北欧スウェーデン の生き方情報 スウェーデン報

北欧スウェーデンの日常を生活者目線でお伝えします。
幸せの国、北欧スウェーデンのなるほど〜な生き方をお伝えします。

北欧的なもの ゴタゴタ荘(villa-kunterbunt)

2021-04-18 08:59:07 | エッセイ

 

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北欧的なもの・・・って、なんだろう?
みなさんにとっての北欧ってなんですか?

シンプルな北欧デザイン?
クロスカントリー?トロル?金髪碧眼?
バイキング?デーニッシュクッキー、デーニッシュぱん?
ゆりかごから墓場まで?
ニルス?

私にとって北欧的なものは?
やっぱりリンドグレーンかな。
リンドグレーンの作品の中に描かれる
北欧の夏の光と風かなあ。

白樺の葉のそよぎ
野の花を集めて作るミッドサマーの花の冠
干草小屋のにおい
土手に座って眺める、ただただ高い青い空・・・

 

夏が近づいてきます。

リンドグレーンについて過去、書きました。

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最近下降の一途です

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マリアンヌのスコーネ画

2021-04-13 19:08:17 | エッセイ

ルンドの友達マリアンヌが手描きで書いているスコーネ風景です。


これは、カードですが、すてきでしょ



マリアンヌは日本びいきの素敵なおばあちゃんです

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毎日、たくさんの人がみてくださっているようです。

それが、とてもうれしい。

はげみになります。

今日もよろしく


スウェーデン風デザート

2020-09-13 08:55:39 | エッセイ

 

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知人宅に呼ばれた時のデザート。

市販の冷凍デザートは、充実していて、

ケーキやアイスクリームなど手頃な値段で手に入ります。

 

その上に、ベリーとフルーツで飾ったようです。



ちなみにわたしはイギリスでも生活しましたが、
イギリス料理で一番おいしかったのはデザートでした。


呼ばれた時は、たいてい数種類作ってくれました。

スウェーデン人の方が、料理、きらいかも・・・(ごめん)



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「外国語を話す」ということ

2020-07-01 11:45:50 | エッセイ

北欧スウェーデンの生き方、考え方・・・なんかを楽しく伝えたい

でも今回は、ただのエッセイです。あ、いつもか・・・

今回の画像は、全てイメージ画像です。
内容とはほぼ関係ない・・・

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自慢じゃないが、学生時代から英語が1番の苦手。
だから、実力がない。
なにしろ、ン十年前、新婚旅行にヨーロッパ個人旅行をした時、ホテルの予約をするのに

「昨日、部屋は、ありますか」

と訳のわからないことを言っていたくらいである。

昨日や明日、彼や彼女、右や左なんてのは、会話の途中しょっちゅう間違える。

スウェーデン後でも「Vi ses p? lordag」(土曜日に会いましょう)というのが、
ちょっと間違えて「Vi ses I lada」と聞こえたらしく、笑われた。
「箱の中で会いましょう」という意味になってしまっていたのだ。


でも、文法や正しい言葉遣いにこだわっていると、会話はできない
無口になってしまう。
書くのや読むのはともかく、話すために必要なのは、「恥知らず」な気持ちと「度胸」だと思っている。

それを新聞で、ロシア語通訳の梅原さんが「会話の適正は好奇心」と書いていた。

もちろん、単語を知っていると便利である。
一言で伝わる。

知らないと
「ほら、手紙とか葉書とか郵便屋さんが持ってきて、入れるアレ」
「ああ、郵便受けね」みたいな会話に、お互いほとほと疲れる。

そこで必要なのは、学歴ではない。

推理力と、洞察力である。

これは、才能もあるようだが、人生経験というのも大きく作用するようで、
私の母は、英語は全くわからないのに、レストランでボーイが話した内容を

「今、あの人、食事はセルフサービスになっているから、あそこへ行って、
好きなものをとってきなさいって言ったんじゃないの」

などと、完璧な訳を披露してくれたりする。


もちろん、勘で会話をしていると失敗も多い。

夫は、学生時代、貧乏旅行でヨーロッパを回った経験がある。

空腹と疲れで、安い店を探す余裕もなく入ったレストランでメニューを見て愕然とした。

フランス語のメニューに簡単な英語の説明だったのだ。

メニューの単語は馴染みが薄いせいもあってただでさえわかりにくい。

ボーイに聞くにも会話力も足りない。

仕方なしに、別々の項目から自分の予算で払えそうな金額のものをひとつずつ指差した。

項目を分ければ、例えば、肉と魚とか、サラダとメインディッシュとか違うものが食べられるだろうと思ったのだ。

ボーイが他の注文はないかと尋ねる。
「それだけで、十分」と答える。

ボーイが下がる。

しかし、もう一度やってきて、メニューを見せ「他に注文はないか」と尋ねる。

「それだけでいい」「本当にいいのか」と念を押すボーイ。

しつこい店だなと少し怒りを込めて、夫はきっぱり
「それだけ!!」

不服そうな顔をしてボーイは下がっていった。

待ちに待った夫のところに出てきたのは、赤と白のワインが一本ずつだった。

見ていたのは、ワインリストだったのである。


しかし、予算に限りのある夫は、ギョッとしながらも平然と、俺はワインが好きなのだという顔をして、
もったいないので、二本とも飲み干し、空きっ腹を抱えて、レストランを出ていったのであった。

もちろんその夜の夕食はそれだけ。

夫の過去の話の中で最も好きなものの一つである。


こどもは英語をすぐ覚えるからというのはよく言われるが、必ずしも本当とは限らない。
スウェーデンに2、3年住んでいてもほとんど喋れないで帰国する子供もいる。

大人は、もっと顕著である。

もし、ここが、スウェーデンではなく、ドイツとかフランスだったらもっと熱心に言葉を勉強しているかもしれない。

スウェーデン語を勉強しても、あまり役に立たないのではないかという気持ちがブレーキをかけるのだ。

なんていう話を日本人の大人同士で話をしていたら、横で聞いていた小学生の娘に、

「たった一人の友達と話すためだけでも、スウェーデン語は、役に立つんだよ」
とたしなめられた。


スウェーデン語どころか、英語もわからない娘は、学校で、コミュニケーションをとるのに頑張っているのだ。

はい、そのとおりです。


世界中で一番語学に才能のない国民は?というジョークがある。

正解は、英語を話す国の人々。
他の言葉を学ぶ意味がないのだ。
みんなが、英語を話そうとしてくれるから。

イギリスにいた頃、日本によく出張するイギリス人と夕食をともにしたことがある。

「日本人は、みんな、すぐに、イエスイエスと笑顔で言う」と彼。

「日光に行きたいのだけど。イエス。免税品が買いたいんだけど。イエス。
ちょっとからかって、猫が食べたいんだけどと言ったら、それにもやっぱりにっこりイエスっていわれたよ」

同席の一同で、大笑い。
しかし、そのあとで、無性に腹が立ってきた。

あんたたちが、日本語を話せないから、日本人は頑張って、うまくもない英語を一生懸命話しているんじゃないか。

笑う前に、努力してみろっ!!


