のんびり起業を目指す日々

好きなことを勉強しながら、のんびりとお惣菜屋さん開業をめざす毎日です。

大きな大きな皇寿プラム

2024-08-29 05:50:00 | 果物 野菜
皆様おはようございます。

久しぶりに野菜、果物カテゴリーを投稿したいと思います。
今回は、「皇寿プラム」。
南アルプス市産です。

仕事が渋谷で終わったので、ヒカリエのお肉屋さんなどで買い物をして行こうとヒカリエビルの駐車場に入れたところ、すでにヒカリエは20時閉店でしまっていました。
そこで駐車場の別の提携先、スクランブルスクエアの紀伊國屋さんで買い物をすることになり、見つけたものです。
山梨に行ったばかりだったこともあり、手が伸びました。



見た目は貴陽と同じ様に見えますね。
貴陽の枝変わり品種(特性が変化したもの)だそうです。
こちらの方が晩成種で、採れる時期が貴陽より遅くなります。


自宅近くで買った、同じく南アルプス市産の黄金桃と大きさが変わりません。
このサイズのプラムは初めて買いました。


ナイフを一周回し入れ、ひねって半分にしました。
非常に楽に半分にできました。
果肉がしっかりとしてタネも小さく、果汁もベタつきを感じないので、ストレスなくカットすることができます。



皮付きのままカットしていただきました。
果肉の硬さはリンゴに近いしっかりした食感。
そして、これまたリンゴに似た濃いめの甘味とプラム特有の爽やかな酸味が食べる部位が変わるごとに交錯してとても楽しいです。
大きいので非常に食べ応えがあるのも、嬉しいところです。
また食べたいと思わせてくれる、想像以上のプラムでした。

それでは良い1日を。






山梨の雨

2024-08-28 08:48:00 | 日記
皆様おはようございます。

先日恒例の山梨遠征に行きました。


果物王国山梨は四方を山に囲まれている盆地。
それらの山に守られ、天気予報が雨でも雨雲が盆地に達しないことが多いです。



しかしながらこの日は雲行きが怪しくなって来ました。
南には大きな雨柱が見えましたし、北側の山地は積乱雲の下の雨で山が全く見えない状態になっていました。
つまりエグい雨が降ってるという事。
万事急すか。





まもなく、雷鳴と共に激しい豪雨に晒されました。
地形のせいか雲の位置が低く感じられ、少し遠くで落ちる稲妻も、関東平野のものより雲から地面までの長さが短く感じました。
盆地の雷雨、怖かったです。
しかし今年は、2月の雨予報の日の志賀町、8月の台風直撃予報の南相馬市、行ってみると予報との差異により難を逃れて来ました。

やれるかもしれない。

領⚪︎展開「晴鱈良音(はれたらいいね)‼︎」
注:天気を良くする魔術の様なもんです。


晴れてきました。
(ヤフーの雨雲レーダーも雨は弱くなると予想してましたが。)


富士山「ありがとう〜」



この日は笛吹市の花火大会。
仕事の方は、甲州街道がその影響で混んできたので、早めに切り上げました。






いつもと違うICから高速道路に乗り、PAで自分も花火を見ることができました。
ただし、花火に近いIC周辺は雨が降っていなかったのに、何故かこのPAは雨が降っていたんです。
天気のいたずらの多い日でしたね。

さて、領⚪︎展開は冗談ですが、無事花火大会が行われて良かったですね。

それでは良い1日を。




5.小説

2024-08-15 05:52:00 | 日記
帰りの電車は全て各駅停車で帰ることにした。
ここ数年は、水戸から特急に乗り換えることが多かったが、各駅停車のみで帰ればお得な青春18切符が利用できる。
今年は仕事量もうまく調節してきたので、そういう日程にする事が出来た。
帰りの電車の時間まで一時間くらいあるので、小高交流センターの中庭で、コンビニで買っておいたなみえ焼そばを食べた。
なぜ買ってあったかというと、帰りの電車が水戸行きで、水戸まで長い時間食事が買えないと考えたからである。
食べた後は駅へ歩いた。
すると左手にある、フルハウスというお店が開いていたので立ち寄った。
小説家が経営するお店ということで、お店ができたころは、若い人がたくさん集まっている事があった。
その様子を見てお店は知ったが、今回まで立ち寄ることが出来なかった。
電車が来るまでまだ30分ほどある。
アイスコーヒーを頼んで時間をつぶすことにした。
お店は本屋とカフェが合わさったようなお店で、カフェ商品を頼めば時間をゆっくり過ごせるようになっているようだ。スマホなどの充電もできる。
都市部でのスタバなどの様な利用のできるお店である。
小高ではそうした事ができる場所として、貴重な存在だろう。
手前のスペース、そして少し高くなった奥の二つのスペースそれぞれ壁際の棚に、たくさんの本が並んでいる。
おすすめの本には、著者や本を推薦する著名人本人の推薦文の入ったポップを添えてあり、そこは人脈のある小説家のお店らしい所に感じた。
スマホを眺めて帰りの下調べや、店内を少し見て回って時間をつぶし、最後に一冊の文庫本を買って店を出た。

