青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

余裕を持つ余裕。

2013年05月15日 23時33分21秒 | 青裸々日記。
クロッカスの花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 皆さんが「余裕がないなあと思う時」は、どんな時でしょうか?

 時間的、物理的な意味での余裕のなさを挙げる人もいると思いますし、
 精神的、心理的な窮屈さを感じている人も、もちろんいるでしょう。


 しかし。

 余裕を手に入れるには、一個、大切なことがあるんです。
 それは、「余裕は後から勝手についてくる」ということなんですね。


 たしかに、本当のことを言えば、「余裕」は、勝手に出来るものもあれば、意識して作り出せる場合もあるでしょう。
 しかし、ちょっと想像していただきたいのですが、余裕を作ろう作ろうと必死になっている人って、本質的には余裕がないんじゃないかって、思えたりもしませんか?
 「余裕があるかどうかはよくわかんないけど、まあ、だいたいこんなもんかな」と、
 「余裕」をいちいち意識することなくゆるーくやっているくらいが、本当は余裕があるんじゃないかという気が、私にはあるのですね。



 余裕を持つ大切さは、皆さんよくご存じのはずです。
 しかし、なかなか余裕が持てないことそのものがどうしてか、ここが盲点になっているから、
 現実に余裕を持って生きることが難しくなっているわけです。


 余裕を作るなら作るで、労力が要るのです。
 その労力を生み出すために、余裕をなくしてしまうから、「やっぱり余裕なんて難しい」ということになってしまうのです。

 本当の意味でゆったりと構えていたいなら、余裕がどうとか、あまり意識しないことです
 苦労の先に、余裕がある保証はないのです。

 ゆったりゆるーくやる目的についてもそうです。
 「こういう状態でなきゃいけない」という執着が、力みを生み、かえって欲しい状態が遠くなってしまうこともあります。



 いずれにしても。

 輝かしい理想が、そのつもりはなくても、かえって自分を縛ることに繋がる場合があります。
 「余裕」とか「ゆとり」は、その最たるものです。
 むしろ、「ゆとりなんかなくってもいいや」ぐらいに割り切ってしまったほうが、
 気持ち的には、ゆったり構えられるのかもしれません。



 何を目指すのも自由です。
 しかし、目指す気持ちが、はたして自分を本当に幸せにしてくれるのか、
 たまには外から眺めてみることがあっても、いいのではないかと思うのです。

KITTEから

2013年05月15日 05時33分58秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 今日は、東京駅前で再開発されたKITTEからの一部をご紹介します。


 最近ありがちな商用ビルでありながら、随所に「郵便局」らしさがあります。
 なかなか賑わっていましたよ。
 さすがは「KITTE」というだけありますね(笑)



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