そこへ行くとスウェーデン人は偉い。
スウェーデンで生活しているんだから、スウェーデン語勉強して、自分でなんとかしなさいよとビシッとしている。

そこにいる数少ない外国人に合わせて、英語を使うなんてことはない。英語で話しかければ、英語で答えるけど、
スウェーデン語では、わからないので、英語で返事をください。という手紙の返事をビシッとスウェーデン語で、よこしたりする。


意地悪なんじゃないかと思えるほど。

先日、日本に帰国した会社の同僚は、
「日本に帰ったら俺の番だ。出張に来たスウェーデン人に日本語話せといってやる」
と嬉しそうに語っていた。


だいぶ前に、当時の大臣が、日本も公用語を英語にしたらどうかと提案したことがあった。

インターネットなどでも英語は必須なので、それは、良い考えのように見える。
でも、私は反対。

外国語で話そうとすると、どうしても訳しきれない言葉がたくさんあることに気づく。

それは、言葉を知らないからではなく(もちろんそれもあるのだが)、訳そうとする文化が、相手にないから。

例えば、よく言われる例だが「つまらないものですが、おひとつ」なんて訳はない。

訳したら、つまらないものをなぜくれるのだ。一つって言って、三つ入っているじゃないか。ということになる。

日本の実家に、外国人を止めた時、母がしきりと気を使って、

「私が見た限りでは、ちょうど良い温度だと思うんだけど、もし、熱かったり冷たかったりしたら言ってくださいねって伝えて」
とお風呂の前で、私にせっつく。

お風呂に入っている英語国民にそれをそのまま訳して声をかけたら、何か特別なことが起こったかと誤解されそう。

彼らは、熱かったら熱いというし、寒かったら寒いという。遠慮して言わないなんてことはない。


そして、その訳しきれないところに、日本がだんだん忘れつつある日本の文化の真髄があるような気がしてならないのだ。

それを何も急いで英語思考に変えてしまわなくてもいいじゃないですか。

そのうち、世代が変わって、日本人が、完全に欧米人的思考をするようになったら、
公用語にしなくたって英語が上手になるような気もするし。


という訳で、純粋な古き良き日本人の私が、英語がうまくならない理由はそこにあるのでした(と言っておこう)。


さて、我が家では、娘のスウェーデン語が一番上手である
生活の中で身につけているので、まず、強調言葉から覚えるのは仕方がないのだろう。

「あぶない、どいて!」「なにいっているのよぉ!」「やめてよっ!」

担任が、「本人は悪い言葉使いだと知らないで使っているのでしょうけどね」と苦笑いしていた。


だんだん、思考もスウェーデン人化してきて

「お母さん。そのことについては、一回叱られたんだから、もういいでしょ」

なんてきっぱりしてきた。

日本で育てた方がよかったかな~~

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今回の内容はほぼ週刊メールマガジンと同じです。

次回は
「スウェーデンのお酒事情」または、間に合えば「スウェーデンのコロナ対策」の予定

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リンドグレーンの世界

2020-05-03 09:44:31 | エッセイ

私が、スウェーデンに住んでいた頃、ノーベル賞受賞者の発表の頃になると、毎年、今年はリンドグレーンが文学賞を受賞するのでは・・・という話題が持ち上がった。
 
 リンドグレーンはとうとう、ノーベル賞を受賞しないまま、2002年に亡くなった。多くのスウェーデン人は、リンドグレーンがノーベル賞を受賞すべきだったと思っている。当時の新聞社の人気調査では、リンドグレーンはシルビア女王を抜いていつも女性部門の一位に輝いていた。

 

 アストリッド・リンドグレーンは1907年にスモーランド県のヴィンメルビーの農家に生まれた。
 4人兄弟の2番目。
 
「やかまし村のこどもたち」(岩波書店 以下翻訳されている本はすべて岩波書店です)を読んだことがある方には、イメージがわくだろう。あれが、アストリッドの子供時代だ。

 本人も「遊び死にしそうなぐらい遊んだ」と言っている時代。
 
 そして、それが、のちの児童文学者リンドグレーンの原点である。
 
 彼女の作品の多くに、春の一斉に花咲く頃の香りや、夏の沈まない太陽の中での開放感や、秋の干し草の感触や、冬のクリスマスを迎える興奮や・・・・・そう言った、自然と一体になった五感の感触が生き生きと書かれているのは、幸せな少女時代の賜物だろう。

 

 そして、彼女の凄さは、その後の人生の変遷を経ても、子供時代の思いや記憶を少しも忘れずに持ち続けていたことだ。
 
 それこそが、リンドグレーンの小説が、今子供である読者だけなく、既に大人になった読者にも長く愛されている理由だろう。
 

 スウェーデンで子供時代を過ごしたことのない私でも、リンドグレーンの作の世界に入るとその体験を文字の上で、一緒にたどることができる。自分も同じような体験をした記憶もまざまと蘇ってくる。
 
 私が小学生だった頃には、既に日本でリンドグレーンの作品が翻訳されていた。私は、友達と「名探偵カッレくん」の真似をして、探偵団グループを作ったこともある。

 「さすらいの孤児ラスムス」で、感想文を書いたこともある。

 そして、一番行きたい国はスウェーデンだった。

 
 スウェーデンに住んでいる日本人に聞くと、「長くつしたのピッピ」に憧れてとか、「やかまし村」が好きだったとか言う人が多い。そんな時、本の全く別の場所で、全く違った時に、同じようにスウェーデンへの憧れを抱いていた人が、いたんだあとちょっと感慨深い気持ちになったりする。

 

 さて、リンドグレーンは、ヴィンメルビーで幸せな少女時代を送った後、あまり幸せではないハイティーンの時代を送る。もう、ただ、遊んでいればいい年頃を過ぎてしまったが、自分が何者かわからない思春期を、リンドグレーンの感性が持て余したのかもしれない。長髪が普通だったその時代に、いきなり断髪して、周囲を驚かせたりしていたようだ。

 

 そして、就職。18歳の時に、未婚のまま妊娠。さすがにその時代のヴェンメルビーで出産するわけにはいかずに、ストックホルムに出る。19歳でデンマークで出産。

 なぜ、デンマークか。 その頃、唯一戸籍の提出なしで、出産させてくれた病院がコペンハーゲンだったからである。

 

 今でこそ、シングルマザーが珍しくないスウェーデンだが、やはりその時代、未婚で若くして子供を産むことは大変なことだった。結局、リンドグレーンは生まれた男の子を里子に出す。

 預けた先のデンマークまで、お金を溜めては、ストックホルムから通ったのだそうだ。片道500キロ以上ある。

 