電車を待つ小高駅は、駅員室だった場所がお店になっていた。
食料品を中心に小高のオリジナル商品が多く、小高カレーも売っていた。
そこで少し買い物をしていると、列車到着のアナウンスが流れてきた。
急いで向かいのホームへ渡り、電車に乗った。

車内では買っておいた小説を読み始めた。
JR上野駅公園口。
そう、先ほどのフルハウスのオーナー、柳美里さんの本である。
数冊ある中で、この小説に決めたのは、このあと水戸では各駅停車上野行きに乗り換えるからである。
表紙を開くと、最初の見開きに著者の直筆と思われる一行の言葉があった。
この小説の伏線なのか、読者へのメッセージなのか。
その言葉は意味深げに感じて、一瞬何を意味するか考えてしまった。
さすが小説家である。
あらすじを調べた時は自分に合う本かわからなかったが、読み始めてみると内容に興味がわき、先の展開も気になって読み進んでいく。
小説はいいなと憧れが沸いてきた。
次の自分のブログの投稿は小説っぽくしてみようと決めた。

4時間ほどの常磐線各駅停車の旅も終盤、東京が近づくとダイヤが乱れてきた。
神奈川で起きた地震の影響だった。
北千住で乗ってきた労働者風の男性が向かいの座席に座った。
少しイライラしているような顔だった。
先行の電車が詰まっていて、南千住駅で停車時間が長くなった。
「最近地震が多くて困りますね」
向かいの座席の男性が言った。
「そうですね、東日本の震災からずっと多いですね。」
自分は返した。
ヤフーの路線案内の示した通り、日暮里駅で京浜東北線に乗り換えた。
上野駅のホームが想像以上に列車が詰まっているようで、京浜東北線が発車しても、先ほど乗っていた常磐線はまだ日暮里駅にとどまっていった。
乗り換えた京浜東北線の車内は、疲れたように見える人が多く感じた。
お店も物もあふれていて便利で、良い仕事もあるはずの東京。
みんな東京の恩恵があるから住んでいて、大部分の人が良かれと思って住んでいると思う。
その車内が、福島の電車の車内より少し雰囲気が暗いんじゃ無いかと思った。
ハッとした。
(自分はどうだろう)
自分の仕事はこのところ安定しているけれど、どうしても時間に追われたり、休みも普通の会社員の様には取れない。
普通の状態と思っていた状態は、心も体も実は良好とは言えないかも知れない。
東京で生活していると、イライラした人とぶつかる事も多々ある。
(そんな自分はいい顔をしている?)
夕方まだ居た福島ではどうだったか。
暑さのなかボランティア活動をして、ご飯を食べて、たくさん寝て。
確かに疲れが出てしまった時間もある。
けれどそういった福島での日程で、気持ちがイライラしたり、ストレスを感じたことは無い。
(実は福島にいた時の方がいい顔していたのでは)
そう考えると、「さぁ切り替えて東京での仕事に戻って頑張るぞ」と、東京に舞い戻って来た自分は何なのか、良くわからなくなった。

終わり。





4.すいか

2024-08-14 04:49:00 | 日記
 
前夜良い睡眠がとれたお陰で、体調は戻った。
ただいくらか寝過ぎたので、少しの頭痛は残った。
だが、これはじきにとれていくだろう。

二日目のボランティア作業は前日の続きだった。
草刈機で草が残った奥の方を刈っていく。
奥の方は伐倒した後の切り株が草の下にあったり、硬めの低木があったりするので注意した。
何度か切り株が見えなくて刃が刺さったり、キックバックぎみになったりすることがあって、最後まで集中するよう心掛けた。
切り株は何箇所かあることにはあったが、思っていたより残っている様子ではなかった。
昔ここで作業をした時に、極力平らにしておいたおかげたと思った。
切った草などの中には、たくさんのたらの木や、中にはうどやさんしょうもあって、かつては旬の季節にはそうしたものが食卓に並んだのだろうと想像した。
背丈の高い草は真ん中を払ってから、下の方を刈ってとしながら、草刈りはさらに奥へ進んでいく。
昆虫たちが草を刈った後を惑いながら逃げてゆく。
南相馬に初めてボランティアに来た頃は、好き勝手なところにクモが巣を張っていたり、つる性の植物が人間の植えた生垣に容赦なく巻き付いて枯らせていたりした。
その時は、ずいぶんいいようにやっていると心を痛めた。
逆に人間の住んでいる時は、人間に遠慮して生息しているものなんだなとも感じた。
今は人が戻ったからか、元の構図に戻った様だ。
今度は無駄には殺すことがないようにして、昆虫が逃げてから草刈り機の刃を入れる。

