にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

こころの羅針盤(1)

2019-10-01 16:15:00 | 日常

   人生を旅にたとえるならば、そろそろ終着点が見えてもいい頃である。でも自分の中で終着点を決めたくない気持ちがある。

進路を決めるための羅針盤が若い頃から自由度が高く、あれこれといろんなことをやってみたくなる。

羅針盤とは、船舶や航空機に備えて方位、進路を測る装置と辞書的にはある。目的地が決まっていればそれに向けて羅針盤を手掛かりに進めばよい。

今の若者をみると、どこに行けばいいのかわからない、どうしたいのかわからない若者が多い。







羅針盤といえば、『なだいなだ』の文章を思い出す。(『振り返る勇気』)
6年前くらい前に亡くなった作家で精神科医だった人だ。彼は、かつて治療したアルコール依存患者との会話が忘れられない。

彼は小学校から大学まで優等生だったという。つまりエリートコース(キャリア官僚)をずっと歩んでいた男だった。
患者としても優等生だった。医者の僕の言うことは、僕の書いた本などで読んでいる様子で、全部覚えている。話を中途で遮って、そのさきはこうでしょう、と先回りして得意げだ。

病院規則はよく守り、看護師のいうことは素直にきく。ところが、退院させてやると、直ぐに酒を飲んで病院に逆戻りだ。それをこれまで十何回も繰り返していた。

「こんな優等生の患者が、外に出るとなぜ一日ももたないのだろうか」
と首を捻ったら、彼から
「優等生だからですよ。患者としてばかりでなく、小学校から大学まで優等生でした」という回答がすぐ返ってきた。
僕は頭を上げて彼の眼を見つめた。
「優等生だから?それはどういうことかね‥‥」僕はおしまいまでいえなかった。
彼が遮った。

「優等生だったのがいけないというのですよ。優等生なんて、なるのは簡単ですよ。でも、ドクター、あんたには優等生は難しいでしょうね」
あまりにも図星だったから、鼻白んで尋ねた。







「どうしてわかったの?」
「頭が悪いから、なんて失礼なことはいいません。なれる頭を持っていてもなりたがらないからです。先生は、面白い小説を読み始めたら、試験の前の日でも、止められないでしょう」
「その通りだが」
それで何度か追試を食らったことがある。

「優等生になるには、小説など読んでいてはだめです。試験範囲の復習を、3度でも4度でもする。何しろ1番でも上に行く競争ですからね。先生はそんなのに価値を感じないでしょう。試験なんて、すれすれで及第すればそれでいい。暇があれば、できるだけ決められた以外の勉強をしたい。そう思っているでしょう。優等生は決められた勉強をして一点でも他人の上に行く競技をやって、1番だ、2番だ、と数字を誇りにする。才能のある優等生は別です。余裕を持って1番になるから、あちこち手を出せるけど。でも僕のような優等生はダメです。決められたことをやることになれるうち、自分で選んで、自分で決断することが出来なくなる。いわば、太平洋のまんなかにいくためのに必要な羅針盤がこころにつくられていない」







   この「なだいなだ」の本に出会ったのは10年くらい前のことだろうか。ここに書いてあることは、私の高校時代に確信が持てないままぼんやりと思っていたこと。

大学で勉強するうちに、優等生のうち本物の才能ある人はその内の1〜2割程度いるかいないかと思うようになった。いわゆる受験勉強ができる優等生の大部分は普通の才能の人である。

高学歴だから仕事ができるとは限らないのである。むしろ、高学歴だから仕事ができない人、その仕事に向いていない人、人間関係を上手く作れない人をこれまでたくさんみてきた。(続く)