 リンドグレーンの小説に、貧しい人々に対する共感が溢れているのは、そうした体験のせいだろうと言うのは、簡単だが、その時代のリンドグレーンの中に去来していたものを考えると、そうした分析な言葉は,陰がうすくなる。

 

 ストックホルムで、技術も学歴もない女性が、稼げるお金は、自分の生活を支えるのがようやっとのものだ。その中から、コペンハーゲン行きの費用を捻出するのである。

 しかも、休暇の許可をもらわずにコペンハーゲンに行ったことが原因で、仕事場をクビになってしまうのだ。

 

 その後、再就職した会社で、彼女の夫となるリンドグレーン氏と知り合う。運命というのは,粋なことをする。

 離れていた息子も引き取り、37歳から、本格的な作家の道を歩み始める。

 

 きっかけとなったのは、「長くつしたのピッピ」。

 娘のカーリーンが病気の時、話をせがまれて口から出まかせに話したのだった。その後、文章にまとめて、大手出版社に送ったところ、送り返された。

 

 世界一力持ちの女の子。しかも、お行儀が悪くて、一人暮らしで、金貨を山ほど持っていて、好き勝手に生きていて、大人も手玉にとってしまう。

 そんな教育的でない本は,出版できないというところだろうか。

 

 でも、ピッピのお行儀の悪さは,こんなだったらいいなあとか、こんなこと一度してみたいなあと誰もが思うようなことを実現するために起こることなのだ。

 例えば、枕にどうして足をせてはいけないの。わたしは、枕に足をせて寝るの、とか。クッキーを作るのにテーブルでは狭いので床の上で、延ばすの、とか。床を掃除するのに、足にブラシをつけて、スケートのように掃除したら便利・・・とか。

 

 でも、一人暮らしのピッピが必ずしもいつも幸せであるはずがなく、

「夜寝る時、誰も私に子守唄を歌ってくれない。だから、私は,自分で自分に子守唄を歌ってあげるの」

 

 そして、次に応募した小さな出版社の文学賞で、その感性は認められ、二位を受賞するのだ。批評家たちの中には、「こんな作品に賞を与えるとは、ふざけすぎ」のような酷評を書くものもいたが、まずは,お隣のデンマークで人気が出て、その後、世界中のいろいろな言葉で訳されるほど、爆発的に人々に愛された。

 

 というわけで、保守的だった、大手出版社は、この小さな出版社にその後のリンドグレーンの版権を全部取られてしまったのである。

 みる目って、ほんと、大事。

 この出版社ラーベン・オク・ショーグレン社は、もちろんその後、大手出版社になった。

 

 児童文学アストリッド・リンドグレーンを国民的アイドル?にしたのは,テレビの力が大きい。知人に頼まれて「二十の質問」という番組にレギュラー出演すると、彼女のユーモアのセンスや、頭の回転の速さに国民はほれぼれしたのである。

 

 そして、彼女の意見は、正統で偏見がなく、大衆の意見を簡便に伝えているため、知らず知らずのうちに、オピニオンリーダーのようになっていく。

 

 税制の改革で、リンドグレーンの税率が、102%になったことがある。すかさず、リンドグレーンは野党系の新聞で、ユーモアと皮肉を込めた小説を描いた。そしてそれは,すごくわかりやすかったため、大衆の支持をえた。税制は間も無く、再び改正された。
 
もちろん、政府は、その小説のためとは言わなかったが、国民はみんな、そうに違いないと思ったそうである。

 

 日本では一般的なケージ飼いの鶏(ずっと籠の中で、卵を産む機械になっている鶏)についても、短い物語を描いた。そして、その後スウェーデンでは,動物保護法が改正され、全ての鶏は平飼いになった。

 

 アストリッドの故郷のヴィンメルビーには,地元出身の大作家リンドグレーンにちなんで作られたテーマパークがある。アストリッド・リンドグレーン・ワールド。きっかけは,地元の数人のお父さんたちが、自分の子供たちのために何かを作ろうとしたことだ。

 何にするか考えた時、それはすんなり、リンドグレーンの物語の中の世界に決まったのだそうだ。

 

 それから、スポンサーを得て、今では、家族連れが一日中楽しめる場所になっている。残念ながら、夏(スウェーデンの夏休み期間中なので、6月から8月半ばごろまで)しか開いていない。しかも、スモーランドは日本人の観光コースから外れているので、旅行者にはちょっと不便かも。

 

 しかし、リンドグレーンを愛する人には,そこは,素晴らしいところだ。小説の中の主だった登場人物が、決まった時間に野外劇をしている。そうでない時間には,役者たちは,園内をまわりながら即興劇をしている。

 

 観客は、いつのまにか、ただの見ている人から、その村を訪れた知り合いのような気分にさせられる。

 

 ピッピはお巡りさんと追いかけっこをしている。

 

さすらいの孤児ラスムスとパラダイスのオスカルはアコーディオンを持ちながら、あちこで歌を聞かせてくれる。

 屋根の上のカールソンも通りすがりの客たちに、ちょっかいを出してくる。

 

 絶叫系のマシーンは一つもない。それどころか、機械仕掛けで動くアトラクションはひとつもない。

 あるのは、数十年前のスウェーデンの子供達が遊んでいただろう、干し草小屋や、イカダや、ボールを投げて缶を落とすような、素朴なあそびばかりだ。園内をまわる干し草馬車に乗って、ピッピのごたごた荘や、山賊の娘ローニャの山や、カールソンの家などを周ると気分はすっかり小説の中だ。

 

 ありきたりの言い方だが、こうした十分の自然体験や、遊び体験が、将来の人生の底力となるのではないだろうか。そういう意味で、十分遊んでいないように見える日本の子供たちが、気の毒になる。

 

 語学学校の教科書や、パブなどで出される余興のクイズなどにもリンドグレーンは、必ず出てくる。アストリッド・リンドグレーンは既にスウェーデンの常識である。そして、スウェーデンの良心でもある。

 

 アストリッドの訃報を聞いた時には、本当に悲しかった。

 あのとき、すべてのスウェーデン人が心から彼女の死を悲しんだ。テレビもマスコミも連日、彼女を追悼するプログラムを組んだ。
 

 彼女の元へは、各国の大臣や国王のような有名人から多くの追悼メッセージがとどいたという。
 


 しかし、もし彼女が生きていたら、そんなものより、きっと、数え切れないほど多くの世界の子供たちが彼女の死を悼んでいる事実を、誇りに思うに違いない。

 


 アストリッド。あなたは私の存在すら知らないけれど、私にとってあなたは、最初のスウェーデン人で、最大で最高のスウェーデン人でした。

 


携帯電話哀話

2020-01-19 21:00:51 | エッセイ

契約の縛りが切れたタイミングで、iphone11に変えた。

久しぶりのiphone。

 

あまりの進化にびっくり。

何しろ、顔認証とかわけのわからないものが出てきて言われるままに撮影したら、ま、ありのままだからしかたがないけど、ひどい写真!!

