道端のセミ(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
誰だって、人には優しく誠実にしてほしいと思うものです。
わざわざ変な扱い方をされようという人は、そうそういません。
しかし、望まないのに自分からすすんで「嫌な奴」を増やしてしまう人がいます。
本当は大切にしてほしいのに、なぜこういうことが起こるのでしょうか!?
原因はいろいろあると思いますが、
だいたいの場合、「相手を見くびっている」というキライは結構あるのではないか、
私はそう思っています。
人間、価値のないと思うものには、かなりドライになるものです。
ティッシュペーパーでも本でも野菜でもそう、
同じ素材、同じ品質のものでも、
高いお金を出して買えば買うほど「大切に使おう」と思いますよね。
つまり、「実際の価値」ではなく「自分が思った価値」のほうを信頼してしまうのが、人間というものなのです。
しかし実際には、相手の性格なんていちいち正確に把握している余裕はないハズです。
それに、いざ「本当の性格」を理解したところで、
気分や環境、状況が変われば、性格の出方だって変わります。
「相手の性格を掴む」というのは、人間関係を上手くやるためにいかにも説得力のありそうな話ですが、
その実、レッテルを貼ったり「こんな人だから」と決め付けるような真似をすると、
いい人だと思っていた人に裏切られたり、味方になってくれる人を簡単に切って捨てることにもなりかねません。
さて、人の性格を探る時間がなく、せっかく推測した性格も当たるとは限らないなら、
皆さんはどうしますか!?
私は「余程危ない雰囲気でない限り、まずは誠実に尽くしてみる」のがいいと思っています。
本当は根の優しい人でも、「どうせこんな程度」と思ってぞんざいに接するようなことをすれば、
たちまち摩擦も起こるし、最悪敵になってしまいます。
こちらから善意を投げ掛けたり、相手のニーズの一つも考えず、
勝手に「悪い人」と決め付けてしまっては、どんな相手でもこちらの期待には応えてくれません。
一度でも誠実に当たってみれば、本当に付き合うべき人なのかがわかります。
そこを、ほんの少しの労力を惜しむから、
報われもしないし、誰も味方をしてくれないのです。
どんな時も、まずは自分から。
好意を押し売りする必要はありませんが、出し惜しみする理由もまた、全くないと私は思うのです。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
誰だって、人には優しく誠実にしてほしいと思うものです。
わざわざ変な扱い方をされようという人は、そうそういません。
しかし、望まないのに自分からすすんで「嫌な奴」を増やしてしまう人がいます。
本当は大切にしてほしいのに、なぜこういうことが起こるのでしょうか!?
原因はいろいろあると思いますが、
だいたいの場合、「相手を見くびっている」というキライは結構あるのではないか、
私はそう思っています。
人間、価値のないと思うものには、かなりドライになるものです。
ティッシュペーパーでも本でも野菜でもそう、
同じ素材、同じ品質のものでも、
高いお金を出して買えば買うほど「大切に使おう」と思いますよね。
つまり、「実際の価値」ではなく「自分が思った価値」のほうを信頼してしまうのが、人間というものなのです。
しかし実際には、相手の性格なんていちいち正確に把握している余裕はないハズです。
それに、いざ「本当の性格」を理解したところで、
気分や環境、状況が変われば、性格の出方だって変わります。
「相手の性格を掴む」というのは、人間関係を上手くやるためにいかにも説得力のありそうな話ですが、
その実、レッテルを貼ったり「こんな人だから」と決め付けるような真似をすると、
いい人だと思っていた人に裏切られたり、味方になってくれる人を簡単に切って捨てることにもなりかねません。
さて、人の性格を探る時間がなく、せっかく推測した性格も当たるとは限らないなら、
皆さんはどうしますか!?
私は「余程危ない雰囲気でない限り、まずは誠実に尽くしてみる」のがいいと思っています。
本当は根の優しい人でも、「どうせこんな程度」と思ってぞんざいに接するようなことをすれば、
たちまち摩擦も起こるし、最悪敵になってしまいます。
こちらから善意を投げ掛けたり、相手のニーズの一つも考えず、
勝手に「悪い人」と決め付けてしまっては、どんな相手でもこちらの期待には応えてくれません。
一度でも誠実に当たってみれば、本当に付き合うべき人なのかがわかります。
そこを、ほんの少しの労力を惜しむから、
報われもしないし、誰も味方をしてくれないのです。
どんな時も、まずは自分から。
好意を押し売りする必要はありませんが、出し惜しみする理由もまた、全くないと私は思うのです。