青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

あえて願わない。

2011年09月19日 19時35分16秒 | 青裸々日記。
野萱草(神奈川県横須賀市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 人間には、たくさんの欲望があるものです。
 食欲や睡眠欲などの「生きたい」という欲求、
 人から認められたい、愛されたいという「人間関係」の欲求、
 趣味や世界観を拡げたいという「生き甲斐」の欲求など、
 心理学的に見れば、人間は実にいろいろなことを考えている生き物だと言えます。


 さて。

 望む気持ちが強いほど、それだけ理想と現実のギャップを埋めるべく、行動力も上がるものです。
 たとえば食欲だと、食事の前か後かでは、食べるペースにも歴然とした差が出ます。
 当然、お腹が空いているほど、食べ方も早くなる。
 ということは、逆に考えれば、お腹が空いている状態でいるほど、食事にありつけない時のフラストレーションも大きくなるということも言えますよね。

 満たされない欲求はストレスになりますが、
 この「フラストレーション」ということを考えると、
 なんでも希望や欲求を持てばいいとは言えないということが、お分かりになると思うんです


 向上心を持つとか、夢を描いてみるとか、理想に向かって努力するとか、
 自分の欲望を満たしにいくことそれ自体はなんにも悪くないのです。
 しかし、その理想が膨らむあまり自分を苦しめることもあるのなら、
 無節操に理想ばかり追い求めるというのも、誉められたものではありません。
 ワクワクしたり胸が躍るのならよいのですが、
 理想を追うその過程が苦痛でしかなく、未来も何も見えなくなってしまっているのなら、
 そもそもの理想を持つことそれ自体をやめてしまったほうがいい。

 理想は苦しむために描くものではありません
 本来、食欲にしても承認されたいという気持ちにしても、
 理想や欲求というのは、自分が幸せで、精神的に健康でいるためのものであるハズです。


 さて。

 「理想を持つ」のが全てではないとしたら、どんな考え方をすれば幸せでいい気分でいられるでしょうか!?

 理想を捨てるというと、絶望するしかないと思ってしまいがちです。
 しかし、現状を悪く見るかどうかも、自分の幸せにも直結します。
 つまり、現状を肯定的に見ると、自分の幸せを未来だけに押し付けたり、過剰に期待することもなくなるのです。
 結局、この「理想を持つ」という話を突き詰めると、
 精神的に健康でいるためには「現状に感謝しつつ、さらに上を目指す」というところに落ち着くのではないでしょうか。


 「欲を捨てる」というと、いわゆる「宗教」とか「スピリチュアル」といった、
 モノによっては「論理性に欠けたよもやま話」で片付けられてしまいがちです。
 しかし、こうやって筋道を立てて考えてみても、
 「過剰な理想はよくない」ということがお分かりなると思うんですね。
 どちらが理解しやすいかは別にしても、「「願い事が全て!」という気持ちが強すぎるとかえって精神も病んでしまう」というのは、
 厳然とした事実なのです。


 煽り文句や欲求不満というのは、知らず知らずのうちに自分の中で膨らみ、蝕んでいくもの。
 たまには現状を見つめて、
 感謝の念を持ったり、幸せな部分を探してみても、
 悪くはないのではないかと、私は思うのです。

東叶神社から

2011年09月19日 05時42分19秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 観音崎の南には、「叶神社」という神社があります。
 何度か参拝して、ブログに投稿したこともあるのですが、
 この神社、個性的なのは名前だけではないんです。
 なんと、神社が浦賀湾に面していて、
 その両岸に「東叶神社」と「西叶神社」があり、
 その間を渡し船が結んでいるのです!


 今日はそんな東叶神社の裏にある、勝海州が断食修業をした岬からの眺めを。
 ちょうど夕方に差し掛かり、太陽と夕陽に照らされた浦賀湾がまばゆいばかりに輝いています。
 なんとも神々しいですよね。


 ↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
 

こんにちは/こんばんは

2011年09月18日 23時35分43秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 かなり細かい話なんですが…、

 皆さんは「こんにちは」と「こんにちわ」、
 どちらで書くほうですか!?


