この10年くらい前から気になって読んでいる「内田樹」が最近、自叙伝らしきものを彼にしては珍しく出版していた。
内田樹は、現代フランス思想の大家で日本の社会、文化、教育、政治等様々なジャンルで真っ当な本も書いている。
その彼が、まさか自分の波乱万丈な人生を赤裸々に語るとは驚きであった。この本の裏表紙にこんなふうに端的にある。
別に彼の本を宣伝するわけではなく、彼の言葉にいたく同意した部分があったので紹介したいと思った。さすがに一流の物書きの方だから表現が上手いと感心させられる。
「どちらに行っても同じ目的地に」
(P204〜205)
わが半生をこうやって振り返ると、途中でいくつか分かれ道はあったことがわかります。でも、僕の場合の人生の分岐点でどちらを選んでも、結局は、同じようなところにたどり着いたような気がします。
違う大学に入っても、博士課程に進まなくても、違う仕事に就いても、どの道を進んでも、今の自分の暮らしぶりはあまり変わっていないんじゃないかな。
先に書いたとおり、もし40歳になるまでに専任が決まらなかったら、仏文学者の道は諦めて、アーバントランスレーションに戻って出版事業をやろうと思っていました。実際にそれはかなり可能性の高い選択肢でした。
でも、大学を辞めても、相変わらず合気道は続けていたでしょうし、レヴィナスを訳したり、ものを書いたりすることもやめなかったでしょう。
(中略)
そして、40歳ごろにやはり離婚したとしても、同じように自由が丘のあたりに住んでいて、書斎の本棚には同じような本が並んでいて、同じような映画を見て、同じような音楽を聴いて、同じような友人たちと遊んでいたのではないかと思います。
(中略)
「人生の岐路で、右左どちらに行くかで悩む」というのはあまり意味がないよ、ということをお話ししましたけれど、それは右に行っても左に行っても、人間が同じである以上、行き着く場所はそれほど変わらないということです。
結局、蟹が甲羅に合わせて穴を掘るように、僕たちが選ぶ人生も自分の器に合ったものにしかならない。
(後略)
まったく同感で、自分の人生も若い頃は岐路に悩んだものだが、今から思うとどう選択しても同じような結果になっただろうなと思う。
でも若い時はそんな風には思えなくて、いろいろと悩むこと、努力することは大事なこと。どう選んでも結果は同じということではない。
自分の器を創る、磨くという人間の力が何より大切だということでしょう。人生のどのステージでも生きている限り続く。