河津桜を背に(神奈川県三浦市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
先日、友達と話していたトキのこと。
「弟から「お兄ちゃんたちの趣味はバラバラなのに、なんで友達なの?」って聞かれたから、
「お互いに面白い奴だって認め合ってるからだよ」って答えたんだ」
この話を聞いて、とても感動しました。
そしてまた、その洞察力に感心しました。
たしかにそうなんですよね。
まさに言葉で言われると本当にその通りで、
お互いが認め合っていれば、
あるいは、少なくともこちらから相手をステキな人と思いさえしていれば、
趣味や価値観、環境の差なんて問題ではなくなるんです。
共通した環境・性質、組織があっても、
それは人間が出会うきっかけに過ぎません。
認め合いさえすれば、
お互いに違っている点や差なんてむしろ刺激になります。
事実、私は友達に趣味を教えたり、
逆に得意分野を教えてもらって、勉強させてもらうこともあるんです。
…というわけで、まずは根っこの部分=人柄がしっかりしていれば、
環境にかかわらず友達を大切にしていけるし、
またあるいは安心して大切にしてもらえたりもするんですね。
とどのつまり、
「人柄を大切に磨き続けましょう、
それが人を結ぶものですから」
これがお話ししたいコトです。
心を砕いていれば、
それが例えどんな物であれ、
きっと自分らしさ、魅力、人柄が出ます。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
先日、友達と話していたトキのこと。
「弟から「お兄ちゃんたちの趣味はバラバラなのに、なんで友達なの?」って聞かれたから、
「お互いに面白い奴だって認め合ってるからだよ」って答えたんだ」
この話を聞いて、とても感動しました。
そしてまた、その洞察力に感心しました。
たしかにそうなんですよね。
まさに言葉で言われると本当にその通りで、
お互いが認め合っていれば、
あるいは、少なくともこちらから相手をステキな人と思いさえしていれば、
趣味や価値観、環境の差なんて問題ではなくなるんです。
共通した環境・性質、組織があっても、
それは人間が出会うきっかけに過ぎません。
認め合いさえすれば、
お互いに違っている点や差なんてむしろ刺激になります。
事実、私は友達に趣味を教えたり、
逆に得意分野を教えてもらって、勉強させてもらうこともあるんです。
…というわけで、まずは根っこの部分=人柄がしっかりしていれば、
環境にかかわらず友達を大切にしていけるし、
またあるいは安心して大切にしてもらえたりもするんですね。
とどのつまり、
「人柄を大切に磨き続けましょう、
それが人を結ぶものですから」
これがお話ししたいコトです。
心を砕いていれば、
それが例えどんな物であれ、
きっと自分らしさ、魅力、人柄が出ます。
河津桜(神奈川県三浦市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
「失敗したら優しさが手に入る」と言われています。
それは本当だと思います。
自分の痛さがわかるからこそ、
人の痛みも包み込んであげられるからです。
私も折に触れて、いかに不器用でとても成功とは言えない人生を送ってきたか、
このブログでお話しさせていただいています。
だからこそ
「元気が出ました」
「ホントはとても優しい人なんですね」
「よい意味で人にはない心をお持ちなんですね」
こんなコトを、私は自分ではそんなつもりがなくても人に言われると思うんです。
しかし、あえて言えば、
ここに現代社会の悲しさがあると思うんです。
現代社会は一度でも失敗したらアウトです。
ずば抜けた技能もなく、履歴書の見映えがしなければ、
取り返しはつきません。
だから私のような者にしかわからない「痛み」や「優しさ」がある一方で、
道から外れまいと必死に生きている方々には、
私が経験し自分のものにした「痛み」や「優しさ」は一生、間違いなく手に入りません。
「道」か「優しさ」か。
どちらかしか手に入らないとすれば、
私は口をつぐんでしまいます。
…だったら。
「失敗してしまったら「優しさを持った強い人」、これを目指すしかない」
というのが私の結論です。
もちろん落伍者になってからずっと胸にある目標です。
情けなさに腐らず、
自分を磨こうと思います。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
「失敗したら優しさが手に入る」と言われています。
それは本当だと思います。
自分の痛さがわかるからこそ、
人の痛みも包み込んであげられるからです。
私も折に触れて、いかに不器用でとても成功とは言えない人生を送ってきたか、
このブログでお話しさせていただいています。
だからこそ
「元気が出ました」
「ホントはとても優しい人なんですね」
「よい意味で人にはない心をお持ちなんですね」
こんなコトを、私は自分ではそんなつもりがなくても人に言われると思うんです。
しかし、あえて言えば、
ここに現代社会の悲しさがあると思うんです。
現代社会は一度でも失敗したらアウトです。
ずば抜けた技能もなく、履歴書の見映えがしなければ、
取り返しはつきません。
だから私のような者にしかわからない「痛み」や「優しさ」がある一方で、
道から外れまいと必死に生きている方々には、
私が経験し自分のものにした「痛み」や「優しさ」は一生、間違いなく手に入りません。
「道」か「優しさ」か。
どちらかしか手に入らないとすれば、
私は口をつぐんでしまいます。
…だったら。
「失敗してしまったら「優しさを持った強い人」、これを目指すしかない」
というのが私の結論です。
もちろん落伍者になってからずっと胸にある目標です。
情けなさに腐らず、
自分を磨こうと思います。