円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳など古墳にもいろいろな形状のものがある。その中で前方後円墳と前方後方墳にフォーカスしてみよう。前方後円墳は3世紀から7世紀に築造され、天皇稜、皇后稜のほとんどが前方後円墳である。したがって前方後円墳の分布の推移を調べれば大和朝廷の勢力範囲の推移がわかる。これに対して前方後方墳は3世紀から5世紀に築造されている。その主要な分布は濃尾、東海、関東であり、前方後円墳の分布とは色分けすることができる。特に初期の墳墓の分布はその傾向がはっきりしている。つまり3世紀頃には2つの大きな国があったことが予想できるのである。前方後円墳勢力と前方後方墳勢力である。面白いことにこの2つの墳墓が共存する地域がある。特に大和朝廷が存在した大和においても前方後方墳が存在することは、その2つの勢力が融合したことを示唆している。3世紀と言えば邪馬台国の時代である。過去のブログで述べてきたことであるが、ヤマトに邪馬台国があったという可能性は高い。そうすればその頃の邪馬台国に敵対していたのは狗奴国であるから狗奴国は前方後方墳勢力と考えられる。前に、卑弥呼の外交によって狗奴国が邪馬台国連合に取りこまれたという可能性について書いたが、まさに前方後円墳と前方後方墳の築造年代、分布の推移がそのことを強くサポートしている。
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