チェリーセージの花(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
人に指摘や批判をされると、自分を全否定してしまいたくなる時があるものです。
なぜなら、人間の脳は、案外単純にできているからです。
簡単に言うと、「全肯定」か「全否定」しか出来ないのが、私達人間というものです。
たとえば、食事を食べたら、だいたい「おいしい」か「おいしくない」に分かれますよね。
程度や雰囲気はありますが、「どちら側か」を決めてから入るのが、私達人間というものなんです。
さて、「自分を肯定する」とか「否定する」という話に、立ち返ってみましょう。
人に悪く言われてしまうと、頭や心が混乱してしまうこともあると思います。
そういう混乱している時は、間違いなく自分を全否定してしまっています。
自分を肯定していれば、心が乱れることも少ないからです。
そして。
あまりに自分を否定的に見てしまうと、「自分を全部、作り替えないと!」と、
自分のやってきたことの全てが間違っているような気がするものです。
しかし、人間のやることなすこと、そんなに不正確なんですか?って、思うのですね。
たしかに、間違っていることを全くしない人間はいないでしょう。
悪気があろうとなかろうと、判断がちょっとだけ狂ってしまうことだって、本当はあるはずです。
でも、全てが間違っているとしたら、それは心構えからベクトルから、ありとあらゆる点が無茶苦茶だったということになりますが、
そんなに判断力が乏しいなら、きっとこれまでの苦労はハンパないでしょうから、
逆に、上手くいくのは時間の問題かもしれません(笑)
・・・と、これは軽口ではありましたが、
特に、「その時はベストだと思っていた」という場合はそうです。
人間、情報が十分でないと、概して判断力も弱ってしまうものです。
つまり、どういうことかというと、
「志が正しいのなら、出てくる行動も、いずれきちんとした方向になっていく」ということです。
あるいは、「きちんとした心でやったことを責めたり、全てを直すこともない」とも、言えるかもしれません。
心を正しく持てば、あまり責められるべきものは、本当はないのかもしれません。
ちょっとした不調から、落ち込んだり、自分を責めさいなむいわれはないし、
結果だって、本当は後からついてくるのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
人に指摘や批判をされると、自分を全否定してしまいたくなる時があるものです。
なぜなら、人間の脳は、案外単純にできているからです。
簡単に言うと、「全肯定」か「全否定」しか出来ないのが、私達人間というものです。
たとえば、食事を食べたら、だいたい「おいしい」か「おいしくない」に分かれますよね。
程度や雰囲気はありますが、「どちら側か」を決めてから入るのが、私達人間というものなんです。
さて、「自分を肯定する」とか「否定する」という話に、立ち返ってみましょう。
人に悪く言われてしまうと、頭や心が混乱してしまうこともあると思います。
そういう混乱している時は、間違いなく自分を全否定してしまっています。
自分を肯定していれば、心が乱れることも少ないからです。
そして。
あまりに自分を否定的に見てしまうと、「自分を全部、作り替えないと!」と、
自分のやってきたことの全てが間違っているような気がするものです。
しかし、人間のやることなすこと、そんなに不正確なんですか?って、思うのですね。
たしかに、間違っていることを全くしない人間はいないでしょう。
悪気があろうとなかろうと、判断がちょっとだけ狂ってしまうことだって、本当はあるはずです。
でも、全てが間違っているとしたら、それは心構えからベクトルから、ありとあらゆる点が無茶苦茶だったということになりますが、
そんなに判断力が乏しいなら、きっとこれまでの苦労はハンパないでしょうから、
逆に、上手くいくのは時間の問題かもしれません(笑)
・・・と、これは軽口ではありましたが、
特に、「その時はベストだと思っていた」という場合はそうです。
人間、情報が十分でないと、概して判断力も弱ってしまうものです。
つまり、どういうことかというと、
「志が正しいのなら、出てくる行動も、いずれきちんとした方向になっていく」ということです。
あるいは、「きちんとした心でやったことを責めたり、全てを直すこともない」とも、言えるかもしれません。
心を正しく持てば、あまり責められるべきものは、本当はないのかもしれません。
ちょっとした不調から、落ち込んだり、自分を責めさいなむいわれはないし、
結果だって、本当は後からついてくるのです。