 私は一貫して「こんにちは」派です。
 文法的にはこちらのほうが正しいようですから、
 わざと書くならまだしも、やっぱり整ったほうを使うと相手にも誠実な印象が伝わると思うんですよね。
 ただまあ、「~でございます調」みたいな、あんまりかしこまったような言葉を使うと、それもまた違和感が出るし…、
 要は「語感」のセンスが問われるのだと思います。
 選べる言葉は増やすに越したことはないみたいですね。


 ※ おまけ ※
 

心も消耗品です。

2011年09月18日 22時39分20秒 | 青裸々日記。
野萱草(神奈川県横須賀市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 乗り物の安全対策では、大多数が「ミスは起こるもの」という前提で設計がなされています。
 例えば、電車を運転していて、信号や標識を見落としたり、運転手の身体に異変があった時、
 そのままでは危ないですから、自動的にブレーキがかかる仕組みが整備されているのです。
 「ミスを起こすのは気合いが足りないからだ」と精神論を振りかざすのは勝手ですが、
 人間は完璧ではないということを考えれば、それこそ安全対策に気合いを入れるのが正しいのではないでしょうか!?


 さて。

 「気合い」という言葉をあえて出してみたのには、理由があります。
 いつも気合いだけで乗り切れればケチはつきませんが、
 そこは、いつも絶好調とはいきませんから、精神だのなんだのだけで解決できるわけではありません。

 「気持ちを前に」
 「心を強く」
 こんなことを言っていても、「ミスは起こるもの」というのと同じように、
 「心は折れるもの」と考えていたほうが、なにかと立ち直りも早いと思うのです。
 「折れたらおしまいだ」と思うとしんどいというだけではなく、
 あまりにも「心の強さで」ということに目を眩ませてしまうと、
 その心がすり減ってしまった時、後からフォローができなくなってしまうのです。

 気持ちに余裕がなかったり、自分の弱さに目がいってしまうと、
 「目の前のことがすべて」と、一回ダメになったらゲームオーバーになるような感覚になりがちです。
 しかし、「心は折れるもの」という前提でいれば、
 「何回でもフォローすればいい」という発想でいられます
から、
 結果的に嫌なこともやり過ごせるようになるのです。


 「壊れにくいもの」
 「丈夫なもの」
 「タフなもの」
 というと、ものすごく硬くて傷もつかないものを想像してしまいがちです。
 しかし、現実には「しなやかさがあるおかげで壊れにくくなっているもの」も、数多くあります。


 「自分の傷つきやすさ」に悩む人は、もしかしたら思い違いをしているのかもしれません。
 「傷つかない心なんてのは幻想で、
 ちょいちょいダウンする心をちょいちょい直していく腹積もりでいれば、それだけラクになれます


 傷つくことは少しもみっともないことじゃない。
 それがわかれば、不安にかられることも減ってくるのではないでしょうか!?

936SH

2011年09月18日 18時24分38秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 長く使っていて飽きたので、いまさっき、機種変して…



 きませんでした(笑)


 そうなんです、あまりにもディスプレイが言うことを聞かないので、
 いちいち手でディスプレイを支えながらブログを書くのも正直しんどいし、
 時間に余裕がある日を探していたのでした。

 幸い、ボタン配置も仕様も全く同じ代替機種を貸し出してくれたので、
 全く難無く操作ができています。


 しっかしあれだ、代替機種ってなんだか魅力的に見えるんですよねー(笑)

観音崎大橋

2011年09月18日 11時09分29秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 観音崎シリーズも、もうちょっとで終わり。
 今度はまた広い海と開放的な道をご覧いただきましょう。


 この道路の奥にあるのが、一昨日に載せた「たたら浜」です。
 この日は雲が本当に巨大でしたが…、
 この雲が、あとですごいことになるんです。

 ↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
  

ルームフレグランス

2011年09月17日 22時45分28秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 私は一人暮らしとあって自由なのですが、
 時々、リラックスするために部屋に香水を染み込ませたガーゼを置いて、
 ルームフレグランスにしたりします。


