後楽園から(東京都文京区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
皆さんは、「強い人」に憧れたりしてますか!?
強ければ強いほど、できることも増えるし、悪いものをやっつけられたりもするわけです。
能力がある人はかっこよく見えるし、
嫌なことを耐え抜ける人がいると、うらやましくも見えるものです。
それでは、誰も皆、「強い人」になったほうがいいのでしょうか!?
私は違うと思うんです。
人間、自分を磨くことは大切です。
しかし、求められてもいないことを磨いても、そこに意味はあるのかと思うのです。
たとえば、同じ陸上部でも、短距離の選手と中距離の選手、マラソンの選手では、
鍛えるべき部分が違いますよね。
そしてまた、どんなフォームで走るかも、体格や特性によっても違いますから、
やっぱり、鍛え方には個人差が出て当たり前です。
ここで、いわゆる「強い人」について、考えてみましょう。
あることを耐え抜ける人は、それでいいかもしれない。
熱いものは、普通の人は飲み干せますが、
猫舌のような人は無理ですよね(私がそうです)。
では、猫舌の人は、熱いものを強引に飲む必要はあるんでしょうか!?
…違いますよね。
たまたまどこかの誰かができたことだからと言って、
自分は全く同じようにできないことを恥じる必要はないのです。
誰にでも、やり方もあれば個性もあります。
ハードルの飛び越え方だって、一人ひとり、違って当たり前なのです。
だから、どんな問題にせよ、自分の強みを活かすとか、あるいはやりやすい方法でやっつけてしまえばいい。
慣れないやり方とか、やりにくい方法を勧められても、
どこか一部だけでも、頑として自分を貫くほうがいいのです。
どんな魚も、泳ぎ方はそれぞれです。
クジラはクジラの泳ぎ方をしていればいいわけで、無理にニジマスやクラゲの真似をしたところで、全く意味はありません。
誰かが得意なやり方でやっているからといっても、しょせん、人は人なのです。
強く見える人に憧れを抱くのは当然として、
その強さなりやり方が、自分に必要なものとは限りません。
背伸びをするでもなく、自分を過小評価するでもなく、
伸び伸びと、自分のベストを尽くしていたいものですね。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
皆さんは、「強い人」に憧れたりしてますか!?
強ければ強いほど、できることも増えるし、悪いものをやっつけられたりもするわけです。
能力がある人はかっこよく見えるし、
嫌なことを耐え抜ける人がいると、うらやましくも見えるものです。
それでは、誰も皆、「強い人」になったほうがいいのでしょうか!?
私は違うと思うんです。
人間、自分を磨くことは大切です。
しかし、求められてもいないことを磨いても、そこに意味はあるのかと思うのです。
たとえば、同じ陸上部でも、短距離の選手と中距離の選手、マラソンの選手では、
鍛えるべき部分が違いますよね。
そしてまた、どんなフォームで走るかも、体格や特性によっても違いますから、
やっぱり、鍛え方には個人差が出て当たり前です。
ここで、いわゆる「強い人」について、考えてみましょう。
あることを耐え抜ける人は、それでいいかもしれない。
熱いものは、普通の人は飲み干せますが、
猫舌のような人は無理ですよね(私がそうです)。
では、猫舌の人は、熱いものを強引に飲む必要はあるんでしょうか!?
…違いますよね。
たまたまどこかの誰かができたことだからと言って、
自分は全く同じようにできないことを恥じる必要はないのです。
誰にでも、やり方もあれば個性もあります。
ハードルの飛び越え方だって、一人ひとり、違って当たり前なのです。
だから、どんな問題にせよ、自分の強みを活かすとか、あるいはやりやすい方法でやっつけてしまえばいい。
慣れないやり方とか、やりにくい方法を勧められても、
どこか一部だけでも、頑として自分を貫くほうがいいのです。
どんな魚も、泳ぎ方はそれぞれです。
クジラはクジラの泳ぎ方をしていればいいわけで、無理にニジマスやクラゲの真似をしたところで、全く意味はありません。
誰かが得意なやり方でやっているからといっても、しょせん、人は人なのです。
強く見える人に憧れを抱くのは当然として、
その強さなりやり方が、自分に必要なものとは限りません。
背伸びをするでもなく、自分を過小評価するでもなく、
伸び伸びと、自分のベストを尽くしていたいものですね。