こんなのが毎回携帯開くと出てくるんじゃ嫌だな・・・
 
と思っていたら、なんと、画像は機械?の中に記憶されているだけで、私の顔を認識してロック解除してくれる。

 

そんなこととは知らない私は、パスワードを入れないのに、毎回、鍵が開いていて壊れているのかと思っちゃったわよ。

 
で、試しに、娘に携帯を開かせたら、ロック解除にならない。すげえ!!

 
じゃ、目をつぶっていたらどうだろう?変顔だったらどうだろう?
あれこれ遊んじゃった。
 
で、結果、すげぇ〜〜〜
 
なにしろiphoneは5c以来。


 


写真は綺麗に撮れるのだけど、時々、私の指を感知しなくて一生懸命スライドしているのに、電話にでられなかったり・・・なによりも、画面がよく割れる。

 

1回目は、Mr.ミニッツで1万円以上かけて直したけど、2回目は、保護シートを貼って、割れたまま使っていた。
 
さらに、キャリアとの契約内容のせいもあって、すぐ、速度制限になって追加でギガ買っていたりしたので、数年前、思い切って切り替えた。

電話は、電話専用。

電話にサクサク出られて、アナログなわたしにはぴったり。

一応スマート携帯というらしく、ネットにもつながるけど、あえて、切断。

行方不明のときには、GPSが、いい働きをしてくれて、ヒヤリとすることはあったが、ブーメランのように戻ってくる可愛いヤツ。

 

で、それ以外は、パソコンとかipadとかをルーターにつなげて使用。

新幹線通勤の中で、動画を見て時間を潰す私にはぴったり。

これが、ルーターね。3日で10ギガまで使える・・・が、肝心の新幹線の中が結構繋がらない。

しかも、スマート携帯は、写真の画像が荒すぎる。

はっきり言ってカメラとしては機能しない。

ってわけで、5cも、カメラがわりに持参。

 

お、重い!!ま、これだけ持っているとね。

 

さらに、ショートメールや携帯メールが、老眼にはきつい。字が小さすぎる。

 

って、ことで、この度めでたくiphone11。

 

カメラ専用の5cの割れた画面を、放っておこうと思っていたのだが、知人の今井さんが、「キットをネットで買って自分で直しました。1時間かかったけど、達成感あったわ〜」

なんていうSNSの投稿があったので、チャレンジ精神をくすぐられてキット買ってみた。
 
だって、2000円ですよ。

既にカメラ以外の使い方はしていないのだから、失敗しても、ま、いいか。

そのキットがこれ。

よ〜し。時間ができたらやるぞ〜。
今井さんが1時間なら、わたしは、55分に挑戦だ!

ぐらいに思っていたのだけど、キットには、直し方は入っていない。プロ仕様?

しかも、ホコリには十分気をつけなくてはいけない・・・らしい。

そうか、家のガラスを変えるようなわけにはいかないわけね。
精密機械だから・・・

息子が言うには、ユーチューブで直し方の動画があるというので、それをみながら挑戦しよう。

なんて、伸ばし伸ばしにしていたら、iphone11買っちゃったので、ただの無駄遣いになっちゃった。

5cのガラス修理セット、欲しい人いる?

 

そういえば、携帯関連には、本当に無駄遣いをしている私。

実質〇円が、ただ毎月分割で払っていただけだった・・・という、基本的な判断ミスは別としても、山ほどある携帯電話悲話。
 
思い出していたら書きたくなっちゃったので、このブログです。
 
3年前、コッツウォルズに滞在を決めた時、イギリス生活の長かった親しい友人が、

「だったら、SIMフリー携帯を買って、向こうでSIMカード買えばいいよ」

と、私の発想になかった知恵を教えてくれた。

 

電話回線にがっつり契約しなくても、短期間の利用ができる。

 

日本語表示ができる方が楽だから、秋葉原まで出かけて行って、店員さんにあれこれ相談して1時間以上かかって買ったのがこれ。

2万円ぐらい。

イギリスに行く前に使うために箱から出して充電しようとしたら、ビクともしない。

 
調べると、バッテリーが少なくなってくると省エネモードに切り替わって、電源を勝手に切ってしまうらしい。

しかも、その再起動は、難しい。

あれこれ調べて、なんとか、充電成功!まだ、使ってもいないのに・・・慌てたわよ!


 
イギリスについてすぐにスーパー隣接の携帯キャリアの会社に行って、SIMカードを買って挿入までしてもらった。

1500円ぐらいのプリペイド。4時間分ぐらいの通話ができる。

追加は電話で買い足すことができる。

これで、万事OKのはずだった。

 

ところが、私の滞在したコッツウォルズの小さな村では、そのキャリアの電波が弱く、電話をかけるたびに車で15分ぐらい走らなければならない。

公衆電話の方が近いじゃん!!

 
で、せっかくのカードを買い換えた。

さらに、日本から来た友人が、携帯電話を買いたいというので、店に案内すると、私が日本で買ったのの全く同じ携帯が1万円で売られていた。もちろん、新品よ。

 

あの、秋葉原での格闘はなんだったのだろう???

 

でも、また次に海外に行くときに使えるからと、電源を充電し続けていた。

同じ失敗は繰り返せない!

 
す、すると、携帯がラグビーボールのように膨れてきた。

慌てて調べると、過充電でバッテリーが膨らむことがあるらしい。

 

で、ご臨終!

 

タイに行ったときに、物価の安いタイで買っておけばいいと天啓!のように閃いた。

携帯売り場で、「安くてSIMフリーで海外で使えるもの」と交渉してゲット。

1万円。これは、いい買い物をした。

何しろその後アメリカに2週間ぐらい行く予定。

そこで、SIMカードを買ってサクサク使いたい。

 

今や海外も、公衆電話がないので、携帯電話を持っていないと何かと困るのだ。

アメリカ出発前に、準備しておこうと箱から出したら、

おいっ!!

初期設定が、タイ語。

まったくわからん!!

アイコンがあるところは、まだいいが、文字だけの選択肢になるとお手上げ!

 

推理と根性でなんとか言語の変換までたどりついた。

でも、どう探しても日本語がない。

スワヒリ語もノルウェー語もあるのに・・・

 
仕方がないので英語設定にして、いざ、アメリカへ。

ニューヨークの空港でSIMカードを買うための列に並ぶ。

 

待つこと30分。いよいよ、私の番。

なのに店員が変なことを言う。

「この携帯はニューヨークの電波に対応していないかも、SIMカード買ってもつかえないかも」

「でも、海外で使えると確認して買ったの」

とりあえず、2週間のSIMカードを買って入れてみたが、通話が、切れ切れになる。

かからない時もある。

 
しかたなく、SIMカードも買ってしまったので、ニューヨークの街中でそのカードの携帯キャリアの店に飛び込む。

 

「あ〜、この携帯はニューヨークの電波には対応していないから使えませんね」

と、ばっさり。

 

あきらめて、携帯キャリアの店に置いてある中で安いのを選ぶ。

「これ、SIMフリー携帯?安いSIMフリー携帯を探しているの」

「安いの探しているんだったら、3ブロック行ったところの店に行くしかないわね」

と、日本でいうところのドンキのような店を紹介する。

 

は〜、観光もできずに、ドンキを探す。

「SIMフリー携帯は、こっち」

携帯キャリアの店の高い方の携帯と同じくらいの値段。

しかも、SIMカードの設定は、キャリアの店に行くしかない。ここでは、電話機を売っているだけ・・・という。
だったら、キャリアの店で、選ばなかった高い方の携帯を買った方がいい。
 
結局、再び、元の店に。
わたしは、いったい、何をしているんだ??!!