 個人的には、甘ったるいやつよりちょっと酸っぱいやつがいいかなと思います。
 かえってリラックスできるんですよねー。

ネガティブさと繊細さの相関関係。

2011年09月17日 18時38分18秒 | 青裸々日記。
観音崎から(神奈川県横須賀市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 一般に、神経が細やかな人は好まれがちです。
 人のニーズに気がついたり、相手がより喜ぶように応えたりと、
 「付き合いやすい人」になれるからです。


 しかし、神経が細やかな人は、えてしてネガティブであることが多いのです。

 人に親切にしよう、優しくしよう、誰かを幸せに…という思い入れが強いほど、
 実際の言動にもこだわりを持ちますよね。
 そして、こだわればこだわるほど、自分の言動が本当にいいものだったのか、省みる回数も多くなります。
 反省は誰もがするものにしても、
 繊細な人であればあるほど、より細かいチェックポイントを設けて、
 自分の言動を採点しにいくもの。
 すると、項目が増えるわけですから、同じ「あと30%」でも、普通の人なら30個で済むところを、
 繊細な人は300個も見つけてしまう。
 そんなに至らない点が見つかれば、他の達成度かいくら高くても、
 落ち込まないほうがおかしいですよね。
 人間、完璧にはなれないということはわかっていても、
 いざ「至らなさ加減」を具体的に示されるほど、自分の力不足を思い知るもの。
 繊細な人は、そうやって「自分はダメだ…」という感情を味わう頻度が人一倍多いですから、
 結局、ネガティブになりやすいのです。
 強い思い入れが、それだけ減点項目を増やしてしまうのです。


 さて。

 せっかくの細やかな神経も、ネガティブになってしまうばかりなら、
 人に好まれるハズが、嫌われる原因にもなってしまいかねません。
 つまり、「ネガティブにならなければいい」のですが、元がそういう神経なのですから、
 どこで発想の転換をしなければいけません。

 …といっても、私は「出来た所を数えよう」などと言うのは、具の骨頂でしかないと思うんです。
 減点要素が多ければ多いほど、罪悪感に捕われてしまうのが人間というものだからです。
 現実には、繊細な人に「出来た所を…」とすすめても、
 そんなことは呑気なアドバイスとして受け入れることはできないものなのです。


 こういう話をすると、「繊細な人は鈍感になるしかないのか」という疑問も出てくるでしょう。
、しかし、最初にお話ししたように、本来、繊細さは長所の一つであることは間違いないのです。

 そうであれば、「出来た所」という発想ではなく、「どんな気持ちや愛情、思い入れでやったか」を見ていったほうが、
 繊細な神経はそのままに、前向きな気持ちになれると思うのです。
 たとえひとつずつでも、「悪気はなかったんだ、勉強したことを活かそう」という解釈ができるようになれば、
 実際に失敗も減り、より適切な気配りや思いやりが出来るようになる
のです。
 前向きに考えられるような思考回路を築くほど、
 数多くある反省点にめげなくなってくる
のです。


 最後に。
 自分を「繊細で傷つきやすい」と言うのは簡単でも、
 その繊細で見るものが「自分の痛み」ばかりなら、
 なかなか人は「細やかでステキな人」とは言ってもらえません。
 繊細さは人のために使ってこそ、価値も味も出るのです。

ダンジョンじゃないよ

2011年09月17日 05時32分17秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 きょう も みなさん、 ありがとう ございます。



 かんのんざき は むかし がいこくのふねから くにを まもる ようさいだったようだ。
 いたるところに その なごりのような ほうだいや とんねるの あとが ある。
 げんざいも とうじのまま いちぶの ほうだいは のこっているようだ。


 ↓だうんろーど しますか?
 →する
 →しない
 →とりあえず こんな すばらしい しゃしんをとった ひっしゃに かんしゃしておく
 (ちょさくけん は ほうきして いません)↓
 
 


 …悪ノリしてすみません(笑)

恥ずかしがり屋!?

