丸の内仲通りから(東京都千代田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
成果主義が、まだまだ抜けない世の中です。
効率や生産性、あるいは徹底された管理や監督といった、
時代の要請があってのことでしょう。
そしてまた、なんだかんだ言って、人間、やっぱり「成果」には弱いもの。
「自分の心や労力を注いだものほど、跳ね返ってきてほしい」と思うのが、
多くの人の偽らざる考え方でしょう。
全く成果がないままでは土台も達成感もあったものではないでしょうし、前に突き進むのは難しいでしょうから、
成果を求めるのは、ある意味、自然な流れだとは思うのです。
しかし、成果主義には、致命的な欠点があります。
それは、自分に負けた人でも、勝ててしまうという点です。
たとえば、テストを受けたとします。
そのテストで、全く勉強しなかった人が90点を取って、一生懸命力を出し切って80点を取った、
こんな場合、皆さんはどちらに好感を覚えますか!?
……、
すいません、誘導尋問みたいな話ですね(笑)
こんな問い掛け方だと、情に訴えているのがまる見えでしょう。
でも、さっき、「自分に負けた人でも勝てるのが問題だ」っ、言いましたよね。
だから、あえて情に訴えるような真似をしなくても、
成果主義だけに頼るのは、あまりよくないとお分かりいただけるはずなんです。
ろくに努力もできない人の将来なんて、目に見えていると思いませんか。
あるいは、頑張って誠実に取り組むとか、自分に打ち勝つ努力をするとか、心から大切にしようとする気持ちを惜しまないとか、
つまりは、「根本的な人間性」を無視して、何か生まれるものはあるのでしょうか!?
人間性が全てとは言いませんが、人間性も実力の一部であることだって、紛れもない事実なのです。
「成果主義=ギスギスする」「成果主義=短絡的で、必ずしも成功に結び付かない」というのは、だいたいこのあたりにヒントがあるのではないか、
私はそんな気がするのです。
成果は、ないよりあったほうが数倍いい。
しかし、成果がなくても、成長さえしていれば御の字です。
そして、成長すらしていなくても、前向きな気持ちを一つ持てた時点で、
それは将来から見れば、大きな一歩なのかもしれません。
成果主義は、ほどほどに。
世間が成果主義を求めるほど、たまにはそこから離れても、よいのでなはいかと思うのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
成果主義が、まだまだ抜けない世の中です。
効率や生産性、あるいは徹底された管理や監督といった、
時代の要請があってのことでしょう。
そしてまた、なんだかんだ言って、人間、やっぱり「成果」には弱いもの。
「自分の心や労力を注いだものほど、跳ね返ってきてほしい」と思うのが、
多くの人の偽らざる考え方でしょう。
全く成果がないままでは土台も達成感もあったものではないでしょうし、前に突き進むのは難しいでしょうから、
成果を求めるのは、ある意味、自然な流れだとは思うのです。
しかし、成果主義には、致命的な欠点があります。
それは、自分に負けた人でも、勝ててしまうという点です。
たとえば、テストを受けたとします。
そのテストで、全く勉強しなかった人が90点を取って、一生懸命力を出し切って80点を取った、
こんな場合、皆さんはどちらに好感を覚えますか!?
……、
すいません、誘導尋問みたいな話ですね(笑)
こんな問い掛け方だと、情に訴えているのがまる見えでしょう。
でも、さっき、「自分に負けた人でも勝てるのが問題だ」っ、言いましたよね。
だから、あえて情に訴えるような真似をしなくても、
成果主義だけに頼るのは、あまりよくないとお分かりいただけるはずなんです。
ろくに努力もできない人の将来なんて、目に見えていると思いませんか。
あるいは、頑張って誠実に取り組むとか、自分に打ち勝つ努力をするとか、心から大切にしようとする気持ちを惜しまないとか、
つまりは、「根本的な人間性」を無視して、何か生まれるものはあるのでしょうか!?
人間性が全てとは言いませんが、人間性も実力の一部であることだって、紛れもない事実なのです。
「成果主義=ギスギスする」「成果主義=短絡的で、必ずしも成功に結び付かない」というのは、だいたいこのあたりにヒントがあるのではないか、
私はそんな気がするのです。
成果は、ないよりあったほうが数倍いい。
しかし、成果がなくても、成長さえしていれば御の字です。
そして、成長すらしていなくても、前向きな気持ちを一つ持てた時点で、
それは将来から見れば、大きな一歩なのかもしれません。
成果主義は、ほどほどに。
世間が成果主義を求めるほど、たまにはそこから離れても、よいのでなはいかと思うのです。