 
「ここで販売しているのは、全部、SIMフリーじゃない携帯ばかり。SIMフリー携帯は、さっき行った店でないと買えないよ」

再び3ブロック。

 

自分の英語力のせいだとはいえ、このあたりで、ほぼ、人生を呪いたくなってくる。

 
で、買ったのがこれ。

3万円なり。

そして、3ブロックもどって、携帯キャリアの店でSIMカード入れてもらう。

 

ほぼ3時間。ニューヨークで2つの店を行ったり来たりした。
おかげで、5番街と8番街のその通りだけは、スペシャリストです。
 
その後、行ったブロードウェイミュージカルでは、よく眠れました。

 

しかも、しばらく使わないでいたら、パスワードわかんなくなっちゃった。

それが、上の画像。

 

それ以前にも、いろんな携帯使っていたなあ。

一番最初は、ピッチ・・・ってヤツだった。

重くて、バックが肩に食い込んだわ。

しかも、珍しい頃だったので、同窓会で、

「ちょっと、貸して・・・」

とか言われ、参加していない同級生にあちこち電話されて、しょーもない話をながながとしているのを横でハラハラしながら聞いていた。
ケチケチしているみたいにみられたくなくて、
「もうやめて」
と言えなかったばかりに・・・
 
翌月、3万円以上もよけいに通話料支払ったっけ。
その頃は、かけ放題とか、なかったのよ。

 

息子、高校時代には、ゲーム利用で7万円も請求がきた。

無料だと思って遊んでいたらしい。

「どんなゲームに7万円も使っていたのよ!!」

当然、母、怒る!

「庭を作るゲーム」

「はあ〜〜(ため息ではありません、怒りの声です。念のため)」
 
そんなものにお金使わないで、我が家の狭い庭の草取りでもしてくれ〜〜

 

あんな無駄遣い、こんな無駄遣い・・・
それが、私の携帯の思い出・・・・

便利なんだけどね〜〜

携帯のなかった頃の方が、よかったかも・・・

 

でも、最大の無駄遣いは、携帯触っている時間です。

 

 

 

 

 

 

 

 


「らこむ」奮闘記

2019-05-21 14:25:07 | エッセイ

 3月に1回目をオープンしたカフェ「らこむ」。月1回のペースで開こうと、4月15日、5月12日と開催。

  
 

 1回目は、プレオープンで、フィエスブックで告知した以外には、浜松の幼馴染に声をかけた程度。幟をたてておいたら、通りすがりの客も来てくれて、嬉しいやらびっくりやら、大変やらの話は、前回のブログでも書いた。

  
 

 パートナーシェフも「楽しかった」と言ってくれ、調子に乗って4月に2回目開催。

 
 さらに調子に乗って、書道家の友達に頼んで看板の文字も書いてもらう。

彼の師匠の武田双雲先生の字を見本におくって、「もっと自由に遊んでください」と無理な注文をしたら、それに答えて送ってくれたのが、これ。

 
 

  
 彫り師の桑原さんに「かまぼこ彫」というのにしてもらった。完全に、看板負けしているが、すごいのができあがった。うれしい。

  
 

 全く宣伝しないとお客様も来ないよね。80枚ぐらいチラシを作り、知り合いに配った。ま、半分、押し売りね。

 残った60枚を前日、近所にポスティング。

 
 

 す、すると、11時開店時には数名が開店待ち。開店と同時に客が殺到(って感じ、実は、厨房にいるとよくわからないが、次々と入る注文)。

  
 

 この日は、夫がTOEICの試験日だというので、横浜に住む娘を拝み倒して来てもらった。彼女は、居酒屋経験があるので、夫よりは使えるだろう。

 

 開店15分ぐらいで、オススメの「梅しそ巻き」完売!カレーはナンも選べるのだが、これが、オープントースターで4分かかる。3人も注文されると12分。

  
 

 レストランで何が不愉快かって、一緒に行ったのに他のメンバーが食べ終わっても自分の注文がまだ来ないこと。

「カレーまだですかぁ」

  
 

「すみませ〜ん」

 
 

あげくのはてに、

  
 

「カレーも、もうない」

  
 

「3人組だから、なんとか3人分はだしてくれないと」とフロアの娘の厳しい注文。二人分のカレーを3人に分ける。

 
 

「コーヒーは無料サービスにして」

  
 

受けた注文が完売でメニュー変更を依頼続出。

  
 

さらにご飯が終わり。

 

 
「注文とった分だけなんとかして」と鬼の娘の声!

  
 

スーパーまで走って行って、「サトウのご飯」。ありえない。

「コーヒーは無料サービス!!」

 
 

15時までのランチタイムのはずが13時に完売!

  
 

最後は、ご飯を食べに来た人にケーキで我慢してもらうという始末。

  
 

嵐のような2時間。

  
 

娘が、「私がいなかったら、店回っていなかったよ」と威張る。

  
 

なにしろ謝り倒してくれて、大きなクレームもなく終了。ふう〜〜

  
 

幟を2本にして、チラシを60枚まいた効果がこんなにあるなんて・・・

  
  

 

 

そして反省点を改善して、オープントースターを使う料理をやめて、5月12日3回目。
 
 前日にチラシも50枚ぐらいポスティング、そして、ホームページなんかも作っちゃった。
今時珍しい、手作り感満載の、ほのぼのとしたサイト(自分で言うな!!) 

 
 今回は、ランチのあと、オカリナコンサートも予定。

 
 こちらも予約で満席。っていっても、半分親戚ですが。なにしろ、オカリナ奏者は山梨の姉。プロの奏者であることは間違いない。アマゾンでCDも販売している。

  

  
 

 朝、練習も兼ねて店に来ていた姉。オープンしたら一回帰るつもりが、開店待ちの列。怒涛の開店。怒涛の注文。で、手伝わざるを得ない。

 
 3回目にして行列のできるレストランになってしまった。

  
 

 今回も、オカリナコンサートもあるので、横浜の娘に拝み倒した上に彼女の韓国旅行の飛行機代をサービスして来てもらう。

  
 

 娘、注文聞きと会計。息子、ドリンクサービス。パートナーシェフと私、必死の調理。姉、洗い物。

  
 

 そこに、北海道のYちゃんと、東京のTちゃんが来店。500円定食を食べに数万円の交通費をかけて、来てくれた。本当は申し訳なくて断りたいところだけど、どうせ来てくれるならコンサート付きの今日は、まだまし。

  
 

 さらに、名古屋のTちゃんが登場。それについては、全くサプライズで、ここで会うはずのない人がいる驚きで絶句していると、Tちゃん、にっこりわらって「名古屋のTです」って、名乗ってくれた。もちろん知っています!でも、なぜここに?

