多摩センター駅前より(東京都多摩市)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「人生に無駄はない」と言われます。
しかし、苦しい渦中にいる人、自分の後ろ向きさ加減に参っている人、無駄な時間を過ごしていると思えてやまない人には、
こんな言葉、気休めにもならないのが現実ではないでしょうか。
しかし。
「もし無駄がない」ということが本当だとしたら、それはどんな世界だと思いますか?
非常にのん気なことを言うようですが、青空はどこへでも繋がっていますよね。
それと同じように、どんな時間も、全ての未来に繋がっているのです。
苦しいことや、嫌なこと。
意味を見出だせない反復。
砂を噛むような日々。
こんな「困ったこと」や「困った時間」があれば、参ってしまうのも無理はありません。
そしてまた、いくら「その経験こそが糧になるんですよ」と言ったところで、
当の本人は、日々や時間をやり過ごすので精一杯だということがほとんどでしょう。
でも、ちょっと待って下さい。
使い道のないお金は、貯金をしますよね。
お金は見えるものだし、誰もが欲しがるものだから、わかりいいのです。
しかし、「経験」や「人間性」は、一見しただけではわかりませんよね。
でも、「使い道のない経験」とか「使い道のない人間性(具体的には、優しさ、積極性、思いやりなど)」だって、
使い道や使い所がわかれば、お金と同じように、遺憾無くその価値を発揮できるわけです。
そうです。
「困った時」というのは、「目に見えないものの使い道を求めている時」にほかなりません。
逆にいえば、「全てが無駄なく動いている」から、「困ったこと」だってなくなるのです。
「困ったこと」からも、意味付けが出来れば、それは力や経験、持ち味の出所になるのです。
「ピンチはチャンス」と言われるのも、このためです。
ただし、今がすべてではありませんから、「困ったこと」の意味がわかるかも、いつかはわかりません。
しかし、「困った」=「使い道がわからない」という図式がわかれば、
意味付けも、楽になるのではないかと思うのです。
人間、未来から見ないとわからないことに、時々出くわすものです。
苦しみも、使い道がかれば、幸せの種に変えられるのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「人生に無駄はない」と言われます。
しかし、苦しい渦中にいる人、自分の後ろ向きさ加減に参っている人、無駄な時間を過ごしていると思えてやまない人には、
こんな言葉、気休めにもならないのが現実ではないでしょうか。
しかし。
「もし無駄がない」ということが本当だとしたら、それはどんな世界だと思いますか?
非常にのん気なことを言うようですが、青空はどこへでも繋がっていますよね。
それと同じように、どんな時間も、全ての未来に繋がっているのです。
苦しいことや、嫌なこと。
意味を見出だせない反復。
砂を噛むような日々。
こんな「困ったこと」や「困った時間」があれば、参ってしまうのも無理はありません。
そしてまた、いくら「その経験こそが糧になるんですよ」と言ったところで、
当の本人は、日々や時間をやり過ごすので精一杯だということがほとんどでしょう。
でも、ちょっと待って下さい。
使い道のないお金は、貯金をしますよね。
お金は見えるものだし、誰もが欲しがるものだから、わかりいいのです。
しかし、「経験」や「人間性」は、一見しただけではわかりませんよね。
でも、「使い道のない経験」とか「使い道のない人間性(具体的には、優しさ、積極性、思いやりなど)」だって、
使い道や使い所がわかれば、お金と同じように、遺憾無くその価値を発揮できるわけです。
そうです。
「困った時」というのは、「目に見えないものの使い道を求めている時」にほかなりません。
逆にいえば、「全てが無駄なく動いている」から、「困ったこと」だってなくなるのです。
「困ったこと」からも、意味付けが出来れば、それは力や経験、持ち味の出所になるのです。
「ピンチはチャンス」と言われるのも、このためです。
ただし、今がすべてではありませんから、「困ったこと」の意味がわかるかも、いつかはわかりません。
しかし、「困った」=「使い道がわからない」という図式がわかれば、
意味付けも、楽になるのではないかと思うのです。
人間、未来から見ないとわからないことに、時々出くわすものです。
苦しみも、使い道がかれば、幸せの種に変えられるのです。