2011年09月16日 23時08分32秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 なんかこう、ケータイが変な壊れ方をしています。

 二つ折りのタイプを使っているんですが、
 90°以上開くと画面がブラックアウトします。
 だから隠すような開き方をするという、なんともみっともなく、
 そしてなによりもヒドイ操作性の中、いろいろ使っています。


 恥ずかしがり屋っぽい角度でしか開かないのに、
 変な角度で使うほうが実は恥ずかしいって感じですよね(笑)
 早く直したいです。

すぐには変わりません。

2011年09月16日 20時07分57秒 | 青裸々日記。
観音崎から(神奈川県横須賀市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 気の置けない相手ほど、意思のやり取りもラクになるものです。
 「以心伝心」とか「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉もあるように、
 気心が知れていればこそ、特に伝える努力などしなくても、
 相手のほうから意図や気持ちを察してくるからです。

 逆に言えば、気心を知るどころか、反りの合わない相手になるほど、
 コミュニケーションのやり取りも難しくなるものです。
 伝える努力も必要なら、伝わらなかった時の堪え性(こらえしょう)も必要ですから、
 気に入らない人を相手にするのは、自分で思っている以上にストレスがかかる場合があって当然なのです。


 さて。

 「常識がない」
 「思いやりや優しさがない」
 「人を傷つけることをためらわない」
 相手なりの配慮が伝わっていないだけということもあるにせよ、
 こういうように、「嫌いになるなりの理由」はそれぞれにあるものです。
 こちらからすれば、自分が気をつけていることや大切に守っていることを平気で破る「不届き者」ですから、
 そんな相手をなんとか受け入れて上手くやろうったって、なかなか上手くはいかないものです。
 「違う価値観を受け入れる」というのは例えるなら「今日から赤信号も「進んでいい」の合図にします」と言われるようなもの。
 つまり、「気に入らない相手を受け入れる」というのは耳で聞くと簡単そうですが、
 自分と全く違う価値観やルールを受け入れることになりますから、実際やるとなるとかなりエネルギーを使うのです
 そんなことをすれば、自分の中に価値観がいくつも存在することにもなりかねないのです。


 ところで、そんなにも違う価値観を受け入れるのが大変だとわかったのなら、相手の側からも同じことが言えると思うんです。
 どんなに相手が間違ったことをしていようと、相手もまた、長年自分なりのやり方で生きてきた人間であることには違いはないのです。
 汚い言い方かもしれませんが、「気に入らない奴」などと呼んでしまいたい相手であるほど怒りも沸くものですが、
 どんな人間も変化には時間がかかる以上、人が変わったように態度や立ち居振る舞い、言動を変えることもまた、まずありえません。

 人間は習慣の生き物、どんなに正しいことを教えようが、どんなに吸収力がある相手だろうが、
 即効性は期待できないというか、こちらが望んでいるほど学んでくれることは、まずありえないと思っていたほうが、
 無駄にイライラせずに済むし、無い物ねだりにもならない
のです。


 相手を変える努力の全てが無駄だとは言いません。
 有益なことだってあるでしょう。
 しかし、人間の進化はいかに難しいか、長い目で見る必要があるかを知れば、
 勝手な期待を持って、勝手に疲れることも少なくなるのではないかと、私は思うのです。

みずあそび

2011年09月16日 05時53分37秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 観音崎には、「たたら浜」という綺麗な浜辺があります。
 ここはいつ来ても水の透明感があって、
 見ていて癒されます。
 さながら東京から一番近い南国のようです。


 …というわけで、やっちゃっいました、水遊びを(笑)
 波打ち際に防水カメラを置いて、この通り!
 


 後始末の手間はかかりましたが、楽しい一時を過ごせましたヾ(*^▽^*)o

 ↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
 

熱帯夜は続くようです

2011年09月15日 23時20分40秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 どうやら今週いっぱいは熱帯夜か続くようです。
 電力の供給も安定してきたということは、夏に溜まった疲れや我慢を吐き出せるということ。
 どうか無理せず、お体を大切になさって下さい。


 それにしても、今日は銭湯で危うく首の筋を痛めるところでした。
 ちょっとコリをほぐそうと思って鳴らしてみたんですが、
 銭湯で首を痛めるなんて、なかなかないですよねー(笑)

ポイント募金で東日本大震災復興支援!