 
「洗濯が終わったから、ふらっと来てみた」

 
おいおい、名古屋ですよね。ふらっと来る距離じゃないですよ。しかも、わざわざ、新幹線とタクシー乗り継いで・・・。

 

 
行列ができるだけでなく、遠方から客がくるレストランになってしまった!!

 

 
みなさん、ほんと、頭おかしいですよ〜〜。しかも、手土産持参で・・・こんなお花までもらってしまった。

 

 
でも、感動しました。ありがとうございます。

 
ご恩はわすれません。

 
大人になったら、必ずお返しします。(いつのことやねん!)

  
 

そして、今回も、 

なんと

 
 再び13時、完売!!
  

パートナーシェフもおばんざい増量で準備してくれたのに・・・
大人気。 (パートナーシェフの副菜で、持ってます「らこむ」は)

  
 

めまぐるしい2時間、ふぅ〜〜

  
 

しかし、ゆったり過ごしてもらうカフェを開くはずだったのが、なぜか、安い定食屋になってしまった・・・・

  
 

課題は山積みなれど、改善しながら、懲りずに続けます。

懲りずに来てください。

  
 
 

 

あ、そうそう、今回は娘だけでなく姉までも「私がいないと回らない」と口を揃える。

少なくとも、働く人が貢献度を実感し、モチベーションが上がる店であることは確かです。

  
 

 

次回はランチタイムのみ6月9日です。

 


花見の季節。浜松フラワーパーク自慢。

2019-03-29 15:49:54 | エッセイ

浜松フラワーパークに行ってきた。

以前、園長の塚本こなみさんの講演を聞いて、ぜひ、この季節に行ってみたいと思っていたからだ。

 
だって、「日本一の桜とチューリップの浜松フラワーパーク」ですよ。

 
行くならこの時期でしょ。
 
閉園寸前、市のお荷物だった浜松フラワーパーク。

やたら広いうえに坂道が多い。
花の綺麗な時期が短い。

入園料もそこそこ高い。

当然、入園者も少ない。 

 
足利フラワーパークを復活させた塚本さんに浜松市は白羽の矢をたてた。

 
だって、もともと浜松の人ですよ。そして、今も浜松に住んでいるんですよ。

 
足利の前に地元でしょ。

 
嫌がる塚本さんに無理やりお願いして、浜松フラワーパークも再生中。

 
ビジネス再生のヒントになるかもしれないので、再生プロジェクトのいくつかをご紹介。

 
1. 勝手に日本一を作る 

 

「桜の日本一はある。チューリップの日本一もある。じゃ、桜とチューリップの日本一で行こう!」

で、チューリップ5万本。

 

 下の画像は、池の中にこの時期だけの浮き花壇を作っている。
 

恐る恐る1年間、やってみたけど、だれも文句を言わなかったから、
「桜とチューリップの日本一!は、うちのもの」だそうだ。

 
2. 思わず撮影し、投稿したくなるフォトジェニックポイントを作る

  
 

 


 
一番、下は、うちの卒寿と米寿の両親。
こんな二人でも、絵になっちゃうでしょ?
え、なってない??
 
じつは、人が入っていないのを撮影し忘れた。 

 
3. 思い出が綺麗に残る工夫をする

 
塚本さんが赴任してまず取り組んだことの一つが、高麗芝(日本芝)をエバーグリーン(西洋芝)への張り替え。

 
桜の時期、日本芝はまだ枯れた色。
こんな感じよね。
  

 
 
西洋芝だと、こんなに鮮やかになる。
 
 

「『チューリップが綺麗ね、桜が綺麗ね』という人はいる。 でも、だれも芝生が綺麗ねとは言わない」

「でも、後で、写真を見たときに、綺麗な写真!と言ってもらえる。それは、実は、芝生のおかげ」

 
 4. 入園料を変動性にした

 
花のない時期と、花いっぱいの時期とは価値がちがう。

だとしたら、価値に合わせた価格設定にしよう。


 
花のない7〜9月は、無料になった 。

今は、稼ぎどき 大人一人900円。

10月〜2月は、500円だが、園内で使える300円のクーポン付き。

 
5.  働いている人を作業員から主体的な従業員へと変えた

 



 

キャッチーなコピーを作り(HISの澤田さんもハウステンボス再生に、「作るものは全て、世界一かアジア一か日本一にしろ。2位では客はこない」と言ったとか) 

 
客自らが紹介したくなるしかけをし(よくありますよね。トリップアドバイザーに投稿してくださいとお願いしている情けない施設)

 
主役はお客様、主役を輝かせるのが役目。と心得

 
提供価値も顧客満足もお客様が決めること。と徹底し

 
そして、何より働く人に仕事の意義を伝えてモチベーションを高めた。 


 
ところで、わたしが、親孝行の真似事をしてフラワーパークに両親を連れてきたのは、尊敬する知人柳井さんの影響。

 
柳井さんは、高学歴で、一流企業にお勤めのエリートサラリーマンだった。

年老いたお母さんが、喜ぶような施設がないことに愕然とし、地元に帰って、福祉施設を自ら経営することにした。

「わずかな期間だったけど、お母さんが通ってくれて少しは親孝行ができた」とSNSでup。

 

 
その転身ぶりが鮮やかで、私は一度は、見学に行きたいと思っていた。
で、この間、行ってきました。前橋まで。 


「ありがとうって言ってもらえる仕事って、なかなかないでしょ。ここでは、感謝されるからね。毎日、楽しいよ」 

 
何年か前に、車椅子のお母さんを花見に連れて行った画像もupしていた。

「あと、何回、桜が一緒に見られるだろう」

 
で、真似してみました。

 
 
 
まだ、自力で散歩できる二人の姿を後ろから見て、ともに元気でいてくれることに本当に感謝。
ちょっと、垂直歩行になっていないけど・・・

 

あと、何回、一緒に桜を見られるだろうか?
 
