即位の礼の昨日、朝昼晩のなな散歩以外はずっーと家にこもっていた。にゃんこ達と1日中一緒にリビングで過ごしていたが、日中は基本ずっーと寝ている。ホントよく寝るな〜
不思議なもんです。にゃんこを7頭も飼うに至ったのも、ご縁つながりで、そのときそのときの流れに従って生活していたら、そうなってしまった。
私は今まで、右するべきか左するべきかで悩んだということは、たぶん一度もありません。ふつうに自然な流れに従って道を歩いていたら、「どちらに行こうか」と悩むことはおそらく起きないだろうと思う。
日当たりがよいとか、景色がいいとか、風の通りがいいとか、休むに手頃な木陰があるとか、そういう身体的な「気分の良さ」を基準に進む道を選ぶ人は、たぶん迷うということがないのだろうと。
にゃんこ達を飼う、わんこを飼うというのも、私が決め手にしたのは身体的な気分の良さを味わいたいと思ったから。彼らを同じ空間で見ているだけで、一緒にいるだけで居心地いい。
自分の人生においても、実際には色々な分岐点経由してきたのだけれど、主観的には一本道を進んできたような気がする。
この先、どちらの道に行ったらいいのかと悩むというのは、どちらの道もあまり是非取りたい選択肢ではないのかも知れない。
決断を下さなければいけない状況に立ち至ったというのは、いま悩むべき問題ではなくて、実はこれまでしてきたことの答えなのだと思うようになった。
たから、正しい決断を下さなければならないとか、究極の選択をしなければならないというのは、そういう状況に遭遇したというだけで、すでにかなり後手に回っているということなんだと。
決断や選択はしないに越したことはない。自然の流れに身を任せる、なるようになると思って進む。