野路菊の花(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「やりたいことを探しなさい」とか、「夢を持って生きましょう」と言われます。
特に、まだ未知の可能性がある子供や青年に対して、あるいは職業を探している人に、
「将来の目標を大切にして下さい」と、なんらかのものを目指すように言うわけです。
しかし。
「やりたいこと」とか「目標」とか言うと、いかにも前向きで希望があるかのように思えるものですが、
現実には、「やりたいこと」とか「目標」があるために、それらに振り回されてしまうことも、少なくありません。
たとえば、お腹がすいているとします。
そうすると、お腹を満たすために、買い物に行ったり、なるべく早くご飯を作れるように頑張るわけですよね。
でも、当然ですが、お腹がすいていればいるほど、「ガルルルル…」と、空腹感や不足感にさいなまれるもの。
この空腹感や不足感があるがために、フラストレーションがたくさん溜まってしまう…というわけです。
…ということは、「やりたいこと」があるのは悪いことではないにせよ、
気持ちが空回りすると、意欲は味方ではなく敵になってしまう、
こんなことが、言えると思うんですね。
それでは、「いい意欲、味方になってくれる意欲」と「敵になる意欲」は、
どこが違うのでしょうか!?
答えは、「いま・ここ・自分で」出来るかどうか…、なんですね。
不安にしても後悔にしても、自分の力が及ばないことに振り回されているという意味では同じです。
「あれがやりたい」と遠い目で見るにせよ、「ああすればよかった」と下を向くにせよ、
結局、その場ではどうしようもないことに、変わりはないと思うんです。
そのやる瀬なさが、自分や他人を責める気持ちになって、
疲れを増幅させてしまう。
反対に、「目的はあるにせよ、これもその一歩なんだよね」と理解したり納得できていれば、
過去や未来に意識を浪費することがなくなりますから、
エネルギーのロスも、ちょっとは減らせるのです。
「やりたいこと」は、「できないこと」だからこそやりたいのか、「やれること」だからやりたいのかで、
意味が違ってくるのです。
出来ない理由、出来ない部分ばかり見ていても、得られるもの・始まることは少ないと思います。
同じ「少ない」なら、ほんのわずかでも、出来ることを積み上げていったほうが、
どんなに楽かと思うのです。
意欲が敵になった時、それはシリアスになった時です。
急かすのが自分でも、たとえ他人だとしても、
「やれる瞬間」は、今しかありません。
だから、意味ある一歩にしていくためにも、
「この一歩がどこかに繋がっている」ということ、たまには考えてみませんか。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「やりたいことを探しなさい」とか、「夢を持って生きましょう」と言われます。
特に、まだ未知の可能性がある子供や青年に対して、あるいは職業を探している人に、
「将来の目標を大切にして下さい」と、なんらかのものを目指すように言うわけです。
しかし。
「やりたいこと」とか「目標」とか言うと、いかにも前向きで希望があるかのように思えるものですが、
現実には、「やりたいこと」とか「目標」があるために、それらに振り回されてしまうことも、少なくありません。
たとえば、お腹がすいているとします。
そうすると、お腹を満たすために、買い物に行ったり、なるべく早くご飯を作れるように頑張るわけですよね。
でも、当然ですが、お腹がすいていればいるほど、「ガルルルル…」と、空腹感や不足感にさいなまれるもの。
この空腹感や不足感があるがために、フラストレーションがたくさん溜まってしまう…というわけです。
…ということは、「やりたいこと」があるのは悪いことではないにせよ、
気持ちが空回りすると、意欲は味方ではなく敵になってしまう、
こんなことが、言えると思うんですね。
それでは、「いい意欲、味方になってくれる意欲」と「敵になる意欲」は、
どこが違うのでしょうか!?
答えは、「いま・ここ・自分で」出来るかどうか…、なんですね。
不安にしても後悔にしても、自分の力が及ばないことに振り回されているという意味では同じです。
「あれがやりたい」と遠い目で見るにせよ、「ああすればよかった」と下を向くにせよ、
結局、その場ではどうしようもないことに、変わりはないと思うんです。
そのやる瀬なさが、自分や他人を責める気持ちになって、
疲れを増幅させてしまう。
反対に、「目的はあるにせよ、これもその一歩なんだよね」と理解したり納得できていれば、
過去や未来に意識を浪費することがなくなりますから、
エネルギーのロスも、ちょっとは減らせるのです。
「やりたいこと」は、「できないこと」だからこそやりたいのか、「やれること」だからやりたいのかで、
意味が違ってくるのです。
出来ない理由、出来ない部分ばかり見ていても、得られるもの・始まることは少ないと思います。
同じ「少ない」なら、ほんのわずかでも、出来ることを積み上げていったほうが、
どんなに楽かと思うのです。
意欲が敵になった時、それはシリアスになった時です。
急かすのが自分でも、たとえ他人だとしても、
「やれる瞬間」は、今しかありません。
だから、意味ある一歩にしていくためにも、
「この一歩がどこかに繋がっている」ということ、たまには考えてみませんか。