いえね、足腰の弱った私の方が先にバテそうな予感はしますけど・・・
 

 



 


 

 


カフェ、開きました

2019-03-23 06:54:12 | エッセイ

何を隠そう(隠してもいないが)老後の楽しみの選択肢のひとつにカフェを開くというのがある。

 
 

なんかさ、人が時々来てくれてゆっくり本でも読んで過ごしてくれるスペースを提供したいじゃない。

 


退屈しのぎにもなるし。

 


時々、知り合いの一流講師に友達価格で来てもらって、超お得セミナーなんか開いたり、一芸に秀でていいるアマチュアやセミプロにセミナーやコンサートのチャンスを提供したり・・・夢は、膨らむ・・・。

 



20数年前のやる気はあるけど、きっかけもコネもツテもない私のような人が世の中にはたくさんいると思うのよね。

 



今なら、そんな人たちのお手伝いが、つまり、「20数年前のわたし」を応援できるんじゃないか・・・

 

 

なんて話をあちこちでしていたら、情報は発信するものね。

 

 

友達から「1日単位で貸してくれるレンタルスペースのカフェがある」との情報が飛び込んできた。

 


考える前に行動する私は、翌日、客を装って行ってみた。

 

 

なかなかいいスペース。

 


 

セミナーは難しそうだけど、マーケティングや自分の実力調査には、うってつけ。

なにしろ、光熱費と設備(食器も含む)利用を含めて1日5000円で貸してくれるという。

 


 

厨房も広い

 


 

 

リスクは小さい。

早速オーナーに交渉すると、「是非応援したい」と快諾。

 

 

 

まずは月1回から始めてみる。

 


いつでもいいとは言ってくれるけど、元々のお店の休業日の日曜日が最適。

調理師の息子の休業日でもある。

 


えっと、前の日は準備して、翌日は、体力回復、3日連続して休める日曜日。 

 

 

 

で、3月10日、まずはオペレーションを確認するためにプレオープン。

 

 

かねてより私の夢に賛同して、庭の菜園で作った野菜の料理を提供してくれるといっていた高校時代の同級生ノナカを巻き込む。

 


彼女のおふくろの味系手料理は絶品。

私と二人で厨房担当。

 


息子と夫は、フロア担当。

ひとりでも手があった方がと、夫を誘うと、その気になりやすい彼は、

 


「そうか、マスターか。蝶ネクタイしたほうがいいかな・・・」とノリノリ。

 


 

ノナカと二人で、おおよそのメニューを決め、コーヒー付き1000円と決定。

 


で、実際、メニュー写真撮影のため事前に作ってみたら・・・

 


 

 

いいや、1000円は無理でしょ・・・

 

適切な判断で、な、なんと500円。

 

ただし、コーヒーは別に200円。

ま、妥当!!

 

それを元にチラシ作成。

 


 

 

全部、配って、残ったのはポケットの中のシワシワの一枚だったので、あしからず。

 


 

とりあえずは、家族と親友に声をかけてみる。

でも、万一ということもあるので、幟も立ててみた。

こんなのね。 


 

 

 

メニューもできていない。

 

慌てて100円ショップでファイルを3部買ってきて、

覗きに来てくれた息子の友達に「写真つきのメニューを4枚ずつ入れてね」と頼んだのが、開店10分前。

 

 

そうしたら、まだ、準備もできていないうちに、通りがかりのお客様が4人でご来店。

 

また、その初お客様が、4種類別々のご注文。

 

 

厨房内、大パニック!!

 

フライヤーのコンセントを挿す場所がない!
 

ホットサンドメーカーもコンセントがない!!

 

厨房は広いが、空いているコンセントが全くない!!

 

 

あ、おにぎり定食なのに、海苔わすれた!

 

 

サラダがまだ作ってない。2人分だけ慌てて作る。

 

 

うどんはとっくに茹で上がっているのに、天ぷらはまだ、フライヤーが温まっていない。

 

 

ぎゃー・・・ 

 

 

慌てふためく私に、ノナカは、淡々と自分のジョブに取り掛かってくれるばかりか、味噌汁、副菜を並べてくれる。

 

一緒に仕事したことなかったけど最高の気の利くパートナー。

 

 

散々待たせて、なんとか出し終えて、「あ、デザート忘れた!!」

 

追加で届ける。

  


食べ終わった後で、「あ、ホットサンドには目玉焼きのココットが付いていた」

 

なにしろ、メニューがまだ、頭に入っていない。

 

 

すでにコーヒータイム。

 

いまさら、目玉焼きだけだせないよね。

 


 

こんなこともあろうかと、お詫びクッキーなるものを用意。

 

こんなことだけは、気が回るのよわたし。

 

 

「本日開店、初のお客様です。ありがとうございます。

いろいろ不手際で、目玉焼きも忘れていました。

代わりにこちらをお召し上がりください」

 

 

ま、そこは、クレーム対応バッチリのマナーインストラクター。

にこやかにご挨拶。

 

 

ケーキもお召し上がりいただいて、初会計4300円なり。

 

味見もしないで出したけど、フロアの夫が言うには

「これで500円は安いね、また来よう」

と話していたと言う。

 

あ〜よかった。

 

 

 

このケーキも親友サメの店からの仕入れ。

 

400円で仕入れて500円で出しているから、ま、儲けはないわね。

 

でも、私史上最高に美味しいショートケーキ。

 

ぜひ、世間に広めたい。

 

 

この4種類別々の洗礼を受けたおかげで、厨房は、バッチリ。

 

手順も一通り頭に入った。

 

ノナカの「さあ、どんどん、来い!」の言葉も頼もしい。

 

 

ちょっと手が空いた時にフロアをのぞくと

 

夫が慣れない手つきでお客様にコーヒーを出している。

 

がちゃ、がちゃ、がちゃ・・・

 

あちゃ〜、店中に響き渡るコーヒーカップのぶつかり合う音。

 

しまった、ソーサーと分けて運び1客づつ出すと言う基本指導をしていなかった。

 

 

「そうだよ、さっきなんか、ジュースをわしづかみで出してた」と息子。

 

 

飲食業の長い息子はあれこれと注意をしていたらしい。 

 

 

息子は息子で忘れないうちにコーヒーを作るので、

食事中に出してしまい、食後に飲む時には冷めている。

 

夫は、出すのが早すぎると注意していたらしい。

 

 

理由はともあれ、店中に響き渡る親子ゲンカにしか聞こえない。

 

ぎゃ〜、しまった、従業員は私語厳禁、やむを得ない場合も裏で話すという基本指導をしてなかった。

 

 

友達が3人、開店祝いの花を持って来店。

 

「あらら、そんなに大したもんじゃないんだけど、月1回だし」

 


 

「今日開店って言ってたから、毎週日曜日オープンかと思った。だから、枯れない花にした」

 

「いや、今日だけ開店なんだけどね。来月もかざるわ。ありがとう」

 

3人にメニューブックひとつじゃ足りない。

「ほかのメニューはどこ?3つ作ってもらったよね」

 
息子の友達に聞くと、「え、全部ひとつに入れました」

 

見ると、開いても開いても同じメニューが出てくる不思議なメニューブックになっていた。

 
しかも、気づいたのは閉店間際。

 

お客様、びっくりしただろうな、この、水増しメニューブック。

 

 

 

そんなわけで、ばたばたと、通りすがりのありがたいお客様、友達、親戚・・・

が、来てくれて、なんとかプレオープン終了。


ノナカと息子に気持ちだけのバイト料を払って、ケーキの仕入れと材料費で、すでに赤字。

そんな時、タモリの言っていた言葉がしみじみと胸に染み渡る。

 

