前夜良い睡眠がとれたお陰で、体調は戻った。
ただいくらか寝過ぎたので、少しの頭痛は残った。
だが、これはじきにとれていくだろう。
二日目のボランティア作業は前日の続きだった。
草刈機で草が残った奥の方を刈っていく。
奥の方は伐倒した後の切り株が草の下にあったり、硬めの低木があったりするので注意した。
何度か切り株が見えなくて刃が刺さったり、キックバックぎみになったりすることがあって、最後まで集中するよう心掛けた。
切り株は何箇所かあることにはあったが、思っていたより残っている様子ではなかった。
昔ここで作業をした時に、極力平らにしておいたおかげたと思った。
切った草などの中には、たくさんのたらの木や、中にはうどやさんしょうもあって、かつては旬の季節にはそうしたものが食卓に並んだのだろうと想像した。
背丈の高い草は真ん中を払ってから、下の方を刈ってとしながら、草刈りはさらに奥へ進んでいく。
昆虫たちが草を刈った後を惑いながら逃げてゆく。
南相馬に初めてボランティアに来た頃は、好き勝手なところにクモが巣を張っていたり、つる性の植物が人間の植えた生垣に容赦なく巻き付いて枯らせていたりした。
その時は、ずいぶんいいようにやっていると心を痛めた。
逆に人間の住んでいる時は、人間に遠慮して生息しているものなんだなとも感じた。
今は人が戻ったからか、元の構図に戻った様だ。
今度は無駄には殺すことがないようにして、昆虫が逃げてから草刈り機の刃を入れる。
そうして休憩を挟みながら作業を続けていると、隣の土地の農家さんが沢山の水なすと、その場で食べられるようにとスイカを切って差し入れて下さった。
差し入れてくださった際に、昨日気になったとうがらしのことを聞いた。
やはり特産の小高とうがらしだということだった。
小高の特産品として、一味やカレーなどの商品にもなっている唐辛子である。
スイカは「自家用に作ったものだから味はわからん。」と言っていたものだったが、たしかに小玉スイカにしては甘さはない方だった。
ただ、真夏の炎天下でほてり切った体には、それは最高のスイカだった。
甘みがさっぱりしている分、甘さに隠れてしまうような香りがじわっと滲み出てくる。
みずみずしい果汁ややさしい繊維も、まさにその時体が欲しているもののように感じられ、夢中になって皮の際までかぶりついた。
忘れられないスイカの味になった。
午前でその場所のほうは作業が終わり、午後は市街地の中の場所での作業になった。
市街地の場所は住民の方などが車で通りかかる。
その車の中から視線を感じることもある。
それは幸い好意的な視線が多いように感じる。
ボランティアはそうしたところを見てもらうと言うのも大事な事だと、最近感じている。
相手がどういう気持ちでかまでは察しきれないのだが、良い影響があることが多いらしいというのは感じている。
だから、いつも気を抜かないようにしている。
程なくして午後の作業も終わり、今回の日程も帰宅だけとなった。
つづく。