青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

「よかったね」。

2013年05月04日 22時43分10秒 | 青裸々日記。
ネモフィラの花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「よかったね」と、どれくらい心から言えるか。
 これは、自分がどれくらい幸せかどうかということと、ほぼ同じなのではないかと思います。


 人間、自分が不幸だと、なかなか人の幸せを喜んではあげられないものです。
 いくら人の幸せを妬むのは良くないといえど、
 じゃあ、自分がつらい思いをしている時に、人を幸せや成功を嬉しく思えたりはしないというのが、ほとんどいないのではないでしょうか。
 「人の不幸は蜜の味なんてけしからん」とか「人の幸せを願いましょう」というのはたしかに理想的かもしれませんが、
 自分が満たされていない限り、やっぱり人に伝えられるのは形だけで、心を伴わせるのは難しいのが、現実ではないかと思うのですね。


 だからこそ、自分を幸せにし、満たすのです。
 自分を満たすというのは、一見、利己的で我欲に満ちているように見えます。
 しかし、自分が満たされていないからこそ、人に親切の押し売りをし、いい人ぶって、
 それでいて、報われなかったり、見返りがないと腹を立てる、
 これこそが、利己的で我欲に満ちた行為ではないでしょうか?
 それなら、自分が満ちたりていて、心から人の幸せを考えているほうが、何倍も人のためにならないでしょうか。
 それに、自分を幸せにするようになると、見返りを求めなくなるので、
 人に差し向ける気持ちや行動も、自然なものになったりはしないでしょうか。



 自分を幸せにして、人に「よかったね」と言えるから、
 ますます人に慕わるのです。
 反対に、自分が満ち足りないまま、心が伴わないままでは、
 何をやっても見返りを求める汚さが出ますから、
 自然と人が引いてしまうのです。


 「見返りを求めず」というと、あたかも無欲で、自分を犠牲にするかのようなイメージがなされるものですが、そうではないのです。
 自分が幸せだから、なかなか心から言えないことも言えるようになるし、見返りがなくても平気でいられる
 そればかりか、「こちらのことを構っている余裕もないのか、かわいそうだな」ぐらいまで、人のことを考えてもあげられるのです。



 自分の面倒は自分で見る。
 人に機嫌を取らせない。

 人に与えられる幸せより、自分で自分に与える幸せを優先させましょう。
 そしてまた、自分が幸せかどうかを知るためにも、「よかったね」という言葉は、大切にしたいものですね。

ムラサキハナナ

2013年05月04日 11時02分13秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 ムラサキの菜の花ができたようです。


 いやこれ、名前の由来の話なんですよ。
 菜の花とは親戚関係にあるようで、ダイコン科に属するらしいです。



 ・・・今日はきちんと更新したいです。


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