『趣味なんだから、本気でやらなきゃ』

 
そうです。趣味なんだから、儲けなんか考えないで、本気でやんなきゃ。
 

あ〜、楽しかった。
来月は 14日です。

 



ミュンヘンクリスマスマーケット in 札幌

2018-12-23 03:50:09 | エッセイ

「せっちゃん、昨日亡くなられたと連絡が入りました。どなたか詳細ご存知ですか?」



11月1日の朝、仲間のフェイスブックに、こんなメッセージ。


通勤の新幹線の中で、私は絶句した。


「えーっ、誰かわかったら教えて」


そのあと、仲間たちの悲鳴のような書き込みが続き、30分もしないうちにそれが、噂でも悪い冗談でもないことが判明した。

 

10月31日朝7時31分。彼女は旅立っていた。

 

思いが去来して、東京駅まで、私は静かに泣き続けた。

 

でも、私は、多分その日が来ることを知っていたのだった。

覚悟はできていなかったけど。

 

最初に私が彼女の病気について知ったのは、2月だった。病院に行ったら見つかり入院が必要だという仲間うちのメッセンジャーへの書き込み。

 

その後入ってくる入退院の情報の中で、私は、無性に胸騒ぎがして、5月に彼女の家のそばまで強引に会いに行った。自分の不安を解消したかったのだ。

 

小康状態の彼女は、私を歓迎してくれ、私たちは、最寄駅のそばのカフェで、気づけば4時間も話し込んでいた。

 

病気と付き合いながら、今迄通りの生活を続けて行くという彼女の覚悟を、いつもと同じように笑顔で話してくれた。


仕事大好きな彼女が、仕事も今までのように続けながら、闘病できる最高のパートナー病院を見つけられたことを共に喜んだ。


本当にいくつも病院をさがしたのだった。

「セカンドオピニオンとるのって、本当に大変なんだよ」

「でも、よかった。そんな信頼できる病院が見つかって」

 

でも、その時、多分、わたしは、せっちゃんの死を悟ってしまっていたのだ。

 

「せっちゃんは、最後まで治す気でいました」

ご主人の言葉は嘘ではない。

せっちゃんは、治す気だった。


でも、自分の命と向き合いながら、不安もいっぱい抱えて過ごしたであろう彼女の8ヶ月を考えると、本当に胸がつまる。

 

8月に最後に会った時も、彼女は、笑顔だった。痩せてはいたけれど、相変わらず周りを楽しくする高らかな笑い声で、私たちを包んでくれた。
一緒に泊まるはずだったけれど、体調が優れないからと一人帰った電車の中からこんなメッセージが届いた。


 

一足先に帰ってすみません本当に素晴らしいサイコーの仲間に会えて幸せでした!帰り道は泣きながら(笑)嬉し涙です(^^)ありがとう!感謝です

 

本当に皆んな

心から大好き

そして愛おしいです。

 

 

 



これが、私たちへの最後の言葉だった。
今、読み返してみても、このときのせっちゃんの気持ちを思うと涙がでる。

だれも、こんなに早くお別れの日が来るとは思っていなかった。

 

彼女の笑い声は、周りを笑顔にし、彼女の存在は、周りを安心させた。

 

「笑顔しか思い出せない人っているんですね」

仲間の一人が書いたメッセージが、そのまま、彼女を語っている。

 

彼女と私は、同じような仕事をしていた。

私たちは、よく会った。よく喋った。そして、よく笑った。

 

たまたま、山梨の隣町で仕事をしているのがわかって、急に待ち合わせをして、ぶどう狩りをしながら帰ったり、群馬の友達の結婚式の帰り道を二人でドライブして帰ったり・・・。

有料道路を危うく逆走しそうになった時も、ただ、大笑いしただけのあなたは、太っ腹。

浜松でイベントが会った時には、実家に泊まってもらって、一緒に朝食のワッフル焼いたねえ。

仲のいい数名で温泉に泊まり、騒ぎすぎて隣室から怒られたこともあった。あれ、きっと、あなたの笑い声のせいだよ・・・


あんな思い出、こんな思い出が、湧き出てくる。

 

あなたは私の還暦を祝ってくれたけど、私にあなたの還暦を祝わせてくれなかった。

 

ドイツ好きな彼女が「ダンケシェ〜ン」といいながら、体当たり的に肩を叩いてくる、その掌の感触も、表情も、いままさに体験しているように思い出せる。

 

一度でも彼女に会ったことのある人は、みんな、彼女のファンになる。その日のうちに悲しみは伝播した。フェイスブックには、多くの人が彼女の死を悼んでいるメッセージをあげていた。

 

私にとって彼女の死は、到底受け入れがたく、ずっと、言葉にだせなかった。出張先のホテルでも、窓からの光景をみては、「彼女のいない夜」「彼女のいない昼」がせまり、泣けて泣けて仕方がなかった。


 



そんな中、偶然かつ必然に、私に彼女がやり残した仕事を替わってやる機会が巡ってきた。

「私にしかできない仕事」と彼女が最後までバトンを渡すのをためらった仕事だという。

その責任をひしひしと感じながらも、私は、その仕事を引き受けられたことを喜んだ。

 

打ち合わせの中で、彼女の仕事のパートナーから、「あなたの名前は、彼女の口からよく聞いていた」と言われ、また、涙した。

 

今月初め、私は、その仕事を終わった。

彼女は、間違いなくそこにいた。

「ダンケシェ〜ン」

と言ってくれた気がした。

 

お通夜の席で、北海道からきた友達が、「せっちゃんは、北海道のミュンヘンクリスマスマーケットが大好きで毎年来ていたんだよ」と言った時、温泉仲間は、その場で、今年のクリスマスマーケットに追悼旅行をすることを決めた。


 

そして、今、私たちは北海道にいる。



大通り公園のクリスマスマーケットを見て、ツリーの下で、せっちゃんの写真も入れてみんなで記念撮影をした。




 

ああ、せっちゃん。

あなたが一緒でないのが本当に寂しいよ。

でも、きっと、あなたは、私たちのそばにずっといてくれた。
わたしたちは、あちこちで、あなたの気配を感じていたよ。

 

わたしは、あなたのことをきっとずっと忘れない。

そしてあの笑い声を思い出すたびに泣きたくなるかもしれない。

 

でも、もう、あなたのことを思い出して泣かない。笑おうと思う。あなたが、同じ時代にこの地球に生まれ、私と出会ってくれたこと、その奇跡に感謝して。

 

49日がすぎた。だから、もう、下界の煩悩で引き止めることはしないよ。

 

でも、また、どこかで会えたなら、会わない間に起こったこと考えたことを時間を忘れて語り明かそう。笑い明かそう。そのときまで、さようなら。

 

そして、ありがとう。ありがとう。