すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

村山常雄さんの訃報とシベリア抑留者名簿と・・・

2014年05月13日 | 日々思うこと

村山常雄さん(88)の訃報が伝わり、小野健さんと同じくとても悲しい一日です。村山常雄さんは市内能生にお住まいで70歳からパソコンを駆使し、第二次大戦で捕虜になり4年間シベリアで抑留生活を送ったことで、シベリア抑留死亡者4万6千人の名簿を作成してインターネットに公開されました。国が取り組まないことをまとめ上げ、H18年第40回吉川英治賞を受賞し、H19年には自費出版された「シベリアに逝きし人々を刻む」で、日本自費出版文化賞大賞を受賞しております。


村山さんは「9条の会糸魚川」の代表世話人の一人として名前を連ねてくださり、平和を願うお気持ちは
誰よりも強いものが伝わりました。老いは誰もが上る階段とはいえ、
いつか閉じなれればならない人生とその生き様には見上げるものを感じる方でした。シベリアの大地にも通じる日本海・・・、今朝の散歩で村山さんを偲びながら撮りました。

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そして「すずきせいこのHP」の『日々雑感』で、村山さんのことを書き込んでいました。

(2006年3月13日)「吉川英治文化賞とシベリヤ抑留死亡者名簿」

「実は、私の叔父にあたる人(父の弟)が、シベリヤへ抑留されたまま消息が分からず、父が生前に当時の新聞やラジオで調べていたことを記憶しておりました。

今夜、神奈川県に住む従兄弟と消息不明の叔父の生年を確認、村山さんのホームページを閲覧したところ、21歳の若さで1946年に亡くなっていたことが分かったのです。

60年の歳月を経て知ることができたことに胸が詰まり、改めてHPから膨大な数の戦死者を閲覧し、語り継がねば風化する戦争の悲惨さなど、いっぱいの教訓を村山さんからいただきました。」

(2006年12月3日)「シベリア抑留史を掘りおこす」から、村山さんの言葉・・・。

『政府は、「国」という抽象的なものを出して「国を守る」と言うが、国民・人間を守ることではない、戦争の悲惨さを二度と繰り返してはならない、戦争は人を狂わせる。どんなに福祉を充実しても、橋などを立派に整備しても、財産があっても、戦争になったら役に立たない、戦争とはいのちを大事にすることではなく捨てることで、すべての根底は“平和”である。しかし「平和」という言葉に気をつけなさい、誰もが「平和を願う」と言うが、平和とは戦争を絶対にしないということで、戦争の仲間にならない、巻き込まれないということである』と・・・。

今の日本が進もうとしていることへの警鐘で、
この日は村山さんの死生観にも触れ、「文化とはいのちを大切にすること」と言われた寡黙の大先輩を思い出します。

今、深い感謝の思いで心よりご冥福をお祈りいたします。