まにあうだろうか。
ユニクロで何百円で買えてしまう国と、買えずに病にかかっていく国があるなんて。でも本当はそれもみんな私たちは受け入れている、作り出していることなんだ。。知っていることも知らないことも連動している。
インドでなくても日本ですればいいという声も聴く、もちろんそれだっておおいにそう、日本でもどんどん力を出し合いたい、知ったらそこで動けばいいんだと思う、どこだからというんじゃなく、知ったなら知らんふりしない、通り過ぎない、どこのだれにすることも実は結果としてきっとみんな同じだ。
いいこともそうでないことも、誰かにすることは実はみんなにすること、自分にすることなんじゃないだろうか。
チリの地震も、たまたま地球の向こうで起きているだけで、こっちともつながっているのだ。
恥ずかしさやかなしみにうちのめされているだけでなく動く強さ、それだけが要る、それだけが明日を変える、今日、何かできることをひとつ、そして、もうひとつ、みんなでそういう強さをもちたい、みんなで、表面はみんな違うけれど、核の核にあるだれひとり違いはないとうとさを信じて少しでも変わっていきたい。マフラーをもどして洗わせてもらえたらそれはちっぽけなクリーニングだ。まだまだこの地球でヒトのクリーニングと学びは続く、ならば、応援しあって、励ましあっていきたい。