そうして休憩を挟みながら作業を続けていると、隣の土地の農家さんが沢山の水なすと、その場で食べられるようにとスイカを切って差し入れて下さった。
差し入れてくださった際に、昨日気になったとうがらしのことを聞いた。
やはり特産の小高とうがらしだということだった。
小高の特産品として、一味やカレーなどの商品にもなっている唐辛子である。
スイカは「自家用に作ったものだから味はわからん。」と言っていたものだったが、たしかに小玉スイカにしては甘さはない方だった。
ただ、真夏の炎天下でほてり切った体には、それは最高のスイカだった。
甘みがさっぱりしている分、甘さに隠れてしまうような香りがじわっと滲み出てくる。
みずみずしい果汁ややさしい繊維も、まさにその時体が欲しているもののように感じられ、夢中になって皮の際までかぶりついた。
忘れられないスイカの味になった。

午前でその場所のほうは作業が終わり、午後は市街地の中の場所での作業になった。
市街地の場所は住民の方などが車で通りかかる。
その車の中から視線を感じることもある。
それは幸い好意的な視線が多いように感じる。
ボランティアはそうしたところを見てもらうと言うのも大事な事だと、最近感じている。
相手がどういう気持ちでかまでは察しきれないのだが、良い影響があることが多いらしいというのは感じている。
だから、いつも気を抜かないようにしている。
程なくして午後の作業も終わり、今回の日程も帰宅だけとなった。

つづく。


3.爆睡

2024-08-13 05:47:00 | 日記
今回のボランティア活動の内容は草刈りのご依頼。
ボランティアのリーダーの運転する車で、依頼先へ向かった。
着いた場所は、見覚えのある石碑のある場所だった。
もしかしたら、以前来たことがある所と同じかもしれない。
その以前来た場所とその日の場所は様子は全く違った。
季節も違う。
その時は季節は冬で草は無く土が出ていて、伐採された木の枝を軽トラックに積んで運んだ。
軽トラックが入りやすい様に、地面に残った小さい切り株を、チェンソーで取り除いて平らに近くしたりした記憶もある。
周辺の風景もだいぶ変わった。
北西には広大なトウモロコシ畑が広がっていて、近くの農家の庭先では、唐辛子が赤くなりつつある実を濃緑の葉の下にさげ、美しかった。
ここへ来る途中も、かつて除染のための黒いゼオライトが撒かれていた農地はもうどこにも無い。
その後に、よく見られた菜種油を取るための黄色に咲く菜の花畑の場所も、多くが薄緑色に揺れる水田の風景に変わっていた、
収穫した米の安全性が確認できたという話は何年も前に聞いたが、農業はだいぶ盛んになったのを感じられた。

そうした環境は人の精神にも作用してくるのか、ボランティア作業も前より自然な気持ちでできる様な気がした。
人間は人間の作った環境が落ち着く。
そういうものなのだろうか。
草刈り作業の進捗は時間までに3分の2くらいが終わり、ボランティア作業を終えてセンターに戻った。

今回は二日間活動の予定。
その日の宿泊は、仙台方面の名取市に電車で戻り、ネットカフェを宿代わりにするつもりだった。
ただ真夏の暑さの中で、体力をだいぶ消耗したようだ。
かなりの疲労を感じるし、軽い頭痛もある。
センターの宿泊所をお借り出来るので、そちらに泊まることにした。
センターの宿泊所は風呂、シャワーは無い、
それを懸念していたが、軽トラックをお借りできるとの事で解決した。
風呂は隣町の浪江町のいこいの村を利用した。
宿泊施設だが、日帰り入浴も可能な施設だ。
いこいの村に向かう途中、浪江の道の駅で、食事といくつか食料品を買った。
食事は空腹と疲労がひどくなってきたので、なんでも食べたいという気持ちだった。
本能で1番食べたいと思った、豚しゃぶやにんにく、トマトなどの入った冷やし中華にした。
明日までに体調を戻さなくてはと、夢中でたいらげた。
食料品は、地元のピーマンやなす、そして能登牛のカレーそぼろを買った。

その後、風呂を済ませて小高に戻り、宿泊所で寝る準備をした。
宿泊所は、コンテナを宿舎に仕立てたもので、クーラーもついている。
宿泊所のマットレスと自分で持ってきたブランケットで寝ることにしたが、マットレスを敷いただけでその上に横になり、少しの間うたた寝してしまった。
10分位でうっすら目が覚めて、室内の熱気を逃す為に開けた窓が開けっぱなしだったことを思い出した。
いけないと思い窓を閉め、ブランケットを体にかけて横になった。
クーラーは使わなかった。
小高の夜はとても静かだった。
外の明かりも少ない。
電車の音が聞こえることもあるが、それほどの頻度では無い。
疲れ切った体を横たえているだけで、その時はとても楽で心地よかった。
何も考えない、考える必要もなく、静かに横になって目を閉じていれば良いだけの時間が流れた。
翌朝まで2回ほど目が覚めたが、起きる必要が無いのでまた寝た。
11時間寝た。
その夜は、ここ数年なかった位の深く良い睡眠になった。

つづく。