青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

話半分。

2013年02月08日 19時03分57秒 | 青裸々日記。
梅の花(東京都武蔵野市)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 オカルトの話って、皆さんは信じたりするほうですか!?

 私は、信じたい人が、好きなだけ信じればいいだけの話だと思っています。


 たとえば(、こんな目茶苦茶な言い伝えはありませんが)、
 「ご飯を食べる前に「ALOHA」と唱えると、ご飯の成分が嬉しがって、舌に馴染むようにおいしくなる」という話があったとしましょう。
 はたから見れば、実に馬鹿馬鹿しい、いい加減な話でしかありません。
 しかし、それで本人が幸せになるとか、食べ物のありがたみがわかるなら、文句はありませんよね。


 オカルトもなにも、結局は趣味の問題です
 お酒を飲んでスッキリしたり、ゲームをやって楽しんだりするのと、
 非科学的なオカルトの話を信じていい気分になるのも、本質的には同じなのです。
 人間の気分が良くなるかどうかを考えるとき、科学的な裏付けがあるかどうかはあまり意味がない気がします。



 ただし。

 「オカルト」が趣味の問題である以上、やっぱり、趣味で生じてくる問題と似た問題点が出てくると考えるのが自然です。

 世の中には、音楽が好きな人もいれば、鉄道が好きな人も、写真が好きな人もいます。
 しかし、いずれにも言えるのは、収入や実益に繋がらないのにそればかりに没頭してしまうと、趣味に自分の身を食べられてしまうことになります。
 そしてまた、音楽が好きな人が、鉄道にしか興味のない人にいくら音楽の素晴らしさを説いたところで、
 それは有難迷惑でしかありませんよね。
 つまり、オカルトの話でいくら気分がよくなったからと、人にその話を押し売りしてしまうようでは、
 煙たがられる以上のことは起こらないと思います(笑)


 ただし、趣味を通して気分が良くなるから、元気にもなれるのも、また事実ですよね。
 また、趣味を教え合うことで、お互いの世界を広められる部分はあると思います。


 さて。

 いずれにも共通して言えること、お分かりになったでしょうか!?


 オカルトの話も趣味も、現実が主体になっているうちは、楽しんでいても全く問題ないのです


 科学的な裏付けがあるかないかに気を取られているばかりでは、心の重荷も降ろせない時があるものです
 だから、気が晴れない時、よくわからない話でも、半分は信じたほうがいいこともあるのです
 ただし、そこに本人の意見や現実とのすり合わせがあるかないか、
 そこに、考え方の趣味が幸せになるかどうかが分かれる気がします

 心の内と現実、どちらかが止まってしまったら、生きていくことが難しくなってしまう
 お互いのために、お互いがあるのです



 最後に。

 オカルトの話でも、あえて裏付けを説明せずに、「不思議な話」として処理をして話をされることがあります。
 自分自身が、不思議さを検証するようにしても、それはそれで、おもしろいものですよ(笑)

山茶花の花

2013年02月08日 06時28分19秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 山茶花の季節ですよねえ。

 山茶花って、構図によってはすごく映えるから、1回に1度は撮りたくなります。
 濃い紅色のものがあれば、私は好きなので見てみたいです。


 ↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
 

怒れない人たち。

2013年02月08日 01時19分05秒 | 青裸々日記。
梅の花(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 いつもニコニコしている。


 自分の機嫌を取るのは、大切なことです。
 嫌なことやすれ違い、ストレスがない世の中はないからです。
 みんながみんな、色々な歩調で歩いていますから、どうしたって、合わせることが必要になるわけで、
 だからこそ、物腰を柔らかくしていないと、すぐに人と衝突することになってしまいます。
 早く料理が食べたいから…、と、なんでもかんでも強火で調理する人は、まずいませんよね(笑)
 多少我慢してでも、強火は強火とて8割くらいにしておけば、少し待つとは言え、料理をおいしく食べられるわけです。


 さて。
 「この理屈、よくわかります!」という皆さん、どれくらいいらっしゃるでしょうか!?
 実は、「よくわかります!」という方は、「普段の感情を人に言えない」という思いをお持ちのこと、結構多いと思うんです。


 イライラすることもあれば、我慢することもある。
 それをかい潜ってでも、ニコニコしている。


 立派なことです。

 でも、ニコニコすることで、自分のホンネに蓋をしているということもあるはず。


 そうです。

 自分の本当の気持ちを大切にしないと、どれが本物か、わからなくなってしまうのです。



 「なあんだ、それだけか」と思われたでしょうか。

 「それだけ」ではないんです。
 自分がわからなくなると、自分をコントロールできなくなるのです。


 服に汚れがあったら、どこが汚れているかを知らないと、隠すことも、洗うこともできませんよね。
 それと同じく、自分の気持ちがどのへんにあるかかがわからないと、いくら「ニコニコ」して蓋をするのが大切とはいえ、
 どれくらいだとその蓋の大きさや形がフィットするかがわからなくなりますから、
 しまいには、思わぬ形で、爆発してしまうのです



 ストレスを持つことは、恥ずかしいことではありません。
 ニコニコしようと努めているほど、負荷がかかる。
 だから、ストレスを感じられない人こそ、情けないとも言える側面はないでしょうか。
 ニコニコしてストレスを避けられることがあるのは事実ですが、
 全てにニコニコと気乗りするということも、ないと思うのですね。



 自分にも、他人にも、怒ることを許しましょう
 人にブチ当てるのが難しいなら、どこかに吐き出してもいい
 自分の機嫌を取るだけでは限界がある以上、上手くいかないことがあるのは、仕方がない
 自分を解放することで、生まれる機嫌もあるのです


 「怒りは感情の蓋」とも言われます。
 その怒りに上塗りして、さらにニコニコしているのは、とてもしんどいこと。

 心からニコニコしている時間を増やすには、一度裏道を通る